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14 渤海郡王に賜へる璽書 聖武天皇(第四十五代)

渤海ぼっかい郡王ぐんおうたまへる璽書じしょ(神龜五年四月 續日本紀

天皇、敬問渤海郡王。省啓具知、恢復舊懷聿修曩好。朕以嘉之、宜佩義懷仁監撫有境。滄波雖隔不斷往來。便因首領高齋德等還次、付書竝信物、綵帛一十疋、綾一十疋、絁二十疋、絲一百絢、綿二百屯。仍差送使發遣。歸郷漸熱、想平安好。

【謹譯】天皇てんのうつつしみて渤海ぼっかい郡王ぐんおうふ。けいつぶさりぬ、舊懷きゅうかい恢復かいふくして、おおい曩好のうこうおさめんとするを。ちんもっこれよみす。よろしくじんいだいて、有境ゆうきょう監撫かんぶすべし。滄波そうはへだたるといえども、往來おうらいたざらん。便すなわ首領しゅりょう高齋德こうさいとく還次かんじりて、しょならび信物しんもつ綵帛さいはく一十ぴきあや一十ぴきあしぎぬ二十ぴきいと一百綿わた二百づつみし、よっ送使そうしつかわ發遣はっけんす。歸郷ききょうようやねっし、平安へいあんよしみおもふ。

【字句謹解】◯渤海郡王 渤海ぼっかい國王こくおうの意。〔註一〕參照 ◯啓を省て 國書こくしょに接しての意。〔註二〕參照 ◯舊懷を恢復して 渤海ぼっかいは元は高麗こ まの一部であり、高麗こ まと我が國とはかつ使者を往復させたことがあるから、昔のよしみを再びくりかへすと言つたのである ◯聿に曩好を修め 昔の親睦しんぼくを新しくする ◯義を佩び は義理のこと、びは常にそれを忘れぬ意 ◯仁を懷き じん仁恕じんじょで他人に同情する意、いだきはびと同じ意 ◯有境 國內のこと ◯監撫 注意して、よく支配する ◯滄波隔る 海を隔てて遠いこと ◯首領 小村しょうそんおさの地位 ◯還次 歸國きこくする意 ◯ 國書こくしょのこと ◯信物 賜り物 ◯綵帛 五しき絹布けんぷ ◯一十疋 十ぴきの意、ひきとは二たんのこと ◯ 太くあらいとで織つた絹布けんぷ ◯發遣す 派遣すに同じ ◯平安の好を想ふ 國がよく治まり、國內が無事であることを願ふ意。

〔註一〕渤海郡王 渤海ぼっかい靺鞨まっかつぞくで、元來がんらい高麗こ ま附屬ふぞくしてゐたが、我が天智てんち天皇の元年に高麗こ まとうに滅されると、だい祚榮そえいといふ勇敢な人物が獨立どくりつしてみずか震國王しんこくおうしょうし、元明げんみょう天皇和銅わどう六年にとう爵名しゃくめいを受けて渤海郡王ぼっかいぐんおうとなり、國を渤海ぼっかいしょうした。元正げんしょう天皇養老ようろう三年にだい祚榮そえいが死んで、子の武藝ぶげいが立つた。

〔註二〕啓を省て 聖武しょうむ天皇神龜じんき四年に武藝ぶげいこう仁義じんぎなどを來貢らいこうせしめたが、途中で道に迷ひ、アイヌ族のために殺され、首領高齋德こうさいとくなど八人だけが、わずかにのがれて京師けいしり、左の國書こくしょ奏呈そうていした。

 武藝ぶげいもうす。山河さんがいきことにし、國土こくど同じからざれども、風猷ふうゆう延聽えんちょうして傾仰けいぎょうす。しておもんみるに大王だいおう天朝てんちょう、命を受け、日本、もといを開いてより。奕葉えきよう重ねてらして本枝ほんしせいなり、武藝ぶげいかたじけなくも列國れっこくあたり、みだり諸蕃しょはんべ、高麗こ ま舊居きゅうきょふくし、扶餘ふ よ遺俗いぞくたもてり、天涯てんがいみちへだたり、海漢かいかん悠悠ゆうゆうたるを以て音耗おんぼう未だ通ぜず、吉凶きっきょうを問ふことゆるのみ、じんに親しみえんを結ばば、ねがはくば前經ぜんけいかなはん。使つかいを通じとなりへいすること今日こんにちより始めん。謹んで寧遠ねいえん將軍郞將ろうしょうこう仁義じんぎゆう將軍果毅都か き と德周とくしゅう別將べっしょうしゃ航婁こうろう等二十四人をつかはして、てがみもたらし、あわせ貂皮ちょうひ三百ちょうして奏送ほうそうす。土宜ど ぎまずしといえども、もっ獻芹けんきんまことあらわす。皮幣ひへいちんあらず、かえっ掩口えんこうそしりづ、主理しゅりかぎりありて、披膳ひぜん未だせず。時に音徽おんきぎて、なが隣好りんこうあつうせん。

