63-1 戊申詔書 明治天皇(第百二十二代)

戊申ぼしん詔書しょうしょ(第一段)(明治四十一年十月十三日 官報

【謹譯】ちんおもフニ、方今ほうこん人文じんぶんリ、つきすすミ、東西とうざいあいリ、彼此ひ しあいシ、もっ福利ふくりともニス。ちんここ益々ますます國交こっこうおさメ、友義ゆうぎあつウシ、列國れっこくともながよろこびラムコトヲス。

【字句謹解】◯方今 ほうこんも共にいま、すなわち今の時世じせいの義 ◯人文 文化または文明の事、文化は精神せいしん的、文明は物質的のものとかいせられてゐる。ここでは、精神・物質りょう方面のことを意味し、敎育・學術・政治・經濟けいざい等が進歩し、價値か ちある社會しゃかい生活の創造・建設さるるをふ ◯日ニ就リ、月ニ將ミ りはり、すすみはすすみに同じ。すなわ人文じんぶん發達はったつが日に月に進んでやむことなく、いよいよ完成の域に迄付く事をふ ◯東西相倚リ 東西は東洋と西洋、りはあいよりかかり、あい助け合ふ義。すなわち東洋と西洋とが助け合つて、その關係かんけいが密接なこと ◯彼此相濟シ とは對語ついご。日本をとすれば、諸外國は、東洋を以てとすれば、西洋はである。しは有無う む相通じて、握手してゆくこと ◯福利 さいはひと利益りえき 東西彼此ひ しいづれもが共存共榮きょうえいする意 ◯國交ヲ修メ 國と國との交際をあたためる ◯友義ヲ惇ウシ 友義ゆうぎ友邦ゆうほうたるの道、あつしあつしと同じくよしみをあつうすること。すなわ友邦ゆうほうの道をつくして、互ひにあい親しみ、むつまじうする義 ◯慶ニ賴ル けいぜんまたはふくの義。この場合は、よろこびと福利ふくりとにたよることを意味す。

【大意謹述】思ふに、現今の社會しゃかいは一日も、その進歩をやめず、その精神せいしん上・物質上の伸張しんちょうしゆく具合は、日毎・月毎に目ざましいものがある。したがつて交通の非常に開けた結果は、東西の距離を短縮し、東に起つたことは、すぐ西に影響し、西に起つたことは、これ又早速、東に影響する。それであるから、文明といひ、文化といひ、これが進歩については、東洋・西洋共に手をたずさへて助け合ひ、おぎなひ合ひ、その完成をせねばならぬ趨勢すうせいにある。それに雙方そうほうの幸福・利益りえき增進ぞうしんするについても、一方だけにかたよらず、互ひにこれをわかつて、圓滿えんまんまじわりをしなくてはならない。これが今日こんにち現狀げんじょうである。

 それでちんは國際上のことに特に留意してますます外國とのまじわりを深うし、友邦ゆうほうとしてのよしみあつうして、諸外國と共に、永く文化及び文明が一般の人々にあたへる惠澤けいたくよくしたいものと思ふ。

【備考】この詔書しょうしょは、明治四十一年十月十三日、時局じきょく軫念しんねんあらせられた明治天皇當時とうじまだ戰勝せんしょうの夢からさめなかつた國民の放縱ほうじゅう浮華ふ かに流るるをいましめられ、兼ねて勤儉きんけん剛毅ごうき精神せいしん涵養かんようすべき事をさとされたのである。たまたまこの年が戊申ぼしんあたつてゐたので戊申ぼしん詔書しょうしょといふ。さてここいささ人文じんぶんといふ御言葉おことばにちなんで、文化と文明といふことについて一ごんする必要がある。文化は、ドイツ語のクルツウル(Kulutur)で、物質よりも、むし精神せいしんの進歩を意味する。ところが文明は、英語のシビライゼエシヨン(Civilization)で、精神せいしんよりも、より多く物質方面の進歩現象を意味する。そして、人文じんぶんといふのは、この場合、文化・文明のいずれをも合せ含むの意味として置きたい。勿論、この事についても、西洋では、そうじて文明(物質)の方がなく進むわりに、文化(精神)の方は、それに追隨ついずいしてゆけぬ狀態じょうたいにあるのは、いなめない事實じじつだ。

 けだし西洋文明は、ギリシヤ時代から、自然科學の方面において、いちじるしく發達はったつして來た。この傾向は、二十世紀の今日こんにちかわらない。西洋人の特長は、すべての現象を分析し、解剖して、これを組織立てるにある。そして、何事も、実驗じっけんといふことを重んずる。そこに推理・演繹えんえき歸納きのうの作用は見られても、直覺ちょっかく直觀ちょっかんといふ作用は、少いのである。それに西洋では物を分析的には見るが、綜合そうごう的に見ないとつたところがあり、つすべてにわたつて、功利こうり的だ。以上の諸要素が働いて、西洋に於ては、物質中心の化學が一番よく發達はったつしたのである。思想史上、唯物論ゆいぶつろん唯物觀ゆいぶつかんの國で、著しく發達はったつしたのもまた以上の關係かんけいから來てゐる。

