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18-1 惠美押勝誅伐の詔 淳仁天皇(第四十七代)

惠美押勝えみのおしかつ誅伐ちゅうばつみことのり(第一段)(天平寶字八年九月 續日本紀

仲末呂詐姧發、朝廷傾動武止之天鈴印奪、復皇位、先捨岐良比賜天之道祖兄鹽燒皇位仁方、官印、天下諸國告知之米、復云、今承用、先在事承用流己止不得、諸人惑亂、三關使閇、一二軍丁乞、兵發之武

【謹譯】さかしまきたなやっこ仲末呂なかまろいつわかためるこころもっへいおこし、朝廷みかど傾動かたぶけむとして鈴印すずおしでうばひ、また皇位みかどのくらいかそひて、さきてきらひたまひてし道祖ふなどあに鹽燒しおやきを、皇位こういにはさだめつといひて、官印つかさのおしでして、天下てんか諸國くにぐにふみあかけてらしめ、またいわく、いまみことのりもちひよ、さきいつわりてみことのりいいこともちひることざれといひて、諸人もろびとこころ惑亂まどわし、三關みつのせき使つかいりてひそかせきぢ、一二ひとつふたつくに軍丁いくさのよぼろひて、いくさおこさしむ。

【字句謹解】◯逆に穢き奴 朝廷の命に反する下賤げせんな男の意。言ふまでもなく官職かんしょくを奪はれた仲麻呂なかまろを指した ◯仲末呂 藤原仲麻呂ふじはらのなかまろのこと、惠美押勝えみのおしかつとは天皇からたまわつた名である。〔註一〕參照 ◯詐り姧める心 人々をあざむく曲つた心 ◯朝廷を傾動けむとして 朝廷に向ひ叛逆はんぎゃくはかる ◯鈴印 官使かんしが諸國に向ふ時に、朝廷から賜り、路々みちみちれを鳴らしてく鈴。これを持つてゐれば朝廷からの使者であることが判明するので、仲麻呂なかまろは我が子の訓儒麻呂く ず ま ろに命じて奪はしめた ◯捨てきらひたまひてし道祖 道祖王ふなどのおう聖武しょうむ天皇遺詔いしょうつて皇太子の地位にあつたがにゐてれいき、天平てんぴょう勝寶しょうほう九年三月にはいせられた。のち橘奈良麻呂たちばなのならまろ天皇廢立はいりつはかり、ことあらわちゅうせられた ◯鹽燒 一ぽん新田部親王にいたべしんのうの子。〔註二〕參照 ◯官印を押して 官印かんいん近江國おうみのくにに持ちくだり、勝手に私書ししょしたこと ◯告げ知らしめ 鹽燒王しおやきおう皇位こういいたといつわつて諸國に告げしこと ◯三關 天下を守る三ヶ所の重要な關所せきしょ伊勢い せ鈴鹿すずか美濃み の不破ふ わ越前えちぜん愛發あらちを指す ◯一二の國 近江おうみ丹波たんば播磨はりまなどの國のこと ◯軍丁 軍兵ぐんぺいのこと。

〔註一〕仲末呂 藤原仲麻呂ふじはらのなかまろ武智麻呂む ち ま ろの第二子で、淳仁じゅんにん天皇御代み よに姓名を惠美押勝えみのおしかつたまはつた。民部卿みんぶきょうを始め參議さんぎ左京大夫さきょうのたいふ近江守おうみのかみ式部卿しきぶきょう東山道とうさんどう鎭撫使ちんぶし大納言だいなごん紫微令しびのれいなどの官職かんしょくて目ざましく出世し、じゅとなつた。深く孝謙こうけん天皇ちょうを得たが、天平てんぴょう寶字ほうじ元年に皇太子の道祖王ふなどおうはいせられるに及び、自己の女婿じょせい大炊王おおいおう東宮とうぐうに立て、橘奈良麻呂たちばなのならまろなどの反對はんたい者を一掃して、淳仁じゅんにん天皇御代み よには特寵とくちょうこうむり、百かんの目をそばたたせた。やがて仲麻呂なかまろ敵首てきしゅである道鏡どうきょう孝謙こうけん上皇じょうこうちょうを受けて威勢いせいさかんなるに及び、ひそかにこれを除かうと計り上皇に願つて畿內きない・三かん近江おうみ丹波たんば播磨はりまなどの兵事へいじ都督ととくとなつて軍を起した。朝廷からはただちに追討軍をはっせられ、仲麻呂なかまろ越前えちぜんはしつて鹽燒王しおやきおうを立てようとしたが、官軍かんぐん追撃ついげき急で、遂に一族共にちゅうふくした。

