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52-1 遼東還附ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

遼東りょうとう還附かんぷ詔勅しょうちょく(第一段)(明治二十八年五月十日 官報

【謹譯】ちんさき淸國しんこく皇帝こうていこい全權ぜんけん辨理べんり大臣だいじんめいシ、簡派かんぱスルところ使臣ししん會商かいしょうシ、兩國りょうごく講和こうわ條約じょうやく訂結ていけつセシメタリ。

しかルニ露西亞ロ シ ア獨逸ドイツ兩帝國りょうていこくおよ法朗西フランス共和國きょうわこく政府せいふハ、日本にほん帝國ていこく遼東りょうとう半島はんとう壤地じょうち永久えいきゅう所領しょりょうトスルヲもっ東洋とうよう永遠えいえん平和へいわアラストシ、交々こもごもちん政府せいふ慫慂しょうようスルニ、地域ちいき保有ほゆう永久えいきゅうニスルなかラムコトヲもっテシタリ。

【字句謹解】◯全權辨理大臣ヲ命シ 內閣ないかく總理そうり大臣伊藤いとう博文ひろぶみ外務大臣陸奥む つ宗光むねみつをこの任に命じた事。〔註一〕參照 ◯簡派スル所ノ使臣 淸國しんこく頭等とうどう全權ぜんけん大臣に任命した內閣ないかく大學士だいがくし李鴻章りこうしょうの事。〔註二〕參照 ◯會商シ 兩全權りょうぜんけん下關しものせき春帆樓しゅんぱんろうに於て講和こうわ條約じょうやくに就いてしたこと。かいは一場所に二人以上の者が目的を同じくして集まる、しょう論義ろんぎする意 ◯訂結 締結ていけつとも書く、取りまとめ條約じょうやくを結ぶ ◯露西亞・獨逸兩帝國及ヒ法朗西共和國 所謂いわゆるごくとはこの國々であり、各自が自國の利害關係かんけいから我が國に干渉かんしょうしたことは明らかである。〔註三〕參照 ◯遼東半島ノ壤地 壤地じょうちは土地の意、遼東りょうとう半島はんとうに就ては日淸にっしん講和こうわ條約じょうやく第二じょうに規定されてある。〔註四〕參照 ◯永久ノ所領 永久の所有地とする ◯慫惥 慫慂しょうようと同じ、勸告かんこくすること ◯地域ノ保有 土地の所有。

〔註一〕全權辨理大臣ヲ命シ これに就ては『全權ぜんけん辨理べんり大臣だいじん伊藤いとう博文ひろぶみおよび陸奥む つ宗光むねみつニ下シ給ヘル勅語ちょくご』(明治二十八年四月十八日、官報)に於て說明せつめいした。

〔註二〕簡派スル所ノ使臣 これも同じく『淸國しんこく講和使こうわし警衞けいえいみことのり』(明治二十八年三月二十五日、官報)で說明した。

〔註三〕露西亞・獨逸兩帝國及ヒ法朗西共和國 ドイツ・フランス・ロシヤの三ごく何故なにゆえわれたいして干渉かんしょうしたかを知るについて、講和こうわ談判だんぱんに至るまでの各國の態度を一ごんする必要がある。最初東學黨とうがくとうの起つた頃には、各國は別に深くこの問題に注意することはなかつた。その後日淸にっしん兩國りょうこく續々ぞくぞくと兵を朝鮮に出すに及び、又、朝鮮にある歐米おうべいの官民が事を誇大に自國に報じたため、各國が朝鮮の時局に注目し、その上、淸國しんこく及び朝鮮が各國に援助を要求したので、二十七年六月頃から表面調停にことよせて干渉かんしょうして來た。ロシヤがづ調停にり出し、われ婉曲えんきょく拒絕きょぜつすると、次にイギリスが調停を試みて失敗し、イタリアはイギリス公使が外相に勸告かんこくを試みた際に之をたすけた。その他ドイツ・フランスの如きは最初は我國に好意を示した程である。ほ日本は開戰かいせんの通知を各國に致したが、イギリス・ドイツ・イタリア・アメリカ合衆國・オランダ・スペイン・ポルトガル・デンマルク・スウエイデン・ノルウエイは局外きょくがい中立ちゅうりつ聲明せいめいし、ロシヤ・フランス・オウストリアは聲明せいめいはしなかつたが、事實上じじつじょうこれを守る意志があると答へた。

