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44-1 陸海軍軍人ニ下シ給ヘル勅諭 明治天皇(第百二十二代)

陸海軍りくかいぐん軍人ぐんじんくだたまヘル勅諭ちょくゆ(第一段)(明治十五年一月四日 法規分類大全)

【謹譯】くに軍隊ぐんたいハ、世々よ よ天皇てんのう統率とうそつたまところニソアル。むかし神武じんむ天皇てんのうツカラ大伴おおとも物部もののべつわものトモヲひきヰ、中國なかつくにノマツロハヌモノトモヲたいらケ、高御座たかみくらカセラレテ、天下あめがしたシロシメシたまヒシヨリ二千五百ゆうねんヌ。あいださまうつかわルニしたがヒテ、兵制へいせい沿革えんかくまた屢々しばしばナリキ。

【字句謹解】◯我カ國 これは諸外國にたいして我が日本を親しんで呼んだことば ◯軍隊 我が陸海軍の軍人を指したもの、たい多數たすうが集つて統一ある規定を遵奉じゅんぽうするものをいつたことば ◯統率 支配し統一する、ひきゐる意 ◯昔神武天皇 人皇じんのう第一代の神倭磐余彥天皇かむやまといわれひこのすめらみことを申したてまつる ◯躬ツカラ 御自身が率先して軍隊を支配されること ◯大伴 おほとも、だいの意、伴侶はんりょの意で、軍隊のこと。歷史的れきしてきれば天忍日命あめのおしひのみこと玄孫げんそんあた道臣命みちのおみのみこと神武じんむ天皇の時に大伴おおとも及び久米部く め べを率ゐて從軍じゅうぐんしてこうがあり、後に繁榮はんえいして大伴おおとも佐伯さえき兩氏りょうしとなり、世々よ よ近衞このえ武職ぶしょくつかさどつたとつたへられてゐる ◯物部 もののべのは兵器の意で、武器をたずさへる部族を物部もののべといつた。後世こうせい武士をといふのも、その轉化てんかだとしょうされる。これも歷史れきしあらはれるところでは饒速日命にぎはやひのみことから出たので、天孫てんそん降臨こうりんに先立つて大和地方に勢力があつたが、神武じんむ天皇大和やまと平定へいていあたつて長髓彥ながすねひこを殺してくだり、その後世々よ ようち物部もののべを率ゐて近衞このえの事をつかさどつた ◯中國 葦原中國あしはらのなかつくにの意で、靑山せいざんが四しゅうしてゐる大和國やまとのくに全部を意味し、時には全日本をも指すことがある ◯マツロハヌモノ 服從ふくじゅうしない賊徒ぞくと ◯高御座ニ卽カセラレ たかは高くとうといこと、敬稱けいしょうくらはその居所きょしょの意。高い座居いどころ天皇御卽位ごそくいの時にかせたまふもの、一てんして天位てんいうけぐことをいふ。〔註一〕參照 ◯天下シロシメス 天下は文字通り全世界の意、ここでは日本全國を統治されること ◯二千五百有餘年ヲ經ヌ 明治十五年は皇紀こうき二五四二年に相當そうとうする、ゆえにこの御言葉みことばがあらせられた ◯世ノ樣 世の中の樣子ようす、主として政治上の變化へんかを指す ◯兵制ノ沿革 陸海軍の制度にかんする由來ゆらい變遷へんせんなどのこと ◯亦屢々ナリキ 數度すうど變化へんかした。

〔註一〕高御座ニ卽カセラレ 天皇大和やまと橿原かしはら卽位そくいましましたことは

(一)かれかくのごと、あらぶる神等かみらことけやはし、まつろはぬ人どもをはらたいらげたまひて、畝火之うねびの白檮原宮かしはらのみやにましまして、天下あめのしたしろしめしき。—『古事記中卷ちゅうかん

(二)辛酉年かのととりどしはる正月庚辰かのえたつついたち天皇橿原宮かしはらのみやにあまつひつぎしろしめす。とし天皇元年がんねんとなす。正妃せいひとうとびて皇后こうごうとなしたまふ。—『神武じんむ』元年

(三)かくて天下てんかことごとたいらぎにしかば、大和國やまとのくに橿原かしはらに都を定めて宮作みやづくりす。その制度天上てんじょうごとし。天照大御神あまてらすおおみかみよりつたたまへる三しゅ神器しんきを、大殿たいでん安置あんちし、ゆかを同じくしまします。皇宮こうぐう神宮じんぐう一なりしかば、國々くにぐに御調物みつぎものをも、齋藏いみくらおさめて、官物かんもつ神物しんもつのわきだめなかりき。—『神皇じんのう正統記しょうとうきかん

