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33-2 德川幕府親征ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

德川とくがわ幕府ばくふ親征しんせい勅語ちょくご(第二段)(明治元年二月二十八日 太政官日誌)

【謹譯】しかルニ德川とくがわ慶喜よしのぶ不軌ふ きはかリ、天下てんか解體かいたいつい騒擾そうじょうおよヒ、萬民ばんみん塗炭とたんくるしみおちいラントス。ゆえちんムヲス、斷然だんぜん親征しんせいけっセリ。

【字句謹解】◯德川慶喜 德川十五代將軍のこと。〔註一〕參照 ◯不軌ヲ謀リ しんとしてあるまじき謀計たくらみすこと。朝廷の命に服しない意。〔註二〕參照 ◯天下解體 天下が統一出來ず、人心じんしんがばらばらになること ◯騒擾 さわぎみだれる ◯塗炭ノ苦 水火すいか、民が生活についてこの上もなく苦しむ意 ◯親征 陛下御自身で朝敵ちょうてきを征服されること。ただしこの場合は有栖川宮ありすがわのみや熾仁親王たるひとしんのう東征とうせい大總督だいそうとくに任じ、西郷さいごう隆盛たかもり參謀さんぼうとして慶喜よしのぶ追討ついとうした。「親征しんせい」とあることに注意。

〔註一〕德川慶喜 鳥羽と ば伏見ふしみの一戰にけた慶喜よしのぶは、松平まつだいら容保かたもり松平まつだいら定敬さだあきと大阪から夜にじょうじて海路かいろ江戸にり、寛永寺かんえいじ屛居へいきょして深く謹愼きんしんの意を表した。朝廷は慶喜等の官職かんしょくを削り、きゅう幕領ばくりょう直隷ちょくれいとし、堂々として東征とうせいの軍を進めたので、江戸市中は不安の絕頂ぜっちょうに達し、流言りゅうげんみだれ飛ぶ有樣ありさまだつた。時に幕臣ばくしん勝安芳かつやすよし山岡やまおか鐡太郞てつたろう等は、最後の一戰を決意したきゅう幕臣ばくしんしずめると共に、他方、西郷隆盛さいごうたかもり等とはかり、慶喜恭順きょうじゅんじょうをのべ、進軍をめるやううた。西郷も二人の熱誠ねっせいに動かされ、つ江戸市民の心持こころもちをも考慮して各方面に奔走ほんそうした末、遂に江戸進軍を中止し、慶喜の死をゆるして水戸み とゆうし、江戸城及び軍艦・兵器を事なく、皇軍こうぐんの手におさめる契約が成立つた。德川宗家そうけ田安たやす家達いえさとぎ、駿河するが遠江とおとうみ陸奥む つの地、七十萬石まんごくりょうすることになつた。

〔註二〕不軌ヲ謀リ 慶喜よしのぶ會津あいづ藩主はんしゅ松平まつだいら容保かたもり桑名くわな藩主松平まつだいら定敬さだあき等のげんを用ゐ、明治元年正月に討薩とうさつ名目めいもくとして入京にゅうきょう官軍かんぐん鳥羽と ば伏見ふしみに一戰したこと。

【大意謹述】ちん勵精れいせいを計るにもかかはらず、現在德川とくがわ慶喜よしのぶは朝廷の命令にしたがはず、伏見ふしみ鳥羽と ばの一戰に敗れて江戸に逃げかえつた。このめ天下は解體かいたいしようとして、騒亂そうらん惹起ひきおこすに至つた。それにつれて國民の生活は非常に困難となり、彼等は深い苦痛を味はつてゐる。このゆえに朕はむをず、ここに意を決して騒亂そうらんもとたる朝敵ちょうてきを一掃することにした。

【備考】朝廷において、德川とくがわ慶喜よしのぶ征討せいとう大號令だいごうれいはっせられたのは、一月七日(慶應四年・明治元年)のことである。いで十日、朝廷では、德川慶喜松平まつだいら容保かたもり松平まつだいら定敬さだあき大河內おおこうち正質まさただ永井ながい尙志なおむねら二十七人の官位かんい褫奪ちだつし、慶喜を征討するの令を京都三條及び荒神口こうじんぐちの二方面に掲示された。同時に他の一方では政府の組織を整へ、一月十七日、總裁局そうさいきょく首腦しゅのうとする神祇しんぎ內國ないこく外國がいこく・陸海軍・會計かいけい・刑法・制度の七局を設定、議定ぎじょうが各方面を分擔ぶんたん總理そうりすることとなつた。

 それから、二月三日には、車駕しゃが二條城にじょうじょう太政官だじょうかんだいみゆきせられ、德川とくがわ慶喜よしのぶたいする親征しんせい大號令だいごうれいはっせられた。主として、この事にあずかつたのは、三條さんじょう實美さねとみ岩倉いわくら具視ともみ大久保おおくぼ利通としみちらだつた。いで朝廷では二月九日、有栖川宮ありすがわのみや熾仁親王たるひとしんのう東征とうせい大總督だいそうとくに任じ、京都を出發しゅっぱつせしめられた。が、民間では、いろいろの浮說ふせつが行はれ、人心じんしんはまだ安定しない。二月二十八日にはっせられた勅語ちょくご御趣旨ごしゅしを一般士民しみんに了解せしめるため、三月十五日、左の如き御沙汰ご さ たが出たのである。

  今般こんぱん王政おうれいしん萬機ばんき朝廷よりおおいだされそうろうついては、皇國內こうこくない遠邇えんじとなく、蒼生そうせい安堵あんどいたし候樣そうろうよう日夜にちや憂慮ゆうりょあらせられ、斷然だんぜん御親征ごしんせい行幸ぎょうこうおおでられ、ほ海軍整備、天覽てんらんあそばされ、平定の上すみやかに還御かんぎょあらせられ、おおい列聖れっせい神靈しんれい奉安ほうあんなされ深重しんちょう思食おぼしめしつき上下しょうか心得こころえちがいこれなきやう、名々めいめいぶんつくすべく御沙汰ご さ た候事そうろうこと

  ただ億兆おくちょうきみたる天職てんしょくつくさせられ、御親征ごしんせい行幸ぎょうこう仰出おおせいだされ候處そうろうところくわしき御趣意ごしゅいべんぜざるものども只々ただただ朝廷の御上おんうえあんたてまつ候故そうろうゆえか、あるいは一家の盛衰せいすい目前の榮利えいりあいかんがえ候故そうろうゆえか、全體ぜんたい御危急ごききゅうを知らず、種々しゅじゅ浮說ふせつ申唱もうしとなへ、彼是かれこれ疑惑を生じ候儀そうろうぎもこれあるやに相聞あいきこへ、はなはだ以て如何いかんの事に候條そうろうじょう急度きっと安堵あんど致し、生業せいぎょういとなむべく候事そうろうこと

 以上の如く、天下の大局たいきょくを知らず、大義たいぎ名分めいぶんについて、徹底したてんに迄達しない士民しみんに向ひ、慰撫い ぶの御言葉をたまわつたのである。ここ明治天皇が國民生活の安定といふことを第一とせられた思召おぼしめしのほどを十分拜察はいさつすることが出來る。