20 諸國警固の勅 光仁天皇(第四十九代)

諸國しょこく警固けいごみことのり(寶龜十一年七月 續日本紀

安不忘危古今通典。宜仰緣海諸國、勤令警固。其因幡伯耆出雲石見安藝周防長門等國、一依天平四年節度使從三位多治比眞人縣守等時式、勤以警固焉。又太宰宜依同年節度使從三位藤原朝臣宇合時式。

【謹譯】やすらかにしてあやうきわすれざるは古今ここん通典つうてんなり。よろしく緣海えんかい諸國しょこくおおせ、つとめて警護けいごせしむべし。因幡いなば伯耆ほうき出雲いずも石見いわみ安藝あ き周防すおう長門ながととうくには、一に天平てんぴょう四年節度使せつどしじゅ多治比眞人たじひのまひと縣守あがたもりときしきり、つとめてもっ警固けいごすべし。また太宰だざいよろしく同年どうねん節度使せつどしじゅ藤原朝臣ふじはらのあそみ宇合うまかいときしきるべし。

【字句謹解】◯安らかにして危を忘れざる に居てらんを忘れない意、國家が安全な時に際して、非常時の用意を忘れないこと。〔註一〕參照 ◯古今の通典 古今を通じての法則 ◯緣海諸國 海に面した諸國 ◯節度使 天平てんぴょう四年に東海とうかい東山とうさん山陰さんいん西海さいかいの四どうに始めて置かれた職で、職掌しょくしょうは兵士及び子弟してい水手か こ官船かんせんとう檢定けんていし、弓馬きゅうばを起し、陳列を調習し、兵器を作るなどのことをする者 ◯多治比眞人 左大臣しまの子で、養老ようろう元年とうに赴き、歸朝きちょうしょう武藏守むさしのかみとなる。同四年に陸奥む つ蝦夷え ぞ反し、按察使あ ぜ ち上毛野廣人かみつけぬのひろひとを殺すほうが達すると、眞人まひと持節じせつ征夷せいい將軍に任ぜられて之を平定し、天平四年には中納言はいし、じゅ山陰道さんいんどう節度使せつどしとなつた。同九年七十歳でそっした ◯藤原宇合 藤原房前ふじはらふささきの弟、不比等ふ ひ との子である。元正げんしょう天皇御代み よ遣唐けんとう副使ふくしとなり、歸朝きちょう常陸ひたちのかみの任じ、式部卿しきぶきょうとなり、神龜じんき元年持節じせつ大將軍となつて陸奥む つ蝦夷え ぞを平定し、天平四年西海道さいかいどう節度使せつどし太宰帥だざいのそつに任ぜられた。同九年に四十四歳で卒去そっきょ

〔註一〕安らかにして危を忘れざる 天下泰平とは言ふものの、渤海ぼっかいこくとの關係かんけい蝦夷え ぞ種族の南下などで相當そうとう朝廷は緊張してゐたので、〔注意〕に示すやうに、詔勅しょうちょく上からても、この寶龜ほうき年間の軍事は多端たたんだつた。

〔注意〕光仁こうにん天皇寶龜ほうき年間にはっせられた軍事にかんするみことのりを左に列擧れっきょする。

(一)逆黨ぎゃくとう原宥げんゆうするのみことのり(元年十一月、續日本紀)(二)蝦夷え ぞ征伐せいばつするの勅(五年七月、續日本紀)(三)坂東ばんどうこくに下し給へる勅(五年八月、續日本紀)(四)鎭守ちんじゅ將軍しょうぐん功勳こうくん嘉尙かしょうするのみことのり(六年十一月、續日本紀)(五)陸奥むつのくにに下し給へる勅(十一年二月、續日本紀)(六)出羽國でわのくにに下し給へる勅(十一年五月、續日本紀)(七)坂東ばんどう諸國しょこくほしいいそなふるの勅(十一年五月、續日本紀)(八)蝦狄かてきつの勅(十一年五月、續日本紀)(九)陸奥む つ持節じせつ副將軍ふくしょうぐん大伴益立おおとものましたちに下し給へる勅(十一年六月、續日本紀)(十)諸國しょこく警固けいごの勅(十一年七月、續日本紀)(十一)軍粮ぐんろう運輸うんゆするの勅(十一年七月、續日本紀)(十二)北陸道ほくりくどう警虞けいぐを命ずるの勅(十一年七月、續日本紀)(十三)革甲かっこうを用ゐるの勅(十一年八月、續日本紀)(十四)鎭狄ちんてき將軍しょうぐん阿倍家麻呂あべのいえまろに報ずるの勅(十一年八月、續日本紀)(十五)征東使せいとうしむるの勅(十一年十月、續日本紀)(十六)征東使せいとうしに報ずるの勅(十一年十二月、續日本紀

【大意謹述】平和な時代に居ながら、常に國難こくなんに備へる用意を怠らないのは、時の古今を通じての、正しい態度である。ゆえに現在海に面してゐる諸國に命じ、國防をげんにさせなければならない。の方針は、因幡いなば伯耆ほうき出雲いずも石見いわみ安藝あ き周防すおう長門ながとなどの國々は、すべ天平てんぴょう四年に山陰道節度使せつどしに命ぜられたじゅ多治比眞人たじひのまひと縣守あがたもりなどの時の規定にしたがひ、國防をげんにし、又太宰府だざいふ管轄かんかつ地方は、同年に西海道さいかいどう節度使せつどしとなつたじゅ藤原朝臣ふじはらのあそみ宇合うまかいの時の規定にしたがふのがよろしい。

【備考】にゐてらんを忘れず、やすきにゐてあやうきを忘れずといふことは、治道ちどうの根本で、今日とても矢張やはりかわらない。要するにいつも弛緩しかんしないで、身心しんしん緊張を第一義とすることは、個人も國家も同一である。すなわち國防をげんにすることは、やがて國家の治安にする所以ゆえんで、之を一概に軍國主義視するのは大きい誤りである。