 ところが、東洋はこれとおもむきことにし、宗敎・哲學の方がより多く發達はったつした。すなわち物質的な學問・思想よりも、精神せいしん的な學問・思想の方が、ずつと發展はってんした。その事は、印度いんど支那し ななどの文化において、立派に證明しょうめいされてゐる。支那・印度などでは、分析・解剖よりも、直覺ちょっかく直觀ちょっかんちょうじ、何事をも綜合そうごう的に見る傾向がある。それに西洋ほどに、組織・體系たいけいのことを重要視しない。つ理論的であるよりは、より多く情趣じょうしゅ的である。左樣そ うした特質が、やがて哲學・宗敎において、獨自どくじの飛躍をさしめたのであつた。

 以上の意味で、西洋はこれを文明的といひ、東洋は、これを文化的とへよう。西洋は量的に發達はったつして、機械文明の全盛を招來しょうらいしたが、東洋は質的に進歩して、精神せいしんの王國を築きあげた。かうした間につて、物質的にへんせず、精神的に傾かず、しかもこのりょう方面の長所を取つて、これを綜合そうごうし、調和してゆくのは、ひとり、日本のみである。それは、日本の傳統性でんとうせいで、古來、あらゆる長所を吸收きゅうしゅうして、これを調和の姿にまとめ、そこに統一作用を示すのが獨特どくとくの態度であり精神せいしんである。

 アメリカの日本研究家、メエソン氏は、この日本の長所を賞揚しょうようして、日本では、西洋で調和し難く、相剋そうこくしやすい審美しんび功利こうり精神せいしん的なものが一つに調和してゐることを論じた。それはすなわち左の如くである。

  日本文化が西洋に理解され難いのは、主として、そのたん一なる民族運動として、進展してゐる精神せいしん的・審美しんび的にして功利こうり的な異常なる樣相ようそうに原因する。この自我をまっとうする三つの要素をどうして調和するかといふ問題は、西洋人に取つては全く耳新しい問題で、今までは、その存在さへも、知らなかつたくらゐである。

  西洋文明は、依然いぜんとして、功利こうり主義・精神せいしん主義・審美しんび主義がお互ひにおかし合ふのでなければ、結び合はされない、ぼつ交渉こうしょうな三要素として考へられて來た。が、日本では、この三つの要素が、人爲じんい的にひられずに、おのづから、一つにけ合つてゐる。日本は印度いんどから實在じつざい問題について、精神せいしん上から解釋かいしゃくすることを學び、支那し なからは、審美しんび方面のことを學んだ。そしてこの自我をまっとうする二つの要素を固有の精神的な、また審美的な感覺かんかくと融合させ、ほその中に印度いんど支那し なとにけてゐた功利こうり主義的價値か ちをも附け加へたのである。日本人は、西洋及び印度・支那の短所は成るべく避け、三つの要素を制御して、いづれにもかたよらず、融合・統一して、三つの要素に於ける中庸ちゅうようを求めた。

 メエソン氏は、かうつて、日本が物質・精神せいしん兩方面の發達はったつにつとめ、しか中正ちゅうせいの旨を得たてんで、世界にたぐいのない地位を占めてゐることをあきらかにした。し西洋の識者が、すべてこのてんに氣付くとしたら、彼等は、當然とうぜん日本について學ばねばならぬことを切實せつじつに感ずるかも知れぬ。

 ところが、現在では、左樣そ うでない。西洋では、白人優越ゆうえつの考へを未だに解消しようとしない。したがつて、日本・支那し なに敎へる地位にゐても、日本から何ら敎へらるるところがないと飽迄あくまで妄信もうしんしてゐる。ひとり、メエソン氏は、日本のかたに學ぶべきものの多いことを謙虛けんきょ心持こころもちで語つてゐるが、左樣そ うした學者は、西洋にも極少い。大抵たいていのものは、西洋がすべての上で、東洋の先進で、つその指導者だと思ひ込んでゐるから、一層、東洋文化が呑み込めない。無論、日本文化とても、わからう筈がない。けれども公平に考へるものは、日本から多くのものを學ばねばならぬ事を知つてゐよう。

 かうした情熱の存在するにかかわらず、明治天皇におかせられては、國際こくさい關係かんけい圓滑えんかつならんことを只管ひたすら希望され、文明・文化の上で、西洋と提携ていけいして進まうといふことをおおせられてゐる。何といふ謙虛けんきょな、美しい大御心おおみこころであらう。それにしても、西洋の列强れっきょうが、謙虛けんきょな心持をいだくようになるのは、いつの事であらうか。東洋人とさへいへば、有色人種として、差別待遇をし、機會きかいさへあれば、抑壓よくあつを加へようとする冷たい心を持つものが、あまりにも多いのは、東西文化融合の一大障碍しょうがいである。このてん、切に西洋の人々の反省をうながしたい。