66-1 帝都復興ニ關スル詔書 大正天皇(第百二十三代)

帝都ていと復興ふっこうかんスル詔書しょうしょ(第一段)(大正十二年九月十二日)

【謹譯】ちん神聖しんせいナル祖宗そそう洪範こうはんキ、光輝こうきアル國史こくし成跡せいせきかんがミ、皇考こうこう中興ちゅうこう皇謨こうぼ繼承けいしょうシテあえあやまラサラムコト庶幾しょきシ、夙夜しゅくや兢業きょうぎょうトシテはかリ、さいわい祖宗そそう神佐しんさ國民こくみん協力きょうりょくトニたよリ、世界せかい空前くうぜん大戰たいせんしょなお小康しょうこうたもツヲタリ。

【字句謹解】◯洪範 大法たいほうの意、『書經しょきょう』にある語 ◯國史ノ成跡ニ鑑ミ 過去の國史こくし後代こうだいのこした數々かずかずの輝かしい事蹟じせきにてらして見る ◯中興ノ皇謨 一度衰へてゐたのを再びさかんにした偉大な皇室の御經綸ごけいりん ◯繼承 受けつぐ ◯肯テ愆ラサラムコトヲ庶幾シ おし切つて仕損ずるやうなことがないやうにと願ふ意 ◯夙夜 朝早くから夜およくまで、一日中熱心にの意 ◯兢業トシテ 常に心を緊張させる ◯神佐 祖先神靈しんれいのお助け ◯小康ヲ保ツ いささしずかな情態を保つ。これは謙遜けんそんしておおせられた意をも含む。

【大意謹述】ちん神聖しんせいな皇室の御先祖がのこし置かれた大法たいほういで卽位そくいし、世界に光り輝くわが國史こくし上に於ける種々しゅじゅの立派な仕事にてらし見て、亡き御父おんちち明治天皇)が皇室の威嚴いげんを再び昔日せきじつの高い地位にふくされた大事業のすぐ後をけた。それについてどうかして美しいあとをけがすことがないやうに朝夕あさゆう心がけ、國の治平ちへいに心を注いで來た。朕のこの氣持が天に達したのであらうか、代々の天皇御神靈ごしんれいのお助けと國民一般が力を合はせて朕を輔翼ほよくしたこととにより、あの世界始まつて以來、かつて例を見なかつた程大きい、世界大戰の最中にも、少しも動搖どうようすることなく、かく國は平穩へいおんに治つて來た。

【備考】世界大戰中、日本は、日英同盟よしみを重んじ、大正三年、聯合國れんごうこく側に加擔かたんして、參戰さんせんしたが、その極面を主として東洋に限定した關係かんけい上、日露にちろ戰爭せんそう當時とうじのやうな、苦心・努力を要しなかつたから、國民はしずかにおちき、國內は、平和だつた。そのうち、大正七年になると、大戰役たいせんえき休戰きゅうせん條約じょうやくが成立し、翌八年には、條約正文せいぶん發表はっぴょうがあり、九年一月には、日本においても平和克復こくふく大詔たいしょうが下つた。

 が、世界大戰の後始末といふ大きな問題が横はつてゐて、たとへ、日本は、このてんに直接の責任を持たずとも、ヨオロツパの大動搖大破綻の波動を受けぬわけにはゆかない。したがつて、事局じきょくは一層、多端たたんとなり、國際こくさい關係かんけい複雜ふくざつを加へて來た。この意味からすると、平和の光が東西に及んだとしても、未解決の問題が多く、それはたい戰債せんさい(歐洲側)のみの事に限られず、思想問題・社會しゃかい問題・經濟けいざい問題など、いろいろと、次ぎから次ぎに現はれきたつたのである。