56-3 露國ニ對スル宣戰ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

露國ろこくたいスル宣戰せんせん詔勅しょうちょく(第三段)(明治三十七年二月十日 官報

【謹譯】帝國ていこくおもき韓國かんこく保全ほぜんクヤ一にちゆえあらス。兩國りょうこく累世るいせい關係かんけいルノミナラス、韓國かんこく存亡そんぼうじつ帝國ていこく安危あんきかかところタレハナリ。しかルニ露國ろこく淸國しんこくトノ盟約めいやくおよ列國れっこくたいスル累次るいじ宣言せんげんかかハラス、依然いぜん滿洲まんしゅう占據せんきょシ、益々ますます地歩ち ほ鞏固きょうこシテついこれ併呑へいどんセムトス。滿洲まんしゅうニシテ露國ろこく領有りょうゆうセン韓國かんこく保全ほぜん支持し じスルニよしナク、極東きょくとう平和へいわまたもとヨリのぞムヘカラス。

【字句謹解】◯ 重要てんを置く ◯韓國 朝鮮ちょうせんのこと ◯保全 獨立國どくりつこくとしての權利けんりを完全に保つ ◯一日ノ故ニ非ス 昨日や今日に言ひ出したことではない。由來ゆらい古いものがあるの意 ◯兩國累世ノ關係 昔から代々の深い關係かんけい。〔註一〕參照 ◯存亡 無事に存在するか滅亡するか ◯安危 朝鮮が無事に存在して、その獨立どくりつつづけてをれば日本は安全であり、朝鮮がいずれかの國に滅されると日本は一大危機に當面とうめんすること ◯其ノ淸國トノ盟約 盟約めいやくは約束といふ程の意、そのはロシヤを指す。この意味での露淸ろしん條約じょうやくは明治三十五年に行はれた。〔註二〕參照 ◯累次ノ宣言 滿洲まんしゅうから撤兵てっぺいすると數度すうども列國に公言したこと ◯占據 兵を出して武力でその地方を取る ◯地歩ヲ鞏固ニシ 地位を固く確かにする ◯併呑 全部我がものとする ◯領有 所有の意 ◯極東 東洋の意、日本・朝鮮・淸國しんこくなどは東洋中でも東方に位してゐるから、主としてそれを指した。

〔註一〕兩國累世ノ關係 我が國と朝鮮との關係かんけいは、神代じんだいから始まり至つて親密なものがある。日鮮にっせん關係かんけいに言及した中で略記した事は省き、それ以後韓國かんこく併合へいごうまでの重要事項を略記する。

(一)龜山かめやま天皇文永ぶんえい十一年には、高麗こ ま蒙古もうこ兵が共に日本をおかして敗れた。(二)後宇多ご う だ天皇建治けんじ二年には、幕府が高麗こ ま征伐の軍を起したが、目的を達しなかつた。(三)後宇多ご う だ天皇弘安こうあん四年に高麗こ まげんともに筑前ちくぜんせまつて神風かみかぜのために覆沒ふくぼつした。(四)後龜山ごかめやま天皇元中げんちゅう九年に高麗こ まは亡び、成桂せいけいが代つて國を朝鮮とごうした。(五)後陽成ごようぜい天皇文祿ぶんろく元年には、豐臣とよとみ秀吉ひでよしが第一かい朝鮮征伐を行ひ、同慶長けいちょう二年に第二囘目かいめのそれが行はれた。(六)後陽成ごようぜい天皇慶長けいちょう七年には德川とくがわ家康いえやす宗義智そうよしさとして朝鮮との修交しゅうこうはからしめた。(七)後陽成ごようぜい天皇慶長けいちょう十年に朝鮮の使者は家康にえっし、彼我ひ がの交通再び開けた。(八)後陽成ごようぜい天皇慶長けいちょう十二年には朝鮮の使者が幕府に方物ほうもつけんじた。この將軍しょうぐん代替毎だいがえごと來聘らいへいした。(九)中御門なかみかど天皇正德しょうとく元年には、新井あらい白石はくせき建議けんぎによつて朝鮮使節の待遇をあらためた。(十)光格こうかく天皇文化ぶんか八年に至つて朝鮮の聘禮へいれい對馬つしまで受けさせられた。その後彼我ひ がの交通は中絕ちゅうぜつした。(十一)明治天皇明治元年には王政おうせい復古ふっこを朝鮮に告げしめたが、朝鮮では之を受入れない、ここに征韓論せいかんろんの起る一原因があつた。(十二)明治天皇の明治八年には江華島こうかとう事件が起つた。(十三)明治十五年及び十七年には京城けいじょうらんが起つた。(十四)明治二十七年には東學黨とうがくとう事件があつた。(十五)明治三十三年の北淸ほくしん事變じへん後、ロシヤは滿洲まんしゅうに大兵をとどめ、朝鮮を威壓いあつしようとした。(十六)明治三十八年には日韓にっかん協約きょうやくを結び、朝鮮の外交を我が政府におさめた。(十七)明治四十三年朝鮮をわれに合併し、總督府そうとくふを置き、今日こんにちに至つた。