 しからば最後に至つて何故なにゆえごくわれ干渉かんしょうしたか、三國中最も强く出たロシヤは遼東りょうとう半島を我が領地として永久に決定されれば、自國の南下政策の足場を失ふこと、日本が自己の勢力範圍はんいおかす恐れがあるといふ理由から、明治二十八年四月二十三日に我が外務次官にまで左の意味を覺書おぼえがきとして提出した。「露國ろこく皇帝陛下の政府は、日本國より淸國しんこくに向つて要求した講和條件を査閱さえつするに遼東りょうとう半島を日本にて所有するは、ただ淸國しんこく首府しゅふあやうくするのおそれあるのみではなく、之と同時に朝鮮國の獨立どくりつ有名ゆうめい無實むじつにするものであつて、將來しょうらい極東きょくとうの平和にたいして障碍しょうがいあたへるものと認めざるを得ない。つて、露國ろこく政府は日本皇帝陛下の政府に向つて重ねて誠實せいじつ友誼ゆうぎを表するため、同半島を抛棄ほうきせん事を勸告かんこくする」これがその大要であり、同日やはり次官にたいしたドイツ・フランスの申出た旨も同樣どうようであつた。

 フランスはロシヤの同盟國だからロシヤの誘引ゆういんおうじたのに無理はない。ドイツがこれと行動を共にしたのは、ロシヤの注意を東方に集中せしめ、西歐せいおうに於いてのフランスの直接關係かんけいする諸問題に氣乘き のりを失はせる一方、干渉かんしょう報償ほうしょうとしてねてから考へてゐた東洋への脚場あしばを求めようとしたためだと言はれてゐる。じつに三ごく干渉かんしょう列國れっこく淸國しんこくに同情して、朝鮮問題に心痛した結果ではなく、各國共に利益りえきむさぼらうとして動いたのだ。彼等は戰後せんご疲勞ひろうした日本へ壓迫あっぱくを加へることに力を注ぎ、ロシヤの如きはその首謀者であつた。したがつてここに十年後の日露にちろ大戰たいせん萌芽ほうがをはらんでゐた事が知られる。三ごく干渉かんしょうが成立した後、淸國しんこくたいしてかえつて負擔ふたんを重からしめる要求をしてゐることは、彼等の心事をよく證據しょうこててゐるのである。

〔註四〕遼東半島ノ壤地 日淸にっしん講和こうわ條約じょうやく第二じょうは次の如くである。

第二條 淸國しんこくは左記の土地の主權しゅけんならびがい地方に城壘じょうるい・兵器製造所および官有物かんゆうぶつを永遠日本に割與かつよす。

(一)左の經界內きょうかいない奉天省ほうてんしょう南部の地。鴨綠江口おうりょくこうこうより該江がいこうさかのぼ安平あんぺい河口かこうに至り、がい河口より鳳凰ほうおうじょう海城かいじょう營口えいこうわた遼河口りょうがこうに至る折線せっせん以南いなんの地、あわせて前記の各城市じょうし包含ほうがんす。しかして遼河りょうがを以てさかいとするところは、該河がいかの中央を以て境界とすることと知るべし。

 遼東灣りょうとうわん東岸および黄海こうかい北岸にあって、奉天省ほうてんしょうぞくする島嶼しょとうしょ

(二)臺灣たいわん全島および附屬ふぞく島嶼とうしょ。(三)澎湖ほうこ列島、すなわち英國えいこく「グリインウイチ」東經とうけい百十九度乃至ないし百二十度および北緯二十三度乃至ないし二十四度のかん島嶼しょとうしょ

