13 大伴旅人を慰問するの詔 元正天皇(第四十四代)

大伴旅人おおとものたびと慰問いもんするのみことのり(養老四年六月 續日本紀

蠻夷爲害自古有之。漢命五將驕胡臣服、周勞再駕荒俗來王。今、西隅等賊怡亂逆化屢害良民。因遣持節將軍正四位下中納言中務卿大伴宿禰旅人、誅罰其罪盡彼巢居、治兵率衆剪掃兇徒。酋帥面縛請命下吏、寇黨叩頭爭靡敦風。然將軍暴露原野、久延旬月。時屬盛熱、豈無難苦。使使慰問、宜念忠勤。

【謹譯】蠻夷ばんいがいをなすこといにしえよりこれあり。かんは五しょうめいじて驕胡きょうこ臣服しんぷくし、しゅう再駕さいがろうして荒俗こうぞく來王らいおうす。いま西隅せいぐうとうぞくらんよろこさからひ、しばしば良民りょうみんそこなふ。つて持節じせつ將軍しょうぐんしょうげの中納言ちゅうなごんけん中務卿なかつかさきょう大伴宿禰おおとものすくね旅人たびとつかわし、つみ誅罰ちゅうばつし、かれ巢居そうきょつくし、へいおさしゅうひきゐ、兇徒きょうと剪掃せんそうす。酋帥しゅうすい面縛めんばくしてめい下吏か りひ、寇黨こうとう叩頭こうとうあらそつて敦風とんぷうなびく。しかれども將軍しょうぐん原野げんや暴露ばくろし、ひさしく旬月じゅんげつぶ。とき盛熱せいねつあたり、あに難苦なんくなからんや。使つかいをして慰問いもんせしむ、よろし忠勤ちゅうきんおもふべし。

【字句謹解】◯大伴旅人 大納言大伴おおとも安麻呂やすまろの子で、元明げんみょう天皇の時にしょう位下い げとなり、靈龜れいき元年には中務卿なかつかさきょうとなり、いで中納言はいし、更に山背攝官やましろのしょうかんとなつた。本詔ほんしょうにある如く太宰府だざいふ隼人はやとが反した時、せい隼人はやと大將軍たいしょうぐんとなつてこうを立て、元明げんみょう天皇の崩じられるや山陵さんりょうの事をかんし、やがて大納言、じゅに進んで天平てんぴょう三年、六十八歳でこうじた。『萬葉集まんようしゅう』中にその和歌があるので、文學史上でも著名な人である ◯漢は五將に命じて かん宣帝せんてい本始ほんし二年秋に御史ぎょし大夫たいふ田廣明でんこうめい以下及び趙充國ちょうじゅうこく田順でんじゅん明友めいゆう韓增かんぞう等五人を將軍として、兵十六萬人まんにんを率ゐて匈奴きょうどたしめた事をいふ ◯驕胡 匈奴きょうどのこと、支那し な西北に住む未開人みかいじん ◯周は再駕を勞して 『左傳さでん』の襄公じょうこう三十一年に「文王ぶんのうすう再駕さいがしてくだりてしんとなる」とあるのにる。すうは國名、は軍をおこす事 ◯荒俗 遠方の未開人のこと ◯來王 四方のえびすの國にて新王しんおう嗣位し いした時、中國ちゅうごくに來てを天子に申す事、夷狄いてきが朝廷になつく意。〔註一〕參照 ◯西隅等の賊 隼人はやとの事 ◯亂を怡び の字は一ぽんとある。この年二月に隼人はやとが反して大隅國守おおすみのこくしゅ陽胡史麻呂やこのふひとまろを殺した事をいふ ◯誅罰 天皇御手おんてで罰する ◯巢居を盡し 根據地こんきょちを一掃する、巢居そうきょは鳥のの如く木を構へて其の上に住む事 ◯兇徒 惡漢あっかんの仲間、隼人はやとを指す ◯剪縛す せんせんと同じでり殺すこと、そうすべてをはらふ意、全部を殺しはらふこと ◯酋帥 酋長しゅうちょうの意で隼人はやとかしら ◯面縛 手を後方にまわして縛られ、絕對ぜったい服從ふくじゅうを誓ふ形容 ◯命を下吏に請ひ おおせのままになるといふ意 ◯寇黨 ぞくの仲間 ◯叩頭 頭を叩いて地につけ罪を謝すること、支那しなふうの形容である ◯敦風に靡く さかんな朝廷の威風いふうに服する意 ◯原野 人跡じんせきまれな廣大こうだいな野原 ◯暴露 日にさらされ露に打たれることで、ひるは戰ひ夜は夜營やえいしておおい艱難かんなんをなめる意 ◯旬月 じゅんは十日間、ここでは月日といふ意味 ◯盛熱 夏の盛り ◯慰問 なぐさめる ◯忠勤を念ふべし 今後一層忠義ちゅうぎつくして職務に忠實ちゅうじつであつて欲しいといふ意。

