44-11 陸海軍軍人ニ下シ給ヘル勅諭 明治天皇(第百二十二代)

陸海軍りくかいぐん軍人ぐんじんくだたまヘル勅諭ちょくゆ(第十一段)(明治十五年一月四日 法規分類大全)

【謹譯】一、軍人ぐんじん信義しんぎおもンスヘシ。およ信義しんぎまもルコトつねみちニハアレト、ワキテ軍人ぐんじん信義しんぎナクテハ一にち隊伍たいごうちまじわリテアラムコトかたカルヘシ。しんトハおのげんおこなヒ、トハおのぶんつくスヲイフナリ。サレハ信義しんぎつくサントおもハハ、はじメヨリことヘキカヘカラサルカヲつまびらか思考しこうスヘシ。朧氣おぼろげナルコトヲ假初かりそめうべなヒテ、、ヨシナキ關係かんけいむすヒ、のちいたリテ信義しんぎテントスレハ、進退しんたいきわマリテどころくるしムコトアリ、ユトモせんナシ。はじメニ能々よくよくこと順逆じゅんぎゃくわきまヘ、非理ひ りかんがヘ、げん所詮しょせんムヘカラストリ、トテモまもルヘカラストさとリナハ、すみやかとどまルコソヨケレ。いにしえヨリあるい小節しょうせつ信義しんぎテムトテ大綱たいこう順逆じゅんぎゃくあやまリ、あるい公道こうどう非理ひ りまよヒテ私情しじょう信義しんぎまもリ、アタラ英雄えいゆう豪傑ごうけつトモカわざわいほろぼシ、かばねうえ汚名おめい後世こうせいマテのこセルコト、れいすくナカラヌモノヲ、いましメテヤハアルヘキ。

【字句謹解】◯信義 しん本勅諭ほんちょくゆ中に「おのげんおこなヒ」とかいしてあるやうに、言行げんこうする事を意味し、も同じく「おのぶんつくス」とある如く、事物じぶつ各自がよろしきにかなふ道の意 ◯常ノ道 人間である以上、誰でも平生へいぜい行ふべき道のこと ◯ワキテ 取りわけの意 ◯己カ言ヲ踐ミ行ヒ 自分が一度口に出したことは必ず行ふ ◯己カ分ヲ盡ス 自分のつくすべき本分ほんぶんをつくす ◯審ニ思考スヘシ 詳細に、遺漏いろうなく思ひめぐらすがよい ◯朧氣ナルコト 自分に出來るか出來ないかが明瞭めいりょうに分かつてゐないこと ◯假初ニ諾ヒテ 一の氣まぐれから承諾しょうだくする ◯ヨシナキ關係ヲ結ヒ 理由もないかかりあいを生ずる ◯進退谷リテ 谷にちた時のやうに、進むことも退くことも出來なくなる、窮境きゅうきょうはなはだしい時の形容である ◯身ノ措キ所ニ苦ム 自分の立場をいずれに置いたらよいか迷ふ ◯悔ユトモ其ノ詮ナシ その時になつて後悔しても甲斐か いがないとの意 ◯事ノ順逆 その事が道理にがっしてゐるかいなか ◯非理ヲ考ヘ 前條ぜんじょうと同じく、事の正否せいひをよく考へること ◯小節ノ信義 一の約束事で、枝葉しよう信義しんぎの意 ◯大綱 人間のしたがはなければならない根本の道德どうとくの意で、君父くんぷつく大義たいぎを意味する ◯公道 人間の行はなくてはならない表立おもてだつた正しい道 ◯私情ノ信義 さきの「小節しょうせつ信義しんぎ」と同じく、自分の感情にとらはれ理性の存在を忘れること ◯アタラ しいといふ程の意 ◯英雄 才識さいしき膽力たんりょくが人々よりもはるかすぐれた人 ◯豪傑 智慮ちりょ衆人しゅうじん以上の水準に達した者 ◯禍ニ遇ヒ 思ひもよらない災難にふ ◯屍ノ上ノ汚名 死後の醜名しゅうめい、〔註一〕參照 ◯警メテヤハアルヘキ 再びその事がないやうにと注意しないでゐられようか、ゐられるものではない。

〔註一〕屍ノ上ノ汚名 國史こくし上にこの例は少くないが、代表的なものとして源義朝みなもとのよしともる。源爲義みなもとのためよし長子ちょうし義朝は、保元ほげんらんに父爲義と敵味方に分れ、爲義敗れしとき之を救ひ得ずして見殺しにしたことは、自分の立身りっしんのために父の生命を犠牲にしたのである。後年こうねん平治へいじらんに敗れ、彼は尾張おわりで殺された。無論當時とうじの情勢からすれば、義朝にもみずかふにはれぬ事情もあつたらうが、純情を以てその父にじゅんずることをしなかつたのは彼れのあやまりである。

