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44-12 陸海軍軍人ニ下シ給ヘル勅諭 明治天皇(第百二十二代)

陸海軍りくかいぐん軍人ぐんじんくだたまヘル勅諭ちょくゆ(第十二段)(明治十五年一月四日 法規分類大全)

【謹譯】一、軍人ぐんじん質素しっそむねトスヘシ。およ質素しっそむねトセサレハ、文弱ぶんじゃくなが輕薄けいはくはしリ、驕奢きょうしゃ華美か びふうこのミ、ついニハ貪汚たんおおちいリテこころざし無下む げいやしクナリ、節操せっそう武勇ぶゆう甲斐か いナク、世人せじんつまハシキセラルルまでいたリヌヘシ。生涯しょうがい不幸ふこうナリトイフモ中々なかなかおろカナリ。ふう一タヒ軍人ぐんじんあいだおこリテハ、傳染病でんせんびょうごと蔓延まんえんシ、士風しふう兵氣へいきとみおとろヘヌヘキコトあきラカナリ。ちんふかこれおそレテさき免黜めんちゅつ條例じょうれい施行しこうシ、ほぼこといましキツレト、なお惡習あくしゅうテンコトヲうれヒテこころやすカラネハ、ゆえまたこれおしフルソカシ。汝等なんじら軍人ぐんじんユメ訓誡くんかい等閑なおざりニナおもヒソ。

【字句謹解】◯質素 質素しっそ素朴そぼくの意で、じみではなやかさのないこと ◯旨トスヘシ せん一としなければいけない。何よりもづこの方面に注意をおこたつてはならない意 ◯文弱ニ流レ ぶんしつたいして形式の意味、何事でも形式を飾ることをのみ考へて內容を問題としないこと ◯輕薄ニ趨リ 態度・行動がかるはづみで一こう眞實味しんじつみに乏しいこと ◯驕奢華美ノ風ヲ好ミ 生活が贅澤ぜいたくになつて淫靡いんびふうを好み、溫厚おんこう朴實ぼくじつさまを嫌ふ意 ◯貪汚 たんは限りなく物を欲する。は水の流れないことで、欲をたくましくして軍人の名譽めいよけが行爲こういがあること ◯無下ニ それより下はないことで、最もいやしい意味 ◯節操 軍人として當然とうぜん守らずにはゐられない一定の志節しせつ ◯世間ニ爪ハチキセラルル 世間の人々にみ嫌はれる ◯生涯ノ不幸 一生を通じての不幸 ◯中々愚カナリ 個人としては一生中の不幸であり、多くの人々がそのふうおちいれば重大な結果を生ずるので、不幸だといつてそれですむ程の小問題しょうもんだいではないとの意 ◯此ノ風 質素をせん一としないことから生ずる一切の弊風へいふうを指す ◯傳染病ノ如ク蔓延シ 蔓延まんえんつたのはびこるやうに、れからそれへとひろまつてくこと、これが流行病と似てゐるから、この御言葉おことばがあつた ◯士風 所謂いわゆる武士氣質かたぎの意 ◯兵氣 軍人としての意氣い き風儀ふうぎを指す ◯頓ニ 非常に早く ◯免黜條例 めんとは本人のねがいり、又は何かの事故につて職を免ぜられること、ちゅつとは規定そむいて惡事あくじを行つた者の職を免ずることをいふ。條例じょうれいとは規則書といつた意味で、これは明治十年二月に發布はっぷされた ◯惡習 不良な習慣風俗の意 ◯ユメ 決して・・(いけない) ◯訓誡 敎訓きょうくんの意 ◯等閑ニナ思ヒソ かるく考へてはいけない。

【大意謹述】第五に軍人はあらゆる意味で質素を主としなければならない。一たい、表面を飾らず內容の充實じゅうじつを主としなければ、たんに表面だけに氣を配る惰弱だじゃくな風俗となり、萬事ばんじが重々しくなくなり、生活が贅澤ぜいたくとなり、はついた好ましくない風俗に誘はれ、結局は多慾たよくのために軍人としての名譽めいよかえりみず、こころざしの持ち方もまたこの上なくいやしく、心に定めた忠孝ちゅうこうの心も武勇ぶゆうの念も全く效果こうかを見せず、世間の人々にみ嫌はれるまでになつてしまふであらう。個人の問題であれば、このふうはその人一生の不幸だと言つてむが、軍籍ぐんせきにある者ではたんにさう言つただけではすまぬ。しこの惡風あくふうが一たび軍人の間に起つたならば、猛烈な傳染病でんせんびょうのやうに、各方面に根をおろし、つるを張って、そのめ我が特有の武士的美俗びぞくや軍人としての士氣し きたちまち衰へてしまふであらうことは明瞭めいりょうである。ちんはこのてんを深く心痛しんつうし、明治十年には免黜めんちゅつ條例じょうれい發布はっぷして、違犯者いはんしゃの職を免ずることを規定し、大體だいたい、その時にこの傾向をいまししめておいたが、それにもかかわらず、この惡習あくしゅうが今後も軍人間に流行するのを憂へ、心配のあまり再びこの機會きかい汝等なんじら敎訓きょうくんするのである。汝等なんじら軍人は決して朕の敎訓きょうくんかるく考へてはならない。

【備考】古來こらい武健ぶけん奢侈しゃしとは、どうしても兩立りょうりつしない。奢侈しゃしふけるものは、柔弱にゅうじゃくとなり、貪汚どんおとなつて、武人ぶじんとしての本質を次第に失つてしまふ。したがつて、武人は質素しっそ勤儉きんけんであらねばならぬ。質素と武健ぶけんとは、どの場合にも一致する。古來、ある武將ぶしょうが、自他共に、質素なるべきをつとめたのは、要するに、武健ぶけん美風びふう飽迄あくまで維持し、一たん有事ゆうじの日に國にむくいようとする心がけからである。上杉うえすぎ治憲はるのちほういだとき、節儉せっけんを行はうと決意し、身に綿布めんぷまとひ、食膳しょくぜんは一じゅうさいに限つた如きは、一個の美談である。黑田くろだ孝高よしたか平生へいぜい、極度の質素に甘んじて有事ゆうじの日に備へ、征韓せいかんえきに友人に用立てた銀百枚を返却されたとき、そのまま快く友人に贈つて受取らなかつた如きは、いかにも奥ゆかしい。かうした心持こころもちが何より大切と思ふ。