22-2 北陸道に警虞を命ずるの勅 光仁天皇(第四十九代)

北陸道ほくりくどう警虞けいぐめいずるのみことのり(寶龜十一年七月 續日本紀

其の二

賊船率來、著我邊岸者、當界百姓、執隨身兵、竝齎私糧、走赴要處、致死相戰、必待救兵。忽作逗留、令賊乘間。

【謹譯】賊船ぞくせんあつまきたり、邊岸へんがんちゃくせば、當界とうかい百姓ひゃくせい隨身ずいしんへいり、ならび私糧しりょうもたらして、はしりて要處ようしょおもむき、いたしてあいたたかひ、かなら救兵きゅうへいて。逗留とうりゅうをなして、ぞくをしてひまじょうぜしむることなかれ。

【字句謹解】◯我が邊岸 我國の主要な海岸線附邊ふへん ◯當界の百姓 その土地の人民の意、百姓ひゃくせいはあらゆるかばねを持つた人々で、當時とうじ一般人民に使用された語である ◯隨身の兵を執り 自分にぞくしてゐる者や武器を持つ意 ◯私糧を齎して 各家の食糧しょくりょうを持ち出す ◯要處 要害ようがいの場所 ◯逗留 躊躇ちゅうちょしてゐること ◯間に乘ず すきじょうじられて味方が不利になる意。

【大意謹述】賊船ぞくせんが多く集つて我が重要な海岸線に近い場所にいた時には、その附邊あたりの人民は、自己にぞくした者をひきゐ武器を執つて、各家の粮食りょうしょくを持ち出し、一刻も早く要害ようがいの場所におもむくがよい。かくして生命を犠牲にして戰ひ、相手を少しも我が土地に侵入させないやうに努力して、救援隊のくのを待つべきである。いたずらに躊躇ちゅうちょして賊の元氣をさせるのは全然禁物である。