(四)元年がんねん辛酉かのととり、春正月庚辰かのえたつついたち天皇くらい橿原宮かしはらのみやく。時にとし五十二。—『大日本史だいにほんし本紀ほんぎ第一

などで重要性を知る。

【大意謹述】我國わがくにの軍隊は、本來ほんらい何時い つの世にも天皇の直接指揮にしたがはなければならない性質のものである。昔、人皇じんのう第一代の神武じんむ天皇が、御自身で大伴部おおともべ物部もののべといつた直屬ちょくぞくの軍隊を引率され、大和やまと地方の賊を全部平定し、橿原かしはら卽位そくいましまして天下を御統治ごとうちあられてから、すでに二千五百年以上をてゐる。この長い間に、政治上にもいろいろな改革が行はれ、陸軍の制度の上にも變化へんか・推移を見たのは一度や二度ではなかつた。

【備考】右の勅諭ちょくゆ連關れんかんして二三の注意てんしるし、讀者どくしゃ參考さんこうとしたい。第一に勅諭ちょくゆ訓諭くんゆ訓誡くんかいの意を持つてゐる。御言みことば大御言おおみことばしょうちょく宣命せんみょう宣旨せんじ綸旨りんし御辭ぎょじ口宣こうせん詔勅しょうちょく勅書ちょくしょ勅旨ちょくし勅語ちょくごなどとは幾分いくぶんことなり、勅諭ちょくゆとあるのは、當時とうじでは、明治十四年十月に下賜か しせられた國會こっかい開設のみことのりとこれのみである。

 第二に軍人勅諭ちょくゆの內容がたんに陸海軍軍人のみの寶典ほうてんとどまらないことである。我國では上古じょうこ以來いらい兵馬へいば大權たいけん天皇掌握しょうあくされる所で、事情の如何いかんかかわらず、臣下しんかゆだねられない。ところが中世以後支那し なの制度を模倣もほうしたため、武家專權せんけんの原因を招き、次いで七百年間に及ぶ武家政治は、我國建國けんこく精神せいしんもとてんがあり、おそおおくも皇祖こうそ皇宗こうそう遺訓いくんそむたてまつてんもあつた。さいわ仁孝にんこう孝明こうめい天皇御威德ごいとくによつて積年せきねん弊風へいふうを一掃し、明治天皇治世ちせいつて、文武ぶんぶ大權たいけんいにしえ通り天皇した今日こんにち、國民は大義たいぎ名分めいぶんを理解したであらうと思はれる。したがつて今後永久に天皇親政しんせいじつげるには、大元帥だいげんすいであらせられる陛下が全國民と共に國運こくうんの進展にこころざよしを明らかにされ、特に國民によつて編制された陸海軍軍人に向ひ、軍人勅諭ちょくゆに於てその精神せいしんとする忠節ちゅうせつ禮義れいぎ武勇ぶゆう信義しんぎ質素しっそなどの五箇條かじょう德目とくもく列擧れっきょ說明せつめいされて、最後にこれらがすべまことの心にしなければならないと訓示くんじされてゐる。國民皆兵かいへいの制度のもとには武人ぶじん農工商のうこうしょうの人々との區別くべつは消え去る。我が建國けんこく大精神だいせいしん兵馬へいば大權たいけんの所在・軍制の成立した所以ゆえん天皇と軍人との關係かんけい・國家の危急ききゅう存亡そんぼうかんする要因・一般軍人の守るべき精神せいしん・軍人の日常行動の標準などを知る事については國民全部の常識とまでそれがならねばならない。ゆえに我が國防こくぼうの第一線に立つ陸海軍に關係かんけいする人々は勿論もちろん、直接それに關係かんけいのない一般國民、特に婦女子ふじょしに至るまで、いやしくも日本國家に生れて、おお御稜威み い づもとに生活をしてゐる以上、軍人と同一の精神せいしんを以てこの勅諭ちょくゆ拜誦はいしょうする必要がある。日本國民はこの勅諭ちょくゆに接して、我が國體こくたい・皇室にかんする正しい知識を養ひ、大義たいぎ名分めいぶんの重んずべきを知り、君國くんこくたいする國民の義務をまっとうし、子々し し孫々そんそんに至るまで忠實ちゅうじつ服從ふくじゅうしなければならない。

 それから明治二十八年五月十三日の官報かんぽう上ではっせられた『陸海軍軍人ニ下シ給ヘル勅語ちょくご』がある。陛下はそのうち本勅諭ほんちょくゆに示された五箇條かじょうの軍人精神せいしん日淸にっしん戰役せんえき中に效果こうかを現はした事實じじつかんして御言葉みことばたまはつてゐる。ゆえにこの兩勅りょうちょくの間に連關れんかんがあるから彼是かれこれ參照さんしょうすべきである。なほ日露にちろ戰役せんえき後、日獨にちどく戰役せんえき後、大正天皇御卽位ごそくい直後・今上きんじょう天皇御卽位ごそくい直後にも同じく軍人にたいする優渥ゆうあく勅語ちょくご勅諭ちょくゆくだされてゐる。