【大意謹述】第四に軍人は信義しんぎを重んじなければならない。一たい、信義を守ることは、人間である以上、誰でも平生へいぜいから忘れてはならない道であるが、特に軍人は信義がないと、一日も軍隊中の一員として先輩・同僚と交際することがむづかしい。信義の信とは、一度自分の口からはっした言葉を必ず實行じっこうすること、義とは自分の力量を知り、本務を知つて、それに全力をそそぐことである。ゆえまさしく信義を行はうと思へば、最初にづ自分の行はうとする內容が、自分の現在の力量で出來るか出來ないかといふてんを詳細に考慮するのが最も賢明である。自分の力量をも計らず、事の成否せいひなどは漠然と想像しただけで、深い考へもなしにこれを引受け、次第にきさしならない關係かんけいとなり、その約束を守り信義を立てようとすれば遂に進むことも退くことも出來ず、の立場に身を置いてよいものか五里霧中りむちゅうに迷ひ苦しむこともある。しかもその時に至つて後悔してもすでにおそい、何の甲斐もなくなつてしまふ。ゆえちんづ事に著手ちゃくしゅする以前に、その事が道にがっしてゐるかいなか、義理にそくしてゐるかいなかを緻密ちみつに詳細に、あるいは繰り返し繰り返し考へ、自分等の言ひ合つたことは結局實行じっこう出來ないと知り、行はうとしたことは自分の本分ほんぶんつく所以ゆえんでないとさとつたら、速刻そっこく之を中止し、一歩も進まない方がよいと思ふ。

 いにしえから、一の約束事、すなわち小さい、枝葉しようの信義を守るため、人間としての道德どうとくの根本である君父くんぷつく大義たいぎの意味を誤り、又は人間がづ第一に行はなければならない大道だいどうすなわきみちゅうおやこうなるべき至情しじょうを正しく理解出來ず、いたずらに感情にせて一たん目前もくぜんの小さい信義を立てんがめに才能・知識のすぐれた者共ものどもしくも不慮の災難につて、身を滅し、死後その醜名しゅうめいを永くつたへた例が少くない。かう考へると再びそのてつを踏まないやう、注意せずにゐられようか。

【備考】古來こらい、「武士の意氣地い き じ」といふ語があつて、順逆じゅんぎゃく如何いかんかかわらず一たんの約束のために、一身を犠牲とするものがある。それが大義たいぎがっしてゐる場合はよいが、大義たいぎに反した場合は、たとへ、意氣地い き じを立て通したとしても汚名おめいまぬがれない。かの侠客きょうかくなどのうちにも、一たんの約束から目的が正しくないことにじゅんずるものもあつて、その一生を誤つた例が往々おうおうある。したがつて軍人は、いつも、大義たいぎ名分めいぶんといふことを第一に心がけねばならぬ。そのためにはすべてを捧げる覺悟かくごを要する。かうしてから、先輩・朋友ほうゆうまじわるにあたつて、信義を以てし、そのすべての人々にたいし、信義を守つてゆくことは、順序として當然とうぜんのことである。すなわ公人こうじんとしての信義、個人としての信義、この二つを守つてゆくことが、軍人の本務である。公人としての信義は、大義名分を標準とし土臺どだいとして、飽迄あくまでそれにそむかぬやう、これを身に行ひ、心にめいずる。個人としての信義は、先輩・友人その他、對人たいじん關係かんけいにおいて情誼じょうぎを重んじ、固く約束を守り、いささか虛僞きょぎおちいらぬやうにする。このりょう方面の信義をまっとうすることが肝要かんようである。足利あしかが尊氏たかうじの如きは、武將ぶしょうとして、大きい財器ざいきを備へたが、大義名分を誤つために、後世こうせい史家し かの非難をまぬがれない。れは、その部下に向つては信義の人だつたかも知れないが、公人こうじんとしては、大義名分にそむいた以上、信義をまっとうしたといふことが出來ない。またさい三、南朝なんちょうがたあざむいた如きは、れの缺點けってんである。いついかなる場合にも、公人としての信義すなわち大義名分にじゅんずることが第一義である。個人としての信義は、その次ぎにきたるべきだと思ふ。かの幕末の志士し しで、尊王そんのう攘夷じょういのために一身を捧げた梁川やながわ星嚴せいがん梅田うめだ雲濱うんぴんらい三樹さんき橋本はしもと左內さない春日かずが潜庵せんあん吉田よしだ松陰しょういんらの人々は、大義名分に徹底してゐた。彼等は公人としての信義をまっとうし得た。當時とうじ、自分の生命がしいめに、勤王きんのう盟約めいやくからだっしたものもあるが、左樣そ うした人は、公の信義を破つたものとして、後世こうせい史家し かから嘲笑ちょうしょうされてゐる。ゆえづ公人としての信義を第一とせねばならない。更に個人としての信義においては、荒木あらき村重むらしげを救ひ出さうとした豐臣とよとみ秀吉ひでよし村重むらしげとが互ひに信義を重んじ合つたことなどは一個の美談である。からざんせられため、むなく主人織田お だ信長のぶながたいして、背叛はいはんした村重むらしげの一身を憂へ、單身たんしん村重むらしげうて、そのはん押留おしとどめたのは秀吉である。が、村重は聞入れない。その時村重しんは、「信長の片腕たる秀吉を殺せ」と迫つたが、村重は友人として、信義を重んじ、快く酒くみ合つて別れた。すなわち彼等が個人としての信義を失はなかつたところは殺風景な戰國せんごく時代にれに見る美しい心を示してゐる。