〔註二〕鹽燒 鹽燒王しおやきおうに就ては『大日本史』に次の如くある。「氷上眞人ひかみのまひと鹽燒しおやきは一ぽん新田部親王にいたべしんのうの子なり。初め諸王たりしが、天平てんぴょう中、じゅ位下い げに進み中務卿なかつかさきょうとなり、事にして平城へいじょうごくくだされ、伊豆の三島みしまに流されてること四歳にしてかえされ、明年みょうねんしゃくふくせらる。寶字ほうじ元年公卿く げを召して儲貳ちょじす。みないわ鹽燒王しおやきおうまさに立つべしと。ていいわく、先帝せんていむるに無禮ぶれいを以てし給へり。まさに立つべからずと。つい大炊王おおいおうを立てて皇太子となす。すでにして鹽燒王しおやきおうしょう位上いじょうに進み、大藏卿おおくらきょうとなる。橘奈良麻呂たちばなのならまろひそかはかりて、廢太子はいたいし道祖王ふなどのおう黄文王きぶみのおう安宿王あすかべおう及び鹽燒王しおやきおうえらび、立てて以てていとなさんとせしが、こと發覺あらわれて、あるい杖死じょうしあるい遠流えんるせらる。しょうしていわく、鹽燒王しおやきおう、四おうの列にりといえども、しかはかりごとかいせず、また告げられずして緣坐えんざせり。道祖王ふなどのおうまさ遠流えんるあたるべけれども、だ父新田部親王にいたべしんのうの心淸明せいめいにして朝廷に奉侍ほうじしたれば、の門をつに忍びず、ゆえに罪を免ず。今より以後よろしく明直めいちょくを以て朝廷にほうずべしと。二年じゅに進み、姓を氷上眞人ひかみのまひとたまはる。明年みょうねんしょうして意見をのぼらしむ。鹽燒王しおやきおうそうすらく、しんおう已下い かを見るに、春秋しゅんじゅう祿ろくたまふものは、王親おうしんあわれむなり、しかるに今上日じょうじつを計るに、臣姓しんせいことならず。ふ令にりて優給ゆうきゅうし、上日じょうじつけんすることなかれと。奏可そうかす、しきり禮部れいぶ信部しんぶの二きょうて、六年參議さんぎはいせられ、美作守みまさかのかみを兼ね、中納言のぼり、八年文部卿もんぶきょうを兼ぬ。惠美仲麻呂えみのなかまろそむきて鹽燒王しおやきおうを奉じてていとなさんとせしに、仲麻呂なかまろちゅうふくし、鹽燒しおやきまたられたり云々」

〔注意〕孝謙こうけん天皇周圍しゅういめぐつて仲麻呂なかまろ道鏡どうきょうとの御寵おんちょうあらそつたことは、日本史上最も指彈しだんされてゐる事の一つである。道鏡どうきょう帝位ていいうかがつたのはおおいに憎むべきであるが、仲麻呂なかまろの野心の犠牲となつた鹽燒王しおやきおうについては、何人なんびとも同情をしまないであらう。ほこのらんかんしては、本詔ほんしょう以外に

(一)惠美押勝えみのおしかつ官位かんい解免かいめんするのみことのり天平寶字八年九月、續日本紀)(二)官名かんめい復舊ふっきゅうみことのり天平寶字八年九月、續日本紀

がある。

【大意謹述】朝廷のめいそむ下賤げせんな男藤原仲麻呂ふじはらのなかまろは、いつわり曲つた心から擧兵きょへいし、朝廷を傾けようと試みた。仲麻呂なかまろの罪としては、勅使ちょくし證據しょうことなるべき鈴を奪ひ、天皇の位をひそかして、以前皇太子の地位をはいされた道祖王ふなどのおうの兄鹽燒王しおやきおう皇位たてまつつたといつわしょうして、朝廷の官印かんいんを押した文書を勝手に天下の各國につたへ、これこそ本當ほんとうみことのり拜受はいじゅしなければならない、今までみことのりしょうしたものはすべいつわりであるから信用してはならない、といつて諸人しょにんの心を混亂こんらんさせ、鈴鹿すずか不破ふ わ愛發あらちの三せき使つかいつかわしてそれを閉ぢさせ、近江おうみ丹波たんば播磨はりまなどの國から軍兵ぐんぺいを出勤せしめて、らんを起したのである。

【備考】誠實せいじつの心なしに、ただ權勢けんせいのみを追求するものは、到底とうてい永續ながつづきがしない。その例の一つを藤原仲麻呂ふじはらのなかまろの上に見ることが出來る。れは、權勢けんせいの前にまなこくらんで、自己を抑制することを忘れ、ただかるはずみに盲動もうどうしたのであつた。その結果が、よくないことは、はじめから分明わ かつてゐる。