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47-5 淸國ニ對スル宣戰ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

淸國しんこくたいスル宣戰せんせん詔勅しょうちょく(第五段)(明治二十七年八月二日 官報

【謹譯】ちん明治めいじ十五ねん條約じょうやくリ、へいいだシテへんそなヘシメ、さら朝鮮ちょうせんヲシテ禍亂からん永遠えいえんまぬがレ、治安ちあん將來しょうらいたもタシメ、もっ東洋とうよう全局ぜんきょく平和へいわ維持い じセムほっシ、淸國しんこくクルニ協同きょうどうことしたがハムコトヲもっテシタルニ、淸國しんこくひるがえっ種種しゅじゅ辭柄じへいもうこれこばミタリ。

【字句謹解】◯明治十五年ノ條約 濟物浦さいもっぷ條約じょうやくのこと、『朝鮮ちょうせん辨理べんり公使こうし花房はなぶさ義質よしただくだたまヘル勅語ちょくご』(明治十五年九月二十八日)の項參照 ◯禍亂ヲ永遠ニ免レ 今後永久に內亂ないらんがないやうにはかる ◯治安 國がよく治まり人民が安定した生活をいとなむこと ◯將來ニ保タシメ 未來に於いてそれを保證ほしょうする ◯東洋全局ノ平和 東洋全體ぜんたいの平和、〔註一〕參照 ◯協同事ニ從ハム 朝鮮の內亂ないらんしずめ、將來しょうらい獨立國どくりつこくとしての體面たいめんたもたしむるために、日淸にっしん力を共にしようではないかと告げる、〔註二〕參照 ◯飜テ 日本の厚意こういを逆にとる意 ◯種種ノ辭柄ヲ設ケ 辭柄じへいは一方の要求を拒絕きょぜつする理由、各種の理由を設けてそれを拒絕きょぜつした意。〔註三〕參照。

〔註一〕東洋全局ノ平和 東洋全局の平和といふことは、日淸にっしん戰爭せんそう以前から日本の國是こくぜとなつてゐる。日露にちろ日獨にちどくとの交戰こうせんの目的達成のためであり、今囘こんかい滿洲まんしゅう事變じへんにもこの見地から行動した。

〔註二〕協同事ニ從ハム 東學黨とうがくとう內亂ないらんあたつて淸國しんこくただちに出兵したが、明治二十七年六月七日づけ公文こうぶん我國わがくにに出兵通知をして來た。これは天津てんしん條約じょうやくの第三じょうに規定してあるから、當然とうぜんな事である。ただしその文中に默視もくし出來ない一句があつた。例の如く朝鮮を屬邦視ぞくほうししてゐることで、政府は一方にこれも天津てんしん條約じょうやくしたがつて出兵を敢行かんこうし、つこれを淸國しんこくに告げた。同時に我が政府は朝鮮を淸國しんこく屬邦ぞくほうと認めぬことを聲明せいめいし、早速釜山ぷさん歸港きこうしてゐた軍艦數隻すうせき仁川じんせんまで急航きゅうこうさせた。淸國しんこくは意外に强硬きょうこうな我が態度に驚き、我が兵の機敏な行動に恐れをいだき、その入京にゅうきょうを妨げようとして、兩國間りょうこくかんに一時暗雲を生じた。しかしこの場合ただちに一戰してはわれに不利なことが多いとふ事に外務當局とうきょくの意見は一致し、遂に時の首相、伊藤いとう博文ひろぶみは、淸國しんこく政府にたいする我が政府の提案をした。「協同きょうどうことしたがハム」と詔勅しょうちょくちゅうに示されてあるのはこのことである。左にその大略たいりゃくしるさう。

(一)朝鮮の內亂ないらん日淸にっし軍隊の協力で鎭壓ちんあつする事。(二)內亂ないらん平定後は、同國の內政ないせい改革のため日淸にっしん兩國りょうこくから常設委員若干名を派出はしゅつして事にあたらせる。(三)同國の財政を整頓し、出來るだけ公債こうさいを募集して國家の公益こうえきを起す目的に使用する事。

 附帶ふたい條件じょうけんとして、我國は事件の圓滿えんまんな解決を見ない間は朝鮮から撤兵てっぺいせず、場合におうじては獨力どくりょくでその內政を改革する意志もある旨を告げしめた。時の陸奥む つ外相がいしょう當時とうじ、軍事の最高顧問たる川上かわかみ操六そうろくは、日淸にっしん兩國りょうこくがやがては交戰こうせんしなければならないとの見通しのもとに、この積極外交を行つたといはれてゐる。

〔註三〕種種ノ辭柄ヲ設ケ 前述の我が提案にたいして、淸國しんこくからは反駁的はんばくてき囘答かいとうが來た。それは左の如くである。

(一)朝鮮の內亂ないらんは平定したから、淸國しんこくは朝鮮政府に代つて討伐とうばつする必要がなくなつた。したがつて日淸にっしん兩國りょうこく協力して鎭壓ちんあつするようすでにない。(ニ)朝鮮改革は朝鮮自身に行はせなくてはならない。我が中國ちゅうごくですらも內政に干與かんよしないのに、從來じゅうらい朝鮮の自由を認めてゐる日本は、その權利けんりを何につて主張するか。(三)撤兵てっぺいの事は天津てんしん條約じょうやく違犯いはんを許さない。

といふのがその大要で、我が政府はこの反駁はんばく豫期よ きしてゐたから、いよいよ最後のほぞかためたのである。

【大意謹述】ちんはここに於いて明治十五年の條約じょうやくしたがひ、まん一の場合に備へるため出兵せしめた。その上、朝鮮が永久に內亂ないらん根絕こんぜつし、今後國內が完全に治まり、人民が平和に暮してゆけるやう計り、それによつて全東洋の平和を確立・維持せしめようと考へた。この建前たてまえのもとに日淸にっしん兩國りょうこくが力をはせて事にしたがふ提案をしたが、淸國しんこくれる所とならず、かえつてわれたいして非難の言辭げんじろうして之を拒絕きょぜつした。

【備考】當時とうじ、朝鮮にゐて、日本の東洋平和保全策をあらゆる方面から妨害したのは、袁世凱えんせいがいだつた。れは、確かに手腕しゅわんの人である。けれども眼識がんしきある人とはへない。術策じゅっさくを用ふるには、ふさはしいが、高所こうしょつて、東洋の大局たいきょくを打算するのめいいてゐた。ここれが支那し なあやまらしめた一因がある。