【大意謹述】ちん先般せんぱん淸國しんこく皇帝のねがいつて全權ぜんけん辨理べんり大臣を任命し、淸國しんこく全權ぜんけんを委任して我國に派遣した使者と下關しものせきに於いて會見かいけん談判だんぱんせしめ、日淸にっしん兩國りょうごく講和こうわかんする條約じょうやくを取り結ばしめた。

 しかるに今囘こんかい、ロシヤ帝國、ドイツ帝國及びフランス共和國の政府は、日本帝國が日淸にっしん講和こうわ條約じょうやくに規定した遼東りょうとう半島はんとうの土地を永久に所有するのが、東洋永遠の平和に害ありとし、我國にの地方を末長く保つてはならないと前後して勸告かんこくして來た。

【備考】當時とうじに於ける外交上の事象について考察すると、最初、ロシヤとても、日本が遼東りょうとう半島はんとう占有せんゆうの希望をいだいてゐたとは想つてゐない。すなわ李鴻章りこうしょうとロシヤ公使の談話筆記によると、ロシヤ公使は「日本がまん一、朝鮮を占領するなら、ロシヤは兵力を以て、これを妨げねばならぬ。思ふに貴國きこくの講和については相當そうとう多額の賠償金を必要とするでせう」といひ、遼東りょうとう半島はんとうのことには、一ごんれてをらない。ところが、支那し なから日本へ全權ぜんけん大臣ちょう蔭桓いんかんしょう友濂ゆうれんの二人をした時、その信任狀しんにんじょうの不備を指摘すると同時に、「土地割讓かつじょうその他にかんしては、獨斷どくだん專行せんこうべき人物でない限り、全權ぜんけんと認められぬ」といふ意をアメリカを通じ、淸國しんこくつたへたので、淸國しんこくたちまち日本が支那し な大陸の一部を占有せんゆうしようとする意志がある事と推察し、素早く之を歐米おうべいに通告したのである。三ごく干渉かんしょうの下地はここはっしたとつてよい。

 それに當時とうじ淸國しんこくにおいて人望があつた南洋なんよう大臣だいじんちょう之洞しどうは、遠交えんこう近攻きんこうの主張者で、その上奏文じょうそうぶんのうちにおいて、迂濶うかつにも「ロシヤ及びイギリスは、世界の强大國きょうたいこくではあるが、中國ちゅうごくたいして何の野心をもいだかぬ」といひ、「日本に淸國しんこくの地をあたへる位なら、むしろこれをロシヤ・イギリスにあたへた方がよろしい」といつたやうな、現實上げんじつじょうの認識不足を暴露ばくろした。こんな具合であるから、淸國しんこくでは「歐米おうべいを利用して、日本さへおさへつけたら、それで何事もうまくく」と考へてしまつたのである。

 それから當時とうじ李鴻章りこうしょうがまだ天津てんしんとどまつて、日本へない時分、局外きょくがい中立ちゅうりつの地位にゐた某國ぼうこくから日本政府にたいして、「ひそかに聞くところによると、北京ペキン政府は、この頃、すで歐洲おうしゅう列强れっきょう干渉かんしょうを切望し、二三の强國きょうこく又これにおうずることを約束したらしい。この事態は、輕々けいけいに見逃されぬから、特に注意し、あまり過度の要求を淸國しんこくになさぬやう愼重しんちょうに行動されたい。こと支那し な本土において、土地割讓かつじょうを求めらるる場合は、相當そうとう考慮を重ねた方がよからうと思はれる」と忠告した。けれども當時とうじ、日本の當局とうきょくは、まだそこ迄、考へ及ばなかつた。ここに一つの手落ちがあつたともへる。