30 陸奥に下し給へる勅符 朱雀天皇(第六十一代)

陸奥むつくだたまへる勅符ちょくふ(本朝文粹)

蝦夷之起、見表具之。須大興諸國之兵、早以罰滅。然而費中國而資夷狄、代已以剌之。耗倉廩而批遐荒、後者亦未爲可。加之蠻貃之情、非法禁之所用。狼戻之膽、宜彝倫之所施。宜以威嚴制其外、以仁義懷其內。

【謹譯】蝦夷え ぞおこれることは、ひょうこれつぶさにせり。すべからおおい諸國しょこくへいおこし、もっばっほろぼすべし。しかしかして中國ちゅうごくついやして夷狄いてきするは、すでもっこれそしれり。倉廩そうりんこうして遐荒かこうつは、のちものまたいまなりとせず。加之しかのみならず蠻貃ばんぱくじょう法禁ほうきんもちゆるところにあらず。狼戻ろうれいたん彝倫いりんほどこところべんや。よろしく威嚴いげんもっそとせいし、仁義じんぎもっうちなづくべし。

【字句謹解】◯ 上奏文じょうそうぶん、例によつて陸奥む つからの上奏文のこと ◯中國を費して夷狄に資す 未開の賊軍をほろぼすために本國の資財を全部費すこと ◯倉廩を耗して 米倉こめぐらからつぽにする ◯遐荒を批つ 遠方を征伐する ◯後の者 後世の人々 ◯蠻貃の情 未開な賊の性質 ◯法禁 法をげんにして犯す者を重罰じゅうばつする定め ◯狼戻の膽 未開な性質で、人倫じんりんなど少しも知らない心の意。狼戻ろうれいは狼のやうに慘虐ざんぎゃくな心 ◯彝倫 人倫じんりんおしえ ◯其の外を制し 外部から制禦せいぎょする ◯仁義 仁愛と義理 ◯其の內を懷く 仁義じんぎで內部から蕃人ばんじんの心をやわらげなつかせる。

【大意謹述】東北の蝦夷え ぞ今囘こんかいも朝廷の命に背いた事情に就ては、上奏文じょうそうぶんて詳細に知つた。ただちに諸國から大兵をおこして、少しも早く誅罰ちゅうばつを加へなければならない。しかし我が本國の全部の物を費して迄も未開な朝敵ちょうてきを討つのは、すでに前代の人々が非難したところであり、朝野ちょうや米倉こめぐらからにして遠方の未開人を征伐すれば、必ず後世から異議が出るに相違そういない。その上、未開人の氣持きもち嚴格げんかくな法律でおどかしても分るものでなく、狼のやうに人倫じんりんなどを少しも知らない彼等の心に、人倫じんりんいてへたとて何の效果こうかがあらう。ゆえにこれを鎭壓ちんあつする方法としては皇軍こうぐん威武い ぶを以て堂々とたたかひ、かちそとに制し、仁愛じんあいの心と大義たいぎ名分めいぶんとをよく分らせるやうにして、うちやわらげるといつた、兩方りょうほうの策を一時に用ゐなければ成功するものではない。

【備考】威嚴いげん仁義じんぎ征夷策せいいさくの根本は、この二つにある。威嚴いげんのみを以てすれば、夷族いぞくは恐れて、內實ないじついつ迄も反抗心を去らない。ゆえ仁義じんぎを以ておもむろに敎化きょうかし、彼等を文明化することが、最終の勝利となる。このてん桓武かんむ天皇おおいつとめられ、蝦夷え ぞ敎化きょうかし、撫愛ぶあいされたのであつた。朱雀すざく天皇におかせられても、桓武かんむていと同一方針をここ宣示せんじされたのである。