 この使者が翌神龜じんき五年四月に歸國きこくするにあたつて、朝廷では高齋德こうさいとくなど八人に位を授け、じゅ位下い げ引田朝臣ひくたのあそみ蟲麻呂むしまろ送使そうしとして勅語ちょくご武藝ぶげいたまうた。

〔注意〕渤海ぼっかいとの交渉は詔勅しょうちょく史上かなり重要なものとなつてゐる。左に主要なものを列擧れっきょする。

(一)渤海ぼっかい國王こくおうたまへる璽書じしょ孝謙天皇天平勝寶五年六月、續日本紀)(二)渤海國使こくしに下し給へる宣命せんみょう光仁天皇寶龜八年四月、續日本紀)(三)渤海國王に賜へる書(寶龜八年五月、續日本紀)(四)渤海后妃こうひとむらふの書(寶龜八年五月、續日本紀)(五)渤海國使に下し給へるみことのり(寶龜十年正月、續日本紀)(六)渤海鐵利人てつりじん放還ほうかんするのみことのり(寶龜十年九月、續日本紀)(七)渤海人の進表しんぴょう退しりぞくるのみことのり(寶龜十年十一月、續日本紀)(八)渤海國王嵩璘すうりんに賜へる璽書じしょ桓武天皇延曆十五年五月、類聚國史)(九)渤海國王に賜へる璽書じしょ(延曆十七年四月、類聚國史)(十)渤海國王に賜へる璽書じしょ(延曆十八年四月、日本後紀)(十一)渤海國王に賜へる書(嵯峨天皇弘仁六年正月、日本後紀)(十二)渤海國使王孝廉おうこうれん榮爵えいしゃくを贈るのみことのり(弘仁六年六月、日本後紀)(十三)渤海國使こくしに下し給へる宣命せんみょう淳和天皇天長元年二月、類聚國史)(十四)渤海國王に賜へる書(仁明天皇承和九年四月、續日本後紀)(十五)渤海國王に賜へる書(淸和天皇貞觀元年六月、三代實錄)

【大意謹述】日本國の天皇つつしんで渤海ぼっかい郡王ぐんおうに以下のことを告げる。國書こくしょに接して古い交情こうじょうふくし、今後さかんに昔の親しみと同じやうに交際を望まるる旨を知り、喜びに堪へぬ。貴下き かよ、よろしく仁義じんぎの旨をたいして國中こくちゅうをよく支配されたい。兩國りょうこくの間には廣々ひろびろとした大海たいかいが横たはつてゐるけれども、希望通り、今後使者は常にそれを越えて、たがひに快く往復するでせう。今度の使節の高齋德こうさいとくらの歸國きこくついでに、日本の國書こくしょていし、進物しんもつとして、五しき絹布けんぷぴきあや十疋、あしぎぬ二十疋、いと一百綿わた二百づつみの品々を貴使き しを送つてゆく使者たくして進呈しんてい致す。貴使き しかえりつく頃は多分暑熱しょねつこうでせう。使節の無事に到著とうちゃくする事と、國の平和ならん事とをねがふ。

【備考】右の勅書ちょくしょ拜讀はいどくして、「仁義じんぎを以て國を治められよ」と渤海ぼっかい國王こくおうに告げられたところに、崇高すうこうな意味に接するの想ひが起るのである。國際こくさい關係かんけい圓滑えんかつは一に仁義じんぎ精神せいしんを基本とする事によつて實現じつげんせられる。仁義の精神せいしんが、國際間にさかんなれば、世界は平和の寂光土じゃっこうどとなるであらう。

 ところが、昭和の時代に於ける國際關係かんけいを見ると、仁義の精神は、地をはらつて空しいといふ感じがせつに起る。勿論、西洋各國共に、平和を叫び、人道を口にするものの、それは、たんなるごえにすぎない。ひかへると、一體裁ていさいのために用ひてゐる。したがつて、仁義の精神を事實じじつの上に見出すことは、非常にむづかしい。かうした有樣ありさまでは、いかに軍縮くとも、國際こくさい聯盟れんめいを持ちつづけゆくとも、その效果こうかはうすい。したがつて西洋に於ける國際指導精神を改革し、また眞實心しんじつしんを以て互ひに接觸せっしょくし合ふ心持こころもちさかんにすることが、何より必要だとおもはれる。偶々たまたま詔勅しょうちょくはいして、偶感ぐうかん附記ふ きした次第である。