〔註一〕來王 隼人はやと上古じょうこ大隅おおすみ薩摩さつま地方を本據ほんきょとしてその附近ふきん蕃殖はんしょくした一族で、勇敢なたちからその名を得た。この人種に就ては各說があつて未だ一定してゐない。我が皇室との關係かんけいは古く、文獻ぶんけんとしては『神代紀じんだいき火闌降命ほすせりのみことのことを書いたくだりにあり、允恭いんぎょう天皇の時代に薩摩の隼人はやとが反したので、鎭撫ちんぶにつとめられた記錄きろくがある。そののち京畿けいき地方に移住した者は皇化こうかよくしたが、九州にる者は離叛りはん常なく、薩摩國司さつまのこくしこいれて、國內に柵を立てたこともあつた。本詔ほんしょうにある如く、養老ようろう四年二月に再びはんし、いきおいすこぶ猖獗しょうけつ大隅國司おおすみのこくし陽胡史麻呂やこのふひとまろを殺すに至つた。朝廷はここに於いて大伴旅人おおとものたびと持節じせつ大將軍たいしょうぐんに、笠御室かさのみむろ巨勢眞人こせのまひとを副將軍に任命し、翌年九月に至つてようやく平定するに至つた。その天平てんぴょう十二年藤原廣嗣ふじはらのひろつぐはん隼人はやとの中から加はつた者も少くなかつたが、大體だいたい皇化こうかに服し、所謂いわゆる薩摩さつま隼人はやとの名を後世に示すに至つて、武勇の名を天下にげるやうになつた。

【大意謹述】由來、蠻人ばんじんが王者の命令にしたがはないで良民りょうみんに害をなすことは、何も今に始まつたことではなく、ふるくから例はあつた、それゆえ支那し なに於いてはかん宣帝せんていが五人の有力な將軍に命じて匈奴きょうどを征服させ、しゅう文王ぶんのうは二かいすうといふ國に親征しんせいして未開人みかいじんがやつと王の威力になつき服した、現在、我國の西方のすみに住む隼人はやとは、大擧たいきょして朝廷に反し、國守こくしゅを殺し、良民に害をあたへたことが多い。ゆえちん持節じせつ將軍しょう位下いげの中納言けん中務卿なかつかさきょう大伴宿禰おおとものすくね旅人たびとに命じてそれらの賊を征伐し、根據地こんきょちを一掃して、大兵を率ゐて、皇威こういしたがはない者共ものどもを全滅させた。その結果、賊の首領しゅりょう兩手りょうてを背にまわして絕對ぜったい服從ふくじゅうちかひ、すべておおせのままになるべき旨を下役人したやくにんにまで申出た。その他の賊の一とうも全部頭を地につけ、我先きにと皇恩こうおんに服したのである。しかしこの大勝利をるまでには、持節じせつ將軍などは、人跡じんせきえた廣大こうだいな原野に起臥き がし、長い月日、戰鬪せんとう繼續けいぞくしなければならなかつた。氣候きこうまさ赤熱せきねつの夏季となる。その苦心は却々なかなか容易なものではなからう。ちんはここに慰問のために使者を派遣することにした。卿等けいらはこの上ともに忠義ちゅうぎに勤めてほしい。

【備考】由來、日本の將軍は、ただ武勇に長ずるにとどまらない。合せて、風流・文雅ぶんがたしなみがある。大伴旅人おおとものたびとの如きは軍略勇力において長じたばかりでなく、歌人としても第一流の地位を占めた。文武ぶんぶ兼備けんびの名將とは、正に旅人たびとにふさはしい言葉である。が、それにしても、一方において、天子の御威光ごいこうが輝いてゐるもとにあつて、戰ひの上に多くの便宜を得たことも、考へねばならぬ。こと元正げんしょう天皇におかせられては、特に使つかいして、旅人たびとらのろうをねぎらはれた。この優渥ゆうあく皇恩こうおんに感激したのは、旅人たびとひとりにとどまらないであらうと拜察はいさつし、あわせて、全軍の士氣し き更に數倍すうばいしたことであつたらうと思ふだに勇ましい氣がする。