読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

45 朝鮮辨理公使花房義質ニ下シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

朝鮮ちょうせん辨理べんり公使こうし花房はなぶさ義質よしただくだたまヘル勅語ちょくご(明治十五年九月二十八日)

【謹譯】なんじ義質よしただ朝鮮ちょうせん京城けいじょうへん遭逢そうほうシ、すこぶ艱難かんなんきわメ、ふたた訓令くんれい渡航とこう反覆はんぷく辨論べんろんこと和平わへいス。なんじ義質よしただこととったゆマサルノいたところちんふかこれ嘉賞かしょうス。

【字句謹解】◯京城ノ變 所謂いわゆる明治十五年のへんしょうせられるもの、〔註一〕參照 ◯遭逢 めぐり合ふ ◯頗ル艱難ヲ極メ この上もない難儀なんぎ經驗けいけんする。當時とうじ帝國ていこく公使館に放火されため、花房はなぶさ公使こうし英國えいこく砲艦ほうかんたすけられてかろうじて馬關ばかんかえつた ◯訓令ヲ帶ヒ 政府の命を受けて。これは辨理べんり公使こうしとなつて再度朝鮮に赴いたこと ◯渡航 海を渡つてく ◯反覆辨論 幾度いくたびもくり返して當面とうめんの問題に就て論じ合ふ。所謂いわゆ濟物浦さいもっぷ條約じょうやく締結ていけつに至る經過けいかろうを意味する ◯和平ニ歸ス 事が平和のうちにをさまつた ◯事ヲ執テ撓マサル 決定までに讓歩じょうほしないで一度正しいと思つた事をあくまで主張する意 ◯嘉賞ス 滿足まんぞくに思ふ。

〔註一〕京城ノ變 元治がんじ元年に朝鮮では李熙り きが國王として立つたが、未だ幼少なので生父せいふ大院君たいいんくん攝政せっしょうし、主として鎖國さこく主義を執つて、我が明治政府が舊交きゅうこうを修めようとしてもおうじなかつた。その後、國王が長じて閔氏びんしれてとし國政こくせいを執るに及び、閔氏びんしの一族が急速に勢力を得て、大院君たいいんくん仲惡なかわるくなり、これが十五年のへんの原因となつた。明治初年から十五年に至るまでの我が國との關係かんけい

(一)西郷さいごう隆盛たかもりなどの征韓論せいかんろん(明治六年)の擡頭たいとう (二)江華島こうかとう事件(明治八年)

などあり、明治八年に至り日本は朝鮮の獨立どくりつを認めた。

 やがて明治十五年になると閔氏びんし專權せんけんはなはだしく、軍隊もそれに堪へ兼ねて閔氏びんしを除かうとする計畫けいかくがあるのを察し、大院君たいいんくんさかんに彼等を煽動せんどうして遂に軍兵ぐんぺいが王室を犯し、我が公使館に放火する事變じへん勃發ぼっぱつした。公使花房はなぶさ義質よしただは身を以て逃れ、英艦にじょうじて內地にかえり、委細を宮廷に報告したので、政府は外務卿がいむきょう井上いのうえかおる下關しものせきし、更に公使花房はなぶさ、及び陸軍少將高島たかしま鞆之助とものすけして、朝鮮全權ぜんけん大臣裕元ゆうげんなどと濟物浦さいもっぷ談判だんぱんせしめ、七月三十日に至つて、償金しょうきん五十五萬圓まんえんを出させ、我が公使館警備兵駐在の事をやくした。しか淸國しんこくはこの條約じょうやくの成立に先立ち、大兵たいへい京城けいじょう駐屯ちゅうとんさせたので、その後は日淸にっしん兩國りょうこくが兵を朝鮮にとどめることになり、日淸にっしん戰爭せんそうの一遠因えんいんした。

〔注意〕この事件に直接關係かんけいした勅語ちょくごとしては、本勅ほんちょくの他に

(一)陸軍少將高島たかしま鞆之助とものすけニ下シ給ヘル勅語ちょくご(明治十五年七月)

があり。これから生じた日韓淸にっかんしんごくの不安にかんして我が軍備充實じゅうじつみことのりとしては

(二)戎備じゅうび皇張おうちょうキ地方長官ニ下シ給ヘル勅語ちょくご(明治十五年十一月二十四日、岩倉公實記)(三)群卿ぐんけいニ下シ給ヘル勅語ちょくご(明治十五年十二月二十二日、三條實美公年譜)

がある。

【大意謹述】なんじ義質よしただ、最近の朝鮮ちょうせん京城けいじょうに於ける變事へんじにめぐり合ひ、この上もなく苦勞くろうつくしたのち內地ないちかえつたが、再度政府の命を受けてかの地に到り、數度すうど論辨ろんべんを重ねた結果、遂に事件を平和の間に解決した。これといふのもなんじ義質よしただ事理じ りによつて讓歩じょうほせず、一度定めたところをくまで主張し通したからで、ちんはその不屈ふくつ不撓ふとう精神せいしん滿足まんぞくし、ここに之をみする。

【備考】朝鮮には、大院君たいいんくんを中心とする排外派はいがいはきん玉均ぎょっきんぼく泳孝えいこうらを中心とする親日派しんにちはとがあつた。日鮮にっせん衝突はいつも、排外派はいがいはが東洋の大勢たいせいに通じないで首鼠しゅそ兩端りょうたんし、固陋ころうを事としために起つたのである。うち實力じつりょく充實じゅうじつすることにつとめないで、大院君たいいんくんの如く、ただ排外はいがいを主とし、尊大そんだい倨傲きょごうである以上、國の衰へるのは當然とうぜんで、朝鮮の如きも、かうした筋道をみずか辿たどつた氣味き みがある。要するに時勢じせいの動きに適應てきおうしてゆけないところに、朝鮮の弱味があつたとへるし、またそれが東洋のバルカンとして、日本に大きい不安をあたへたのだ。