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29 出羽國司に下し給へる勅 陽成天皇(第五十七代)

出羽國司でわのこくしくだたまへるみことのり(元慶二年五月 三代實錄)

近日夷虜凶逆殘害不止。雖有軍興俄難殄滅。仍以右中辨正五位下藤原朝臣保則、兼任彼國權守。宜軍機事從其指撝、莫爲逋逃以失警備。

【謹譯】近日きんじつ夷虜いりょ凶逆きょうぎゃく殘害ざんがいまず。ぐんおこるありといえどにわか殄滅てんめつがたし。すなわ右中辨うちゅうべんしょうげの藤原朝臣ふじはらのあそみ保則やすのりもって、くに權守ごんのかみ兼任けんにんせしむ。よろしく軍機ぐんきこと指撝し きしたがひ、逋逃ほとうをなして、もっ警備けいびうしなふことなかれ。

【字句謹解】◯夷虜 は東方の未開人みかいじんのことで我が東北にゐる蝦夷え ぞの意 ◯凶逆殘害 凶逆きょうぎゃくは言語にぜっした不倫ふりん行爲こうい殘害ざんがいの人々をいろいろに苦しめなやます行爲こうい ◯軍興る 軍勢ぐんぜいさかんにおこ攻擊こうげきを開始す ◯殄滅 全滅させる ◯右中辨 べん太政官だじょうかんぞくする官名かんめい、八しょうの事務を分擔ぶんたんし、文書のうけけ又は國司こくし朝集ちょうしゅうの事などをつかさどる。これは左右に分れ、大中小の別があつたので右中辨うちゅうべんは、右中うちゅうで地位を、べん官職かんしょくを示したことになる ◯藤原保則 右大臣繼繩つぎただ曾孫そうそん。〔註一〕參照 ◯權守 國司こくしの上に立つ臨時長官の意 ◯軍機の事 戰爭せんそうに就ての一切 ◯指撝 指揮と同じ、進退の相圖あいずをすること ◯逋逃 罪をのがれるとの意から一てんして上官の命をほうじないことになる。

〔註一〕藤原保則 貞觀じょうがん八年に備中權介びっちゅうごんのすけとなり、理想的な仁政じんせいで民に臨んだので、管內かんないは非常によく治まつた。同十三年備中守びっちゅうのかみとなり、十六年備中權守びっちゅうのごんのかみに命ぜられ、十九年には右中辨うちゅうべんとなつた。このかんに民は父母のやうに保則やすのりを慕つたといはれてゐる。陽成ようぜい天皇元慶げんきょう二年には本勅ほんちょくにある如く出羽國でわのくに權守ごんのかみに任ぜられ、鎭守將軍ちんじゅしょうぐん小野春風おののはるかぜもと蝦夷え ぞせいし、渡島としま(北海道)まで渡つて、前代に未だ歸服きふくしない者までをも內屬ないぞくせしめて殊功しゅこうを立てた。その後播磨はりま讃岐さぬき國守こくしゅ歷任れきにんし、參議さんぎ近江權守おうみのごんのかみとなり、更に民部卿みんぶきょうを兼ねて、寬平かんぴょう七年七十一歳でそっした。のち、大正四年十一月に至り、しょうを贈られた。

〔注意〕陽成ようぜい天皇御代み よ出羽國でわのくにに下されたみことのりを左に列擧れっきょする。

(一)出羽國に下し給へる勅符(元慶二年三月、三代實錄)(二)出羽國司藤原興世に報ずるの勅符(元慶二年四月、三代實錄)(三)出羽國に下し給へる勅符(元慶二年四月、三代實錄)(四)出羽國司に下し給へる(元慶二年五月、三代實錄)(五)出羽國に下し給へる勅(元慶二年六月、三代實錄)(六)出羽國に下し給へる勅(元慶二年七月、三代實錄)(七)出羽國に下し給へる勅(元慶二年八月、三代實錄)(八)出羽國に下し給へる勅(元慶二年九月、三代實錄)(九)出羽國に下し給へる勅(元慶二年十月、三代實錄)

【大意謹述】近頃になつて東北の蝦夷え ぞ人倫じんりんに外れた行爲こういをなし人々をなやますことが再び多くなつた。それにたいし、軍をおこして攻擊こうげきを加へても、惡勢あくせいが强くて全滅はがたい情勢にある。そこでちん今囘こんかい徹底的に蝦夷え ぞを征服するため、右中辨うちゅうべんしょう位下い げ藤原朝臣ふじはらのあそみ保則やすのりをして出羽國權守でわのくにのごんのかみを兼任させることにした。征伐にかんする萬事ばんじの指揮はしたがはなければいけない。命にしたがはないで警備のじつを失つた者は相當そうとう處罰しょばつ覺悟かくごせよ。