64 敎育ニ關スル御沙汰 大正天皇(第百二十三代)

敎育きょういくかんスル御沙汰お さ た(大正四年十二月十日)

【謹譯】皇考こうこうつとこころ敎育きょういくことろうセラレ、せいさだれいキ、またみことのりシテ大綱たいこうあきらかニシタマヘリ。ちん遺緒いしょ紹述しゅうじゅつシテ、倍倍ますます振興しんこうはかラムトス。いま人文じんぶん日進にっしんときあたリ、敎育きょういくにんものちんたいシ、もっ皇考こうこう遺訓いくん對揚たいようセムコトヲセヨ。

【字句謹解】◯皇考 先帝の意。すなわ明治天皇を指したてまつつたもの ◯制ヲ定メ令ヲ布キ 敎育上の制度を定め命令をたまはつた意。〔註一〕參照 ◯勅シテ其ノ大綱ヲ云々 大綱たいこうは根本の概念。これは明治二十三年十月三十日に『敎育ニ關スル勅語』を下されたことを意味する ◯遺緒 のこされた事業 ◯紹述 受けつぎ述べる ◯人文日進ノ時 文明が日々進んでやまぬ時 ◯敎育ノ任ニ在ル者 文部大臣以下の敎育行政にあたる者及び敎師の總稱そうしょう ◯對揚 君命くんめいほうじて一層の趣旨を天下にあらはしあぐる事。

〔註一〕敎育令 學制がくせいは明治五年八月に頒布はんぷされた。全國を八大學區がっくわかち、一大學區を三十二中學區に、一中學區を二百十小學區に小分しょうぶんして六歳以上をすべて入學せしめる方針をとつた。十二年九月には學制をはいして敎育令をき、十九年四月には小學校令を、二十三年にはその改正を、四十年には義務敎育年限ねんげんを六箇年かねんと定めた。その中學校令・高等女學校令・實業じつぎょう學校令・專門學校令・高等學校令・大學令など數多あまたの敎育令がかれた。

〔注意〕明治天皇の『敎育ニかんシ下シ給ヘル勅語ちょくご』(明治二十三年十月三十日)大正天皇の『敎育ニかんスル御沙汰お さ た』(大正四年十二月十日)及び今上きんじょう天皇の『敎育ニかんスル御沙汰お さ た』(昭和三年十一月十一日)は、明治以後に於ける敎育にかんたまはつた三大勅語ちょくごである。

【大意謹述】先帝(明治天皇)にかせられては、早くから御心おこころを敎育方面に向けられて種々しゅじゅ意を用ひられた。明治五年には學制がくせい頒布はんぷして全國に實施じっしされ、その後、各種の命令・規定を時におうじて發布はっぷになり、遂に明治二十三年に至つて、『敎育ニかんスル勅語ちょくご』をたまわつた。それは我が國體こくたいを基本とし日本精神せいしん發揚はつようした敎育の大綱たいこうを示されたのであつて、當時とうじ、思想上の歸趨きすうに迷つてゐた國民は暗夜あんやに一大燈光とうこうを得た如く、この勅語ちょくごつて始めて敎育の正しい意味方針を知つたのである。この勅語は勿論、今日こんにちに於ても、同じく國民敎育の中心として誰もが尊崇そんそうしてゐるのだから、ちんも先帝ののこされた御事業ごじぎょうを受けぎ、一層敎育の發展はってんに力を入れるに就いて、やはり同じ精神せいしんもとに、同一な手段で進まなければならないと考へる。最近、世界の文明は特にいちじるしく進み、昨日と今日とでは世の有樣ありさまが一ぺんしたかとまで思はれる。この際にあたつて、國民敎育の重要さが、益々ますます痛切に感じられるのは朕一人ではあるまい。敎育に從事じゅうじする者の責任は日々一層大きくなつて來る。ゆえにその方面に關係かんけいのあるすべての人々は、朕の敎育にたいする考へを實行じっこうし、先帝の御遺訓ごいくんを出來る限り光あるものにしなければいけない。

【備考】この勅書ちょくしょ拜讀はいどくすると、大正天皇當時とうじの敎育のあまりにも、歐米化おうべいかしたことに憂慮ゆうりょあらせられたことが、歷々れきれきとわかるやうに思はれる。けだ何人なんびとよりも一番きに、敎育きょういく勅語ちょくご精神せいしん發揚はつようすべき官學かんがく方面の學者は、洋行ようこうして、西洋流の思想をうけりすることを能事のうじとし、敎育を指導する精神せいしんにおいても、日本の傳統でんとうを棚にあげてしまつて、西洋流を旨とするに至つた。かうなると、先帝が敎育勅語に顯揚けんようせられた大精神だいせいしんは、沒却ぼっきゃくせられてしまふ。ここに敎育界の一大缺陥けっかんがあつたと思はれる。

 大正天皇におかせられては、以上の如く歐米流おうべいりゅう精神せいしんを基本として、敎育の內容を構成することを以て、妥當だとうを失へるものと思召おぼしめされた事と拜察はいさつする。したがつて、國民道德どうとくの重要な意義を明示めいじされた敎育勅語を最高の指導原理とあおぎ、それによつて、すべての方面に、純正じゅんせい日本的な敎育をほどこすべき必要を痛感あらせられたものと拜察はいさつしても、おそらく差支さしつかへはあるまいと思惟し いする。

 世上せじょう、インテリ層のうちには、西洋流のものといへば、すべて「新しいもの」乃至ないし「意義あるもの」としてゐるが、それは全くあやまりだ。かのモダンを氣取る人々の如きも、西洋流を有難がつて、日本の國性こくせい・日本の傳統性でんとうせいかえりみない。そして歐米おうべい崇拜すうはい的な知識偏重へんちょうの敎育をモダンしょうして、得意になり、先帝からたまわつた敎育勅語の大精神だいせいしんから離れてしまつてゐる。

 ここに非日本的・非國民的な弊害へいがいがある。日本人でありながら、日面にちめん米心べいしんとなり、あるいは日面露心ろしんとなり、日面英心えいしんとなるやうなものが出來る所以ゆえんである。日本人は、すべて日面にちめん日心にっしんであらねばならぬ。もしくは、和魂わこん洋才ようさいであらねばならぬ。それを顚倒てんとうしてしまふに至つては、精神的せいしんてきに日本人たるの資格を失つたことになる。今日こんにちの敎育に於て見る結果は、大體だいたいにおいて、以上の如く、あまりに日面にちめん洋心ようしんを生ずる。昭和の思想國難こくなんは、ここから來てゐる。かの官學かんがくの敎授、官學に籍を置く學生の中から、赤化せきか主義者が一番多く出てくるのは、敎育方針を誤つて、あまりに日面にちめん洋心ようしんしゃ流を激增げきぞうさせた結果だ。ゆえにそれらの大弊たいへいを一そうし去るには、敎育上の最高指導原理を敎育勅語にあおがねばならない。

 大正天皇が特にこのてんに注意あらせられ、日面洋心的な敎育家の反省をうながし給うたのは、時宜じ ぎに適した有難きおおせである。よし、左樣そ うした方面に傾かぬ敎育家にしても、改めて敎育勅語の大精神だいせいしん想到そうとうし、歐米化おうべいかした敎育を純日本的なものとするやう、努力する心持こころもちが、この勅語ちょくごはいするにつけて、き上つたであらうと推察せざるを得ない。