68-2 敎育ニ關スル御沙汰 今上陛下(第百二十四代)

敎育きょういくかんスル御沙汰お さ た(第二段)(昭和三年十二月十一日)

【謹譯】ちんいま列聖れっせい遺圖い とキ、あつ敎化きょうかキ、もっ人心じんしん歸趨きすうただシクシ、おおい學藝がくげいふるヒ、もっ國運こくうん伸張しんちょうセムコトヲおもフ。きょく敎學きょうがくあたルモノ、ちんたいシ、夙夜しゅくや淬礪さいれい祖宗そそう大訓たいくん光昭こうしょうニセムコトヲつとメヨ。

【字句謹解】◯列聖 御代々おんだいだい天皇 ◯遺圖ヲ嗣キ のこされた敎育上の理想をつぐこと ◯敎化 思想上、國民を善導ぜんどうする意 ◯人心ノ歸趨ヲ正シクシ 人民の心がおもむくてんを正しくする意 ◯伸張 發展はってんのこと ◯ 役に立たせる ◯局ニ敎學ニ當ルモノ 學問・敎育の仕事にしたがふ者 ◯夙夜淬礪 朝から晩までせいを出してはげむ ◯光昭 光を一層す。

【大意謹述】ちんは今、亡き御父おんちち大正天皇)の御代み よいで天下に君臨くんりんしてゐるが、勿論、敎育の重大性を知り、今後益々ますますその發展はってんを希望するてんでは歷代れきだい天皇かわりがある筈はない。常々朕は諸天皇の後世にのこされた敎育上の御事業ごじぎょうを引きつぎ、國民の善導ぜんどうに心がけ、人民の心のおもむくてんを正しくさせ、合せておおいに學問・技藝ぎげいの進歩を實現じつげんし、日本國の勢力發展はってんに役立てたいと考へてゐる。學問・敎育の仕事に從事じゅうじする者よ、朕のこの氣持を心にめいじ、朝早くから晩までせいを出してはげみ、皇室の御先祖ごせんぞの偉大な敎訓きょうくんの光をより以上すやう努力して欲しい。

【備考】勅語ちょくごうちにある如く、「人心じんしん歸趨きすうただシク」するといふことが、敎育の眼目がんもくである。このおおせをかしこみ、始終しじゅう思想を正導せいどうしてゆくことが、敎育家の任務であるが、果して、このてん自覺じかくしたものが、何人あつたらうか。おおいに疑問としなくてはならない。

 すでに述べた如く、大體だいたいに於て、明治の學問の仕方は、歐米おうべい模倣もほう終始しゅうしした。そこに日本的自覺じかく精神せいしん缺乏けつぼうしてゐた。したがつて、外來思想とさへいへば、新しく、尊いもののやうに思ひ誤り、それらを敎學きょうがくの中心とし、根本としたのである。一たい、倫理・道德は、その國の傳統性でんとうせいそくし、その國風こくふうに合致すべきを第一の要件とする。ところが、外來思想の目ぼしいものを漫然まんぜん、利用して、そこに思想上の指導をべしとしたのは、大きい誤りだつた。この誤りを自覺じかくしないところから、思想上の混亂こんらんを生じ、正しく一するてんがなくなるのである。

 それならどうしたら、正しく、人心じんしん一を實現じつげんすることが出來ようか。いわく、づ日本精神せいしん還元かんげんし、忠孝ちゅうこうぽんの意義を現代に生かして闡明せんめいすべき事を第一要件とする。ところが、外來思想を尊奉そんぽうするのを以て、アツプツウ・デエトと考へるものは、すぐに、マルクス主義に走る。でなければ、リベラリズムアナキズムく。それらが、日本精神せいしん中正ちゅうせい公明こうめいの旨にそむ所以ゆえんを知らない。ただ西洋流の思想を追うてをれば、踏みはづすづかひがないとし、進歩的だと盲信もうしんするところに、弊害へいがいがあり、そこから思想上の混亂こんらん續生ぞくせいする。

 だから、敎育家は、その正しい歩みをすにふさはしいイデオロギイを考へ、指導原理を創造し、建設すべきことを要する。すなわち日本精神せいしんの基礎をす生命力―物心ぶっしん兩面りょうめんを統制してゆく生命力を科學・又は哲學方面から組織立てて、說明することを要する。このてんに努力し、邁進まいしんすることがやがて思想を正導せいどうし、合理的な歸趨きすうに到達する所以ゆえんである。

 それにしても、地方敎員の赤化せきか問題がほ幾分、殘存ざんそんしてをり、官學かんがくの一部に非國家的言論をすものを往々おうおう見ることも、打捨てて置けない。それらの人々は、ただ在來の傳統でんとう性・國民性に反抗したら、それで新しいかの如く思ひ、何か有意義なものを生み出すかのやうに誤解してゐる。公式マルクス主義を、日本にてはめて見たところが、大體だいたいにおいて、民性みんせい及び傳統でんとう性に合致しないのだから、これを無上むじょう眞理しんりとするのは、近眼きんがんはなはだしいものだ。無論、物質上の改革も必要だが、それに先立つて、國民に正しい魂をあたへることが、より肝要かんようだ。

 今上きんじょう陛下の詔勅ごしょうちょくはいするものは、以上のてん再思さいしし、三しなければならぬ。それと同時に、明治天皇敎育きょういく勅語ちょくご奉掲ほうけいすると同時に、『幼學ようがく綱要こうよう頒賜はんし詔勅しょうちょくをも奉掲ほうけいし、合せて大正天皇及び今上陛下の敎育についても御沙汰書おさたしょ、大正十二年の精神せいしん作興さっこう詔勅しょうちょくをも必ず奉掲ほうけいして、日夜謹讀きんどくすることにしては、どうかと思はれる。敎育のきょくあたる人々は、必ず以上のことを實行じっこうしなくてはならない必要がある。

 それと共に、修身科しゅうしんかといふか、倫理・道德科といふか、この科目を必修科目としたい。あるいは新しい意味で、思想科を設けてもよい。この科の時間を一週四時間とする。大學・高等學校でも、四時間を必要とし、國史こくし科の八時間(一週)制度とあいつて、その活潑かっぱつな機能を發揮はっきすべきである。

 その講義は、右にかかげた、詔勅しょうちょく大精神だいせいしんを根本とすべきであつて、敎育勅語を現代的に謹解きんかいして、ひろく古今、東西の事例により、先哲せんてつ金句きんく・名言により、これが聖旨せいしを深く徹底してゆきたい。

 要するに、倫理・道德に於ける國民の傳統でんとう性、忠孝ちゅうこうぽんの道なるものが、在來、力ある新しい方法を以て闡明せんめいされてをらぬ。時代の動きにふさはしい說明・解釋かいしゃくなるものが行はれてをらぬ。ひかへると、純正じゅんせい日本精神せいしんつて、全國民に日本魂やまとだましいを吹込んでゆくべき倫理・道德の講義が一番、不振狀態じょうたいにある。

 かの赤化せきか思想も此處こ こからくる。の浮くやうなモダン・ボオイ、モダン・ガアルも此處こ こから生れる。日和見ひよりみ主義式な曖昧あいまいの存在を保つリベラリストも、かういふところから、頭をもたげてくる。ゆえに以上の如き一切の弊害へいがいを除くには、倫理・道德にかんする講義を國史こくし講義こうぎ併行へいこうして現代的解釋かいしゃくのもとに之を生かし、それによつて、日本獨特どくとく醇風じゅんぷう美俗びぞくを作つてゆくことが目下もっか肝要事かんようじであらねばならない。