11 新羅王に賜へる勅書 文武天皇(第四十二代)

新羅しらぎおうたまへる勅書ちょくしょ慶雲三年正月 續日本紀

天皇敬問新羅王。使人一吉飡金儒吉・薩飡金今古等至、所獻調物竝具之。王有國以還、多歷年歳。所貢無虧行李相屬、款誠旣著、嘉尙無已。春首猶寒、比無恙也。國境之內、當竝平安。使人今還、指宣往意、竝寄王物如別。

【謹譯】天皇てんのうつつしみて新羅しらぎおうふ。使人しじん一吉飡いっきっそん金儒吉きんじゅきつ薩飡さっそん金今古きんこんことういたり、すすむるところ調物ちょうぶつならこれそなへたり。おうくにたもちて以還このかたおお年歳ねんさいけみし、こうするところくることなく行李こうりあいしょくし、款誠かんせいすであらわれたれば、嘉尙かしょうむことなし。春首しゅんしゅさむし、このごろつつがなしや。國境こっきょううちまさなら平安へいあんなるべし。使人しじんいまかえらんとすれば、往意おうい指宣しせんし、ならびおうものすることべつごとし。

【字句謹解】◯新羅 當時とうじの王は金興光きんこうこうといつた ◯調物 貢物みつぎものの意 ◯竝び之を具へたり 全部受取つたの意 ◯行李 と同じで使者のこと。のちてんじて荷物を意味することもあるやうになつた。〔註一〕參照 ◯屬し つづくの意 ◯款誠 誠意に同じ ◯嘉尙已むことなし この上もなくよろこばしい ◯春首 春のはじめ、この勅書ちょくしょ慶雲けいうん三年正月に下されたので、この大御言おおみことばがあつた ◯比恙なしや 御無事ですか ◯往意 人に物を贈るの意 ◯指宣 告げ知らせる ◯別の如し 別表の如くであるといふ意。

〔註一〕行李 我が國と新羅しらぎとの關係かんけいは、雄略朝ゆうりゃくちょうまでを『紀小弓きのおゆみしょうに下し給へるみことのり』(雄略天皇九年三月、日本書紀)に、欽明朝きんめいちょうまでを『新羅しらぎつのみことのり』(欽明天皇二十三年六月、日本書紀)に略述したので、ここにはそれ以後、文武朝もんむちょうに至るまでの事を概說がいせつする。

(一)敏達びだつ天皇の三年には新羅しらぎ使者入貢にゅうこう。(二)敏達びだつ天皇の四年にも入貢にゅうこう、八年には佛像ぶつぞうけんじた。九年・十一年には朝廷に於て、その入貢使にゅうこうししりぞけた。(三)崇峻すしゅん天皇の四年には征羅せいらの軍を起し、一同筑紫つくしにまで到つたが、てい崩御ほうぎょによつてはたさなかつた。(四)推古すいこ天皇の五年には使者新羅しらぎつかわした。六年には新羅しらぎから孔雀くじゃくつがいけんじた。(五)推古すいこ天皇の八年には新羅しらぎを攻め、十年には再征さいせいの用意が出來たが、大將軍たいしょうぐん來目皇子くめのみここうじ、代りに立たれた當麻皇子たえまのみここうじられたので果さなかつた。三十一年に新羅しらぎを攻めた。(六)舒明じょめい天皇の四年には三田耜みたすきを、十一年には惠雲えうんを、十二年には高向玄理たかむくのくろまろを送らしめた。(七)孝德こうとく天皇大化たいか四年には入貢にゅうこう、五年には使者新羅しらぎに遣した。(八)孝德こうとく天皇白雉はくち二年に新羅しらぎ使者唐服とうふくけて來朝らいちょうしたのでしりぞけた。大臣おおおみ巨勢德太古こせののりたこ新羅しらぎ征伐を奏上そうじょうしたがゆるされなかつた。三年と四年には入貢にゅうこうした。(九)齊明さいめい天皇の元年には使つかいを遣して入朝にゅうちょうせしめた。二年には入貢にゅうこうした。七年には御親征ごしんせいの用意あられるうちていほうじられた。皇太子は喪服もふくして軍政をき、我が軍は百濟くだらを助けておおい新羅しらぎを破つた。(十)天智てんち天皇の元年秋に入貢にゅうこうしたので、ていは色々の物を賜はつた。四年入貢にゅうこう。(十一)天武てんむ天皇の元年には卽位そくいする使つかいが來た。三年と四年には入貢にゅうこうした。七年・九年・十一年には入貢にゅうこうした。(十二)持統じとう天皇の三年に喪使そうし來朝らいちょう、朝廷ではその非禮ひれいをせめられた。六年には入唐僧にゅうとうそうを送らせた。(十三)文武もんむ天皇の元年には朝貢ちょうこうした。四年には佐伯宿禰麻呂さえきのすくねまろなどを新羅しらぎへ遣した。大寶たいほう三年には新羅しらぎおうそっせしため、弔喪使ちょうそうしを遣した。(十四)文武もんむ天皇慶雲けいうん二年には貢調使ちょうこうし一吉飡いっきっそん金儒吉きんじゅきつなどが來朝らいちょうした。三年に歸京ききょうする際に賜はつたのが、ここかかぐる勅書ちょくしょである。

〔注意〕文武朝もんむちょうに於いて新羅しらぎかんしたみことのりは、本勅書ほんちょくしょを除けば次の如くである。

(一)弔使ちょうし新羅しらぎつかわすのみことのり(大寶三年閏四月、續日本紀)(二)新羅しらぎおうたまへる勅書ちょくしょ慶雲三年十一月、續日本紀

【大意謹述】日本國天皇つつしんで新羅しらぎおう近狀きんじょうを問ふ。貴國きこくからの貢調使ちょうこうしである一吉飡いっきっそん金儒吉きんじゅきつ薩飡さっそん金今古きんこんこなどは去年我國に來て、いろいろな貢物みつぎものけんじ、確かに落手らくしゅ致した。新羅しらぎおうは國を統一されて以來、多くの年月としつきたが、その間、常に使者が往復し、我が皇室にたいする誠意がよくあらはれてゐるのは、じつよろこばしい。春になつたとはいへ、未だ餘寒よかんきびしいごろ、別におかわりはありませぬか。國境內はやはり何の異變いへんもないでせう。今、貴國きこく使者かえるにあたつて、當方とうほうの意向をつた土產物みやげものを別表目錄もくろくの如くに進呈しんてい致す次第であります。

【備考】大化たいか革新かくしん以來、日本は內政ないせい改革に主力を注ぎ、海外問題については、以前の如く、積極的に力を入れなかつた。こと文武もんむ天皇は平和・慈悲の精神せいしんに厚かつたので、たい新羅しらぎ問題についてもある程度まで寬大かんだい思召おぼしめしを以てせられたやうに拜察はいさつする。いずれにしても、對韓たいかん事件において、日本はにがい失敗を重ねて來ために、一、平和無事を旨として靜觀せいかんの態度を執つたことは、自然の歸結きけつでもあつたらう。