52-3 遼東還附ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

遼東りょうとう還附かんぷ詔勅しょうちょく(第三段)(明治二十八年五月十日 官報

【謹譯】淸國しんこく講和こうわ條約じょうやく訂結ていけつすで渝盟ゆめいユルノまこといたシ、交戰こうせん理由りゆうおよ目的もくてきヲシテ天下てんか炳焉へいえんタラシム。いまおい大局たいきょくかえり寬洪かんこうもっことしょスルモ、帝國ていこく光榮こうえい威嚴いげんトニおい毀損きそんスルところアルヲス。ちんすなわ友邦ゆうほう忠言ちゅうげんレ、ちん政府せいふめいシテ三ごく政府せいふ照覆しょうふくスルニもっテセシメタリ。半島はんとう壤地じょうち還附かんぷかんスル一さい措置そ ちハ、ちんとく政府せいふヲシテ淸國しんこく政府せいふ商定しょうていスルところアラシメムトス。

【字句謹解】◯渝盟ヲ悔ユル 渝盟ゆめいは仲間にそむくこと。ここでは隣國りんごくとしての友誼ゆうぎ輕々かるがるしく考へたあやまちを後悔する ◯誠ヲ致シ 誠心せいしんからそれを考へる ◯我カ交戰ノ理由及ヒ目的 理由は主として朝鮮の獨立どくりつで一てん私意し いもないこと、目的は東洋全體ぜんたいの平和を永久につづけること ◯天下ニ炳焉タラシム 滿天下まんてんに明らかにする ◯大局ニ顧ミ その根本問題に立ちかへる。本來支那し なが後悔し、朝鮮の獨立どくりつが承認されれば、交戰こうせんの目的は達せられたのだから、遼東りょうとう半島はんとうの問題は言はば附帶ふたい條件じょうけんだとも見られる。そこで之を切り離して根本にかえる意。〔註一〕參照 ◯寬洪 度量のひろゆたかなこと ◯事ヲ處ス 事にあたつて處理しょりする ◯毀損 そこなひ破る ◯友邦 友誼ゆうぎを以てまじわる國、すなわ干渉かんしょうした三ごくを指す ◯照覆 書簡の返事をする ◯其ノ意 前述の理由。〔註二〕參照 ◯還附 一度手にしたものを相手にかへす ◯措置 手續てつづき ◯商定 相談し合つて決定する。〔註三〕參照。

〔註一〕大局ニ顧ミ 三ごくの日本への勸告かんこくがそのじつ干渉かんしょうであり、友誼ゆうぎがそのじつ、自國の利益りえき問題を中心としたものであることはあきらかだつた。加ふるに第三者たるロシヤ・フランス・ドイツが條約じょうやくたい何等なんら發言はつげんする權利けんりがなく、又遼東りょうとう半島はんとう割地かっちは日本がとうとい血の代償として受取るのが當然とうぜんであり、決して附帶ふたい條件じょうけんでも何でもなかつた。しかもそれを「友誼ゆうぎ」とひ、「忠言ちゅうげん」とひ、「大局たいきょくかえりミ」とはれた大御心おおみこころは我等が拜察はいさつすればする程、涙ぐましく恐れ多いものがある。

〔註二〕其ノ意 我國わがくには明治二十八年四月三十日を以て在外ざいがい日本公使に命じ、三ごく勸告かんこくたいする帝國政府の囘答かいとうを各國政府に提出せしめた。その條文じょうぶんだけを記せば次の如くである。

(第一)帝國政府は、遼東りょうとう半島はんとうに於ける永代えいだい占領權せんりょうけんは、全州國ぜんしゅうこくを除くほかすべて之を放棄することに同意す。もっとも日本國はの放棄したる領土にたいし、之に代ふべき報酬として相當そうとうなる金額を淸國しんこくと協議して之を定むることあるべし。(第二)しかれども帝國政府は、淸國しんこくに於いて日本にたいする條約上じょうやくじょうの義務を全然履行りこうするまでは、擔保たんぽとして前記の領土を占領するのけんあることを知るべし。

〔註三〕商定 遼東りょうとう半島はんとう還附かんぷに就て淸國しんこくとの直接交渉は、明治二十八年十一月八日北京ペキンで調印、同二十九日に批准書ひじゅんしょ交換となつてゐる。日本全權ぜんけんは北京公使のはやしただす淸國しんこく全權ぜんけん李鴻章りこうしょうであつた。左にその條約中重要な三じょうを引用する。

