6 高麗の使人を資養するの詔 欽明天皇(第二十九代)

高麗こ ま使人しじん資養しようするのみことのり(三十一年三月 日本書紀

朕承帝業若干年。高麗迷路、始到越岸。雖苦漂溺、尙全性命。豈非徽猷廣被、至德魏魏、仁化傍通、洪恩蕩蕩者哉。有司宜於山城國相樂郡、起館浄治、厚相資養。

【謹譯】ちん帝業ていぎょうけて若干年じゃっかんねん高麗こまびとみちまよひ、はじめてこしきしいたる。漂溺ひょうできくるしむといえども、性命せいめいまっとうす。徽猷きゆう廣被こうひして、至德しとく魏魏ぎ ぎ仁化じんか傍通ぼうつうして、洪恩こうおん蕩蕩とうとうたるものにあらずや。有司ゆうしよろしく山城國やましろのくに相樂郡さがらごおりやかた浄治じょうちして、あつあいたすやしなへ。

【字句謹解】◯帝業を承けて 皇位ぐ ◯高麗 高麗こ まと我國との軍事外交關係かんけいに就いては、後にその國王にたまみことのりの部分で略述りゃくじゅつする。之は欽明きんめい天皇三十一年にこしの人、江渟えぬの裙代もしろが京に至り、「高麗こ まの船が越國こしのくにに漂流したのに郡司ぐんじ道君みちのきみかくして奏上そうじょう致しません」と申し上げたのでたまわつたのである ◯越の岸 こしは現在の越後えちご越中えっちゅう越前えちぜん地方で、高麗こ ま咸鏡道かんきょうどうの海岸から出帆しゅっぱんするから、我が北陸の海岸に流されたのである ◯漂溺に苦しむ 漂流しておおいに苦痛をなめる ◯性命 生命と同じ ◯徽猷 皇室の大きな仁德にんとく ◯至德 皇室の光輝こうきある御德おんとく ◯魏魏 巍巍ぎ ぎの意で、物のすぐれてゐる形容 ◯鴻恩蕩蕩 皇室の大きい恩がひろくゆるやかに萬物ばんぶつきわたること ◯有司 役人 ◯浄治して 十分淸潔せいけつにする ◯資け養へ 物資をあたへて生活に不足ないやうにせよ。

【大意謹述】ちん皇位いてからすでに三十年、その間、常に海外諸國と親交を保つことにつとめて來た。今、聞けば、高麗こ ま使者が我國に來る途中、海上で進路を失ひ、始めてこしくにの海岸に漂著ひょうちゃくしたとのことである。定めて風雨に打たれ、大波にあらはれ、非常に苦しんだに相違そういなからう。が、生命にさしさはりがないといふのは、全く我が皇室の仁政じんせいひろく行はれ、とくいきおいが何物にも代へ難い程大きく、下々しもじもにも皇室の恩が通じて、海外までもそれが及んでゐる證據しょうこだと考へる。その方面の役人は、ただちに山城國やましろのくに相樂郡さがらごおり使者とどめるやかたを造り、十分淸潔せいけつにして、高麗こ ま使者に何不自由なく給與きゅうよするやう手配せよ。

【備考】當時とうじ日本と韓国との交通路は、(一)瀨戸せ と內海ないかいから(博多)に至つて韓國に向ふものと、(二)北陸・山陰地方から出向くものとの二線路があつた。大和平野を中心として見ると、瀨戸內海からくのは、その表門にあたり、山陰・北陸からゆくのはその裏門にあたつた。今、高麗こ まの船が漂著ひょうちゃくしたのは、丁度、彼等が北陸へ向つて來たのであらう。

 朝廷が、高麗こ ま使者たいして、詔書しょうしょにある如く、鄭重ていちょうな待遇をあたへ、彼等を十分になぐさめられたことは、高麗こ またいして多大の好感をあたへたであらうと拜察はいさつする。由來ゆらい日本の國民性は、任侠にんきょう的で、同情深い。欽明きんめい天皇におかせられては、その模範を示したまうたのであつて、そこに美しく、とうと國際こくさい精神せいしんの表現を見出すのである。今日、日本精神せいしんくと、萬事ばんじ、國家的方面を强調して、國際方面を閑却かんきゃくするが如く思ひ誤つてゐるものがある。が、左樣そ うではなく、日本精神せいしんは一面、寬宏かんこうで國際方面にも、すぐれてゐる。高麗こ まの漂流人を取扱つたのは、その一好例こうれいにすぎない。