47-2 淸國ニ對スル宣戰ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

淸國しんこくたいスル宣戰せんせん詔勅しょうちょく(第二段)(明治二十七年八月二日 官報

【謹譯】ちんここ淸國しんこくたいシテたたかいせんス。ちんカ百りょう有司ゆうしハ、よろシクちんたいシ、陸上りくじょう海面かいめん淸國しんこくたいシテ交戰こうせんことしたがヒ、もっ國家こっか目的もくてきたっスルニ努力どりょくスヘシ。いやしく國際法こくさいほうもどラサルかぎリ、各々おのおの權能けんのうおうシテ一さい手段しゅだんつくスニおいテ、かなら遺漏いろうナカラムコトヲセヨ。

【字句謹解】◯淸國 現在の中華ちゅうか民國みんこくのこと。明治二十七年はしん德宗とくそう光緒こうちょ二十年であつた。開戰かいせんに至る事情の委細は後段こうだんに述べる ◯戰ヲ宣ス 日本國民及び世界各國に向つて淸國しんこくへのたたかい宣告せんこくする ◯百僚 百かんと同じで、官吏かんりの一切を指す ◯有司 當局者とうきょくしゃの意で、直接には陸海軍の武官ぶかんを指す ◯意ヲ體シ 氣持きもち諒解りょうかいして實行じっこうに移すこと ◯海面ニ 海上と同じ、前に「陸上ニ」とおおせられたので、文字を變化へんかさせた ◯交戰ノ事ニ從ヒ 戰役せんえき從事じゅうじする ◯國家ノ目的ヲ達スル 國家の目的は東洋の平和を確保し、國運こくうんの進展を計るにある。明治天皇屢々しばしば詔勅しょうちょくちゅうに平和を旨として國運の發展はってんを望むといふ意味の御言葉おことばを用ひられた。國家として平和の間に國運が發展はってんすれば、これに越した慶事けいじはない。しかしこの場合はすでたたかいは開始されんとし、事實上じじつじょう、我が國は最初の一げき淸國しんこくたいして加へてゐる。戰時せんじに於ける國家の目的とは、本勅ほんちょくの最後に見える「すみやカニ平和ヲ永遠ニ克復こくふくシ、以テ帝國ていこく光榮こうえいまったクセシム」る事で、相手がその非を知るに至るまで、斷然だんぜん武力を以て雌雄しゆうを決する意にほかならない ◯國際法 International Law の譯語やくごで、公法こうほう私法しほうとに區別くべつされるが、ここでは國際こくさい公法こうほう(International Pablic Law)を意味する。これは國際こくさい團體だんたいに加入した國家と國家との權利けんり・義務にかんする準則じゅんそくで、戰地せんち・軍隊に於ける傷病者しょうびょうしゃ狀態じょうたいの改善・俘虜ふりょかんするものなどが含まれてゐる ◯戻ラサル限リ 違反しない限りの意 ◯權能ニ應シテ 職務の有する權利けんりを最大限度に擴充かくじゅうする意 ◯遺漏 手ぬかり。

【大意謹述】ちんは現在、淸國しんこくを敵として戰爭せんそうを開始することを國民一般に告げ知らせる。朕につかへつつある百かん及び武官ぶかんは、よく朕の意をたいして陸上又は海上に於いて、淸國しんこくたたかひ正義にもとづく武力を通して我が日本の光輝こうきを全世界に輝かすやう努力してほしい。我國わがくにが加入してゐる萬國ばんこく公法こうほうれない限りの範圍はんいで、各自が持つ權能けんのうおうじて出來るだけの手段をつくし、少しでも手落ておちがないやう注意しなくてはならない。

【備考】領土の上からすれば支那し なは偉大で、日本は、もとより物のかずではない。が、元祿げんろく時代にすで山鹿やまが素行そこうは、日本が支那し な立優たちまさつてゐることを斷言だんげんした。本居もとおり宣長のりなが平田ひらた篤胤あつたねらもまた日本の文化が支那し なまさつてゐることを學問がくもんの上からいた。更に幕末の經世家けいせいかの中には、日本の軍隊を以てすれば、支那し な四百餘州よしゅうを征服することも、決してむづかしくないと信じたものもある。けれども歐米おうべいでは、左樣そ う考へない。あらゆる方面から、支那し なを考察してその必勝を信じた。したがつて、十ちゅう八九は、日本の敗北に終ると思つたのもまたむをない。彼等はまだ日本の本質を一こう知らなかつたのだ。けれども日本政府及び軍部においては、相當そうとう勝利の自信を持ち、日本國民もまたその實力じつりょくが遙かに支那し な立優たちまさつてゐるといふ自覺じかくを持つてゐた。當時とうじ參謀さんぼう次長じちょう川上かわかみ操六そうろく外相がいしょう陸奥む つ宗光むねみつに向ひ、「姑息こそくの外交を以て、後患こうかんのこすよりも、一きょに外交上の大策たいさく遂行すいこうされたい。軍事上のことは大丈夫です」と明言し、海相かいしょうびい西郷さいごう從道つぐみちまた萬事ばんじ必ず引受けて見事にやつて見ませう」と力强くつた。かく陸海軍の主腦部しゅのうぶが、外交を支持する以上、陸奥む つも全く安心し、たちま朝鮮出兵を決して、卽日そくじつ御裁可ごさいかたのである。以上の如く、國防上こくぼうじょうの不安がなかつたことが、日本外交の威力、正義の實現力じつげんりょく發揚はつようせしめたのであつた。ところが、それにたいして、打算を誤つたのは、駐日ちゅうにち淸國しんこく公使こうしおう鳳藻ほうそうで、議會ぎかいが政府と事毎ことごとはげしくあらそつてゐるのを見て、「擧國きょこくは不可能だ」とし、袁世凱えんせいがいまた朝鮮から「現在の日本は、國外へ力を伸ばすだけ餘裕よゆうがない」と誤診ごしんし、いずれも、その旨、李鴻章りこうしょうに報じたから、李鴻章りこうしょうは、それを信じて、樂觀的らっかんてきとなつたのである。が、それは日本の皮相ひそうを見て、本質を理解せぬところから來た錯誤さくごだつた。だから、日本の勝利は、最初から豫約よやくされてゐたとつてもよいのみならず、文化の進歩に於て、祖國愛そこくあいに於て、正義の心に於て、日本は支那し な立優たちまさつてゐたのだから、勝利は當然とうぜん豫約よやくされてゐたとへる。