〔註二〕其ノ淸國トノ盟約 東方侵出しんしゅつの意志に燃えたロシヤは一時、體裁ていさいつくろひ、明治三十五年四月五日、滿洲まんしゅう還附かんぷ協約きょうやく露淸ろしん間に締結した。この條約じょうやくに於ける撤兵期間が日露にちろ戰爭せんそうの直接原因となるので、その條(第二條の一部)だけを左に記さう。

(一)本條約調印後、六箇月かげつ以內に盛京省せいきょうしょうの西南部遼河りょうがに至る地方に駐屯ちゅうとんせる露西亞ロ シ ア軍隊を撤退して、鐵道てつどう淸國しんこく還附かんぷす。(二)次の六箇月かげつ以內に、盛京省せいきょうしょう殘兵ざんぺい及び吉林省きちりんしょう駐屯ちゅうとんせる露西亞ロ シ ア軍隊を撤退す。(三)次の六箇月かげつ以內に、黑龍江省こくりゅうこうしょう駐屯ちゅうとんせる露西亞ロ シ ア軍隊の殘部ざんぶを撤退す。

 つまり、十八ヶ月以内にロシヤ兵は一人ものこらず滿洲まんしゅうを退くことを明瞭めいりょうやくしたのである。

〔注意〕朝鮮問題の落付く先は結局われとの合同にあつた。この意味で、本勅ほんちょく

(一)『韓國かんこく併合へいごうニ付キ下シ給ヘル詔書しょうしょ』(明治四十三年八月二十九日、官報

と直接な連絡を持つ。

【大意謹述】我が帝國ていこくが朝鮮の領土安全に重點じゅうてんを置くのは、決して昨日や今日に始まつたことではない。これはじつ兩國りょうこくいにしえから代々親しい關係かんけいがあつたのにるばかりでなく、朝鮮が存立そんりつするか滅亡するかは、じつに我が帝國が安全になるか危機に臨むかの分れ道に在るからである。しかるにロシヤは淸國しんこくとの間に行つた協約きょうやく及び各國にたいする度々の公言こうげんにもかかはらず、撤兵期限後に於いても同樣どうよう滿洲まんしゅうに同國の兵をとどめて事實上じじつじょう之を占領し、日一日と自己の地位を固く確かにして、やがては自己の領土に編入しようとする意志が見える。しこのまま、時を滿洲まんしゅうがロシヤの領土となつたとすれば、朝鮮に手を延ばすのは必然であり、したがつて朝鮮の安全は保ち得ず、我が國もまた危機に臨み、極東きょくとうの平和は決して望まれない。我國わがくに當然とうぜんこれ以上自重じちょうは出來ないのである。

【備考】けだ當時とうじ、ロシヤが極端に强硬きょうこうに出たのは、東亞とうあ大守たいしゅアレキセエフが、日本にたいする認識不足による所があつた。れは「日本は國が狭く、軍隊も少く、その上、財力にも乏しい。それにもかかわらず日本が虛勢きょせいを張るのは、英米二國の煽動せんどうことにイギリスにおだてられてゐるからだ。けれどもイギリスは、まん一の場合、決して日本を援助しない。よし、援助しようとしても手が届くまい。だから、日本が、いろいろロシヤに交渉して來ても、決して最後の手段に出る恐れはない。ロシヤが飽迄あくまで、强く主張するに於ては、必ず屈服するにちがひない」とした。何といふ、誤認であつたらう。日本は、英米煽動せんどうるにはあまりに聰明そうめいだ。また手賴た よるよりも、自分の實力じつりょくによるといふのがその傳統でんとうである。かうした事をまるで知らないで、萬事ばんじをロシヤに都合のよいやうに解釋かいしゃくしたのはいささかドンキホテイ式だつた。つ日本には大なる信念があつて、これは、いかなる場合にもゆるがない。それは、東洋全局の平和保持のためには、いかなる犠牲をはらふとも、たゆまないといふ信念だ。