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68-1 敎育ニ關スル御沙汰 今上陛下(第百二十四代)

大日本詔勅謹解2 道德敎育篇

敎育きょういくかんスル御沙汰お さ た(第一段)(昭和三年十二月十一日)

【謹譯】祖宗そそうくにけいスルヤ、敎學きょうがくさきス。皇祖考こうそこうつと學制がくせいわかチ、さら宸勅しんちょくくだシ、あきらか敎育きょういく大綱たいこうしめシタマヘリ。皇考こうこう遺緒いしょ承繼しょうけいシ、また聖諭せいゆくだシテ、先朝せんちょう洪範こうはん申明しんめいシタマヘリ。

【字句謹解】◯國ヲ經スル 國ををさめる ◯敎學 學問・敎育の意 ◯皇祖考 今は亡きおん祖父、明治天皇御事おんこと ◯夙ニ學制ヲ頒チ 早くから學校にかんする規定を設けられた。それは主として明治五年の學制がくせい頒布はんぷを指されたのである ◯更ニ宸勅ヲ降シ 宸勅しんちょく天皇のみことのり、ここでは、明治二十三年の『敎育ニかんスル勅語ちょくご』を意味する ◯大綱 根本となる諸てん ◯皇考 亡きおん父君、大正天皇御事おんこと ◯遺緒 のこしおかれた御事業ごじぎょう ◯承繼 うけつぐ ◯聖諭 國民をさとすための御言葉おことば、これは主として『敎育ニかんスル御沙汰お さ た』(大正四年十二月)『國民精神せいしん作興さっこうかんスル詔書しょうしょ』(大正十二年十一月)などを意味する ◯先朝 明治天皇御代み よ ◯洪範 大法 ◯申明 べて明らかにすること。

〔注意〕この御沙汰お さ たは十二月十一日の官報かんぽうに告示されたが、前日の日附ひづけで時の文部大臣勝田しょうだ主計かずえは左記の「訓令くんれい」を學校長及び地方長官に傳達でんたつした。

  本月ほんげつ十日かしこくも、天皇陛下には本大臣ほんだいじんを宮中にさせられ、親しく御沙汰お さ たくだしたまへり。本大臣は優渥ゆうあくなる聖旨せいしはいして感激あたはず、つつしみて之を全國一般に告知す。うやうやしく思ふに、天皇陛下卽位そくいれいを行はせられ、勅語ちょくごたまひて國體こくたい精華せいかあきらかにし、臣民しんみん率由そつゆ大道たいどう昭示しょうじしたまひ、今又大禮たいれいおわらせらるるにあたり、特に敎育の事に軫念しんねんあらせられ、ここかたじけなくも、御沙汰書おさたしょくだして益々ますます敎學きょうがく振興しんこうせんことをさとさせたまふ。聖旨せいし宏遠こうえんまこと恐懼きょうくへず。

  伏しておもんみるに、明治天皇つとに、宸慮しんりょを敎育にろうさせたまひ、宇內うだい通勢つうせいと時世の進運しんうんとにおうじて、敎育の制度を定められ、國體こくたいもとづき公道にのっとりて德敎とっきょう大本たいほんを立てたまひしより、文物ぶんぶつ蔚然いぜんとしておこり、國運こくうん進揚しんよう前古ぜんこの比を見ず。大正天皇天資てんし叡明えいめい列聖れっせい洪謨こうぼけさせられ、おおい皇化こうかかせたまふ。臣民しんみんたる者あに夙夜しゅくや黽勉びんべんし、報效ほうこうせいを致さざるべけむや。かも方今ほうこん中外ちゅうがいの情勢は最も我が民心みんしん歸向きこうただすを以て急務とす。益々ますます道義どうぎ振起しんきし、國體こくたい觀念かんねん鞏固きょうこにし、國民精神せいしん涵養かんようし、更に學藝がくげいを進め、國運こくうん發展はってんはかるに於て一層の努力と精采せいさいとを加へざるべからざる所以ゆえんなり。にんに敎育にあたる者、よろしく意をここに致し、敎育にかんする勅語ちょくご聖旨せいし奉體ほうたいして、協力戮力りくりょくはこびあやまらず、健全有爲ゆういなる國民を養成し、以て皇國こうこく隆昌りゅうしょう裨補ひ ほするにつとむべきなり。本大臣ほんだいじんは全國敎育の職に在る者の日夜勵精れいせい責務せきむまっとうし、以て聖旨せいしたてまつらむことを望む。

【大意謹述】我が皇室の御先祖ごせんぞが國をおさめになる場合には、常に學問・敎育を以て第一となされた。最近では亡きおん祖父(明治天皇)は、早く明治五年に學制がくせい頒布はんぷされ、二十三年には、敎育の根本を萬代ばんだいわたつて明らかにされた敎育きょういく勅語ちょくごたまひ、常にこの方面に特別の注意をされた。その後亡きおん父君(大正天皇)は、明治天皇のこされた御事業を忠實ちゅうじつ實行じっこうあり、常に敎育のことを重んぜられ、大正四年には御沙汰書おさたしょを、十二年には國民精神せいしん作興さっこうかんした垂敎すいきょうを國民にたまひ、明治天皇の大理想を繰返して明らかになされたのである。

【備考】勅語ちょくごうちで、「祖宗そそうくにけいスルヤ、敎學きょうがくさきス」とおおせられたてん深甚しんじんの意義がある。けだし西洋では政治を一つのビヂネスとして見てをり、才能本位にこれを處理しょりするのを常道じょうどうとしてゐるが、日本では、全くそのかたことにする。日本に於ては、「しんの政治は敎化きょうかなり」と思惟し いして、古來、その傳統でんとうを重んじて來た。天皇御親政ごしんせいの時代には、この意義を高調こうちょうせられたが、武門ぶもん政治せいじ出現後、「政治そく敎化きょうか」の意義を閑却かんきゃくしてしまつた。

 刑政けいせい・法律を主とし、權利けんり・義務・自由・民權みんけんなど、こちたく、冷たいことをふのは、未だ政治上の初歩で、その奥儀おうぎ味到みとうしたものではない。支那し なでは、禮樂れいがく刑政けいせいといふが、政治そく敎化きょうかの意義に起つなら、禮樂れいがくを以て、刑政に代へるのが至當しとうである。禮樂れいがく刑政けいせい合せ行ふとなれば、矢張やはり、西洋流にちかいものになる。敎化きょうかとは忠孝ちゅうこうを以て、民衆を指導し、大中だいちゅう至公しこうの道を基本として、大衆を敎育するにある。すなわちそれには智性ちせい開發かいはつし、德性とくせいを養つてゆく必要があるので、敎育を施すのである。かく敎學きょうがく振興しんこうし、よき感化かんか影響を大衆の上に及ぼすならば、期せずして、天下は治るのである。そこに刑政けいせいを用ゐたり、法律を適用したりする必要を見ない。

 それにかうしたかたをすれば、柔かくおだやかに士民しみんを治めることが出來る。刑政けいせい法律などの鹿爪しかつめらしいものを引張ひっぱり出してくる必要がない。すなわここに至ると、政治そく敎化きょうかで、しん治道ちどうの秘訣は、ここそんする。それは、西洋流のビヂネス政治とは全くことなる。