7 任那復興の詔 敏達天皇(第三十代)

任那みまな復興ふっこうみことのり(十二年七月 日本書紀

屬我先考天皇之世、新羅滅內官家之國。先考天皇、謀復任那、不果而崩、不成其志。是以朕富奉助神謀復興任那。今在百濟火葦北國造阿利斯登子達率日羅、賢而有勇。故朕欲與其人相計。

【謹譯】先考せんこう天皇てんのうあたりて、新羅しらぎ內官家うちつみやけくにほろぼせり。先考せんこう天皇てんのう任那みまなかえさむとはかりたまひ、はたさずしてほうじ、こころざししたまはざりき。ここもって、ちんまさ神謀しんぼうたすたてまつりて任那みまな復興ふっこうせむとす。いま百濟くだら火葦北國造ひのあしきたのくにのみやつこ阿利斯登あ り し と達率たっそつ日羅にちらけんにしてゆうあり。ゆえに、ちんひとあいはからむとほっす。

【字句謹解】◯先考天皇 前代の天皇の意、ここでは欽明きんめい天皇 ◯內官家の國 任那みまな日本府にっぽんふを指す。〔註一〕參照 ◯神謀 先帝の御志おんこころざし ◯達率日羅 達率たっそつ百濟くだらの官名。日羅にちらは政治家として非凡の人物だつた。〔註二〕參照。

〔註一〕內官家の國 現行「敏達紀びだつき」には、この次に細字さいじで「天國あめのくに排開おしひらき廣庭天皇ひろにわのすめらみこと欽明天皇)の二十三年、任那みまな新羅しらぎめにほろぼされぬ。ゆえ新羅しらぎ、我が內官家うちつみやけほろぼすとふ」とある。

〔註二〕達率日羅 以上の勅旨ちょくししたがつて使者つかはし日羅にちらを召したが、百濟王くだらおうは之を手離すことを好まず、再度使者として日本にした。當時とうじ日羅にちら種々しゅじゅ新羅しらぎ征伐・任那みまな復興にかんする計略を奏上そうじょうした。この時、日羅にちらついで百濟くだらたいする日本の秘策をもいたので、日羅にちら同道どうどうした百濟くだら使者日羅にちら賣國奴ばいこくどして、日羅にちらを殺した。

〔注意〕任那みまな復興にかんするみことのりの內で、目ぼしいのは、

(一)皇太子にのこし給へるみことのり欽明天皇三十二年四月、日本書紀)である。

【大意謹述】先帝、欽明きんめい天皇の二十三年に、新羅しらぎ到頭とうとう任那みまな日本府にっぽんふを滅してしまつた。そののち、先帝は任那みまな復興のことに盡瘁じんすいせられ、それを果さないうちに崩御ほうぎょ、遂に遺詔いしょうとしてちんに事業の繼續けいぞくを命ぜられたのである。ゆえに朕は先帝の御遺志ご い し實現じつげんし、任那みまなを復興しなければならない。聞くところにれば、現在、百濟くだらに居る日羅にちらといふ人物は、肥後國ひごのくに葦北郡あしきたごおり葦北郷あしきたごう國造くにのみやつこである阿利斯登あ り し との子で、達率たっそつやくにをり、賢明でつ勇氣に富んでゐるとのことである。朕は早速その者をかえして、策を講じようと思ふ。

【備考】當時とうじ召還しょうかんされた日羅にちらは、一策をけんじ、「えびすを征服するには、國本こくほんつちかふことが肝要かんようでございます。當今とうこんの計略は富國ふこく强兵きょうへいにあると存じまする。信義を以て民人みんじんを固め、敎化きょうかいて、兵食へいしょくを十分ならしめ、かくして後、船艦せんかんを作つて、海上の雄となり、えびすどもを威嚇いかくすると同時に、才辯さいべんあるものを三かんに派遣され、これを召されるがよろしい。以上の如くすれば三かんは必ず歸服きふくいたしませう。しいふことをかねば、その罪をただされるがよろしうございます」とつた。元來日羅にちらは日本の血脈をいた上、智勇ちゆうがあるので、おおいに日本のためにつくさうとしたが、百濟くだら刺客せっかくに暗殺され、空しくその雄圖ゆうとを地下にもたらしたのである。

 當時とうじ新羅しらぎは、任那みまなを自國に併合しはしたものの、やはり、日本にたいして、服屬ふくぞくの意を示し、欽明きんめい天皇崩御ほうぎょのときには、弔使ちょうしを送り、敏達びだつ天皇の三年にも、朝貢使ちょうこうししたらしい。同國王眞興王しんこうおうこうずると、眞智王しんちおうがそのあとをぎ、在位三年ばかりでこうずるに及び、甥の眞平王しんへいおうが位にいた。れは、その元年に佛像ぶつぞうを日本にけんじ、二年及び四年に朝貢使ちょうこうしを日本に派遣したが、日本政府は、斷乎だんこ、これをしりぞけた。

 が、すでに述べたやうに、新羅しらぎは勿論、百濟くだらなども、日本にたいして服屬ふくぞくする形を示すと共に、一方、支那し なたいしても、臣事しんじする姿を取り首鼠しゅそ兩端りょうたんしてゐた。したがつて、支那し なの勢力が漸次ぜんじ、韓國に加はり、ずい及びとうの時代になると、支那し なが韓國を操縱そうじゅうしたのである。任那みまな復興の事業が成就しなかつたわけは、主として支那し なが日本の行動を妨げ、新羅しらぎなどを操つためだつたとつてよい。その上、日本では內治ないちを主とせねばならぬ時代が來ために韓國にたいする權益けんえきをすつかり抛棄ほうきせねばならなくなつた。それが實現じつげんされたのは天智てんち天皇の時代で、日本の島國化とうごくかといふ不利益ふりえきもあつたが、一面、內部改造には、利益りえきするところがあつたともへる。