(第一條)日本國は明治二十八年四月十七日すなわち光緒こうちょ二十一年三月二十三日締結ていけつ下關しものせき條約じょうやく第二じょうり、淸國しんこくより日本國へ讓與じょうよしたる奉天省ほうてんしょう南部の地方、すなわり鴨綠江口おうりょくこうこうより安平あんぺい河口かこうに至り、鳳凰ほうおうじょう海城かいじょう及び營口えいこうわたる以南の各城市じょうし及び遼東灣りょうとうわん東岸ならび黄海こうかい北岸にりて奉天省ほうてんしょうぞくする諸島嶼とうしょ主權しゅけんげ、本條約ほんじょうやく第三じょうの規定にり、日本國軍隊がすべて撤退する時、がい地方に現在する城壘じょうるい・兵器製造所及び官有物かんゆうぶつと共に永遠淸國しんこく還附かんぷす。りてしもせき條約じょうやく第三じょう及び同條約中陸路交通及び貿易を律するめ、一の條約を締結すべしとの規定は之を取消す。

(第二條)淸國しんこく政府は奉天省ほうてんしょう南部の地還附かんぷの報酬として、庫平銀くうぺいぎん三千まんテールを明治二十八年十一月十六日すなわち光緒こうちょ二十一年九月三十日迄に日本國政府へ拂入はらいいるることをやくす。

(第三條)本條約ほんじょうやく第二じょうに規定したる報償金ほうしょうきん庫平銀くうぺいぎん三千まんテール淸國しんこくより日本國へ拂入はらいいれたるときは、の日より三箇月かげつ以內に還附地かんぷちより日本國軍隊をすべて撤退すべし。

【大意謹述】その上、淸國しんこくの態度をるのに、今囘こんかい講和こうわ條件じょうけんの取りまとめのうちに、友邦ゆうほうたる日本と仲をわるくしたのを後悔するのまことをあらはし、我國わがくに開戰かいせんした理由である朝鮮の獨立どくりつを認め、その唯一目的たる東洋の平和維持の旨を理解して、日本に一ぺん私意し いもないことを內外に明らかにした。つて現在大局たいきょくけて世界の樣子ようすに歩調を合はせ、寬大かんだいな度量で當面とうめんの問題を處理しょりすることは、我が帝國の名譽めいよ威嚴いげんとを少しも損する所以ゆえんでない。そこでちん友誼國ゆうぎこく厚意こういある勸告かんこくしたがひ、朕の政府に命じてこの三ごく政府の勸告かんこくおうずる意あることを書簡で返答せしめた。ただ實際じっさいに半島を還附かんぷする際の條件じょうけんの一切は、朕が特に政府と淸國しんこく政府との直接交渉の結果により定めることとした。

【備考】日本は三ごく干渉かんしょうのために、相當そうとう打撃だげきを受けはしたものの、日淸にっしん戰爭せんそうの勝利により、二億三千まんテール償金しょうきんを入手し、在來ざいらい難關なんかんとせられた條約改正の事も、一番しぶかおをしてゐたイギリスが、率先、快諾かいだくしたのですらすらと事が運び、對等たいとう條約を歐米おうべい各國と結ぶやうになつた。つ日本國民は三ごく干渉かんしょうのため戰勝せんしょう甘夢かんむからめて、臥薪嘗膽がしんしょうたん精神せいしんを振ひ起し、とみ緊張味きんちょうみを加へきたつたかんがあつた。

 ところが支那し なは、三ごく干渉かんしょうによつて、てんもあつたが、より多く失ふてんが多かつた。何となれば白人を利用した結果は、白人の跋扈ばっこ誘致ゆうちし、ロシヤはづ明治二十九年(西紀一八九六年)東支とうし鐵道てつどう敷設權ふせつけんを獲得し、その翌年、ドイツは、膠州灣こうしゅうわんを占領して、明治三十年、これを租借そしゃくしたのである。それに次いで、ロシヤはまた旅順りょじゅん大連だいれん租借そしゃくし、同年イギリスも九りゅう半島及び威海衞いかいえい租借そしゃくした。やがてフランスもだまつてをらず、明治三十二年廣州灣こうしゅうわん租借しょしゃくした上、安南アンナン國境こっきょう及び雲南ウンナン廣東カントン廣西カンシイに於ける陸路貿易と鐵道てつどう敷設權ふせつけんを獲得してしまつた。それらの地方において、えいふつどく武裝ぶそうを加へ、東洋の平和をおびやかすの態度に出たのである。ここに至ると支那し な遠交えんこう近攻きんこう政策は東洋平和のための一大妨害物となつたとだんじなければならない。