62-3 日露講和成立ノ際下シ給ヘル詔勅 明治天皇(第百二十二代)

日露にちろ講和こうわ成立せいりつさいくだたまヘル詔勅しょうちょく(第三段)(明治三十八年十月十六日 官報

【謹譯】これもとヨリ皇祖こうそ皇宗こうそう威靈いれいルトいえどもそもそもまた文武ぶんぶ臣僚しんりょう職務しょくむちゅうニ、億兆おくちょう民庶みんしょ奉公ほうこうゆうナルノいたところナラスンハアラス。交戰こうせん二十閱月えつげつ帝國ていこく地歩ち ほすでかたク、帝國ていこく國利こくりすでフ。ちんつね平和へいわ汲汲きゅうきゅうタル、あにいたずらきわメ、生民せいみんヲシテなが鋒鏑ほうてきくるしマシムルヲほっセムヤ。

【字句謹解】◯皇祖皇宗 皇祖こうそ天照大御神あまてらすおおみかみ及び高皇產靈神たかみむすびのかみを指し、皇宗こうそう御代々おんだいだい天皇を指したてまつる ◯威靈 すぐれた神靈しんれい、常に日本を守護する皇室の御祖先の御靈みたま ◯奉公 皇室につかたてまつること ◯二十閱月 二十ヶ月、明治三十七年二月十日の宣戰せんせん詔勅しょうちょくから三十八年十月十六日のこの詔勅しょうちょくまで、約二十ヶ月をてゐる ◯伸フ 四方上下にひろがること ◯汲汲 一生懸命の形容 ◯武ヲ窮メ 武威ぶ いを必要以上に、むしろ極端に濫用らんようする ◯生民 國民を指す ◯鋒鏑 戰爭せんそうの意。ほうは兵器の先端の銳利えいりな部分、てきはやじり、本來武器の意がてんじて戰爭せんそうとなつた。

【大意謹述】以上の如き好結果を得て、我が日本の地位を進めたのは、常に我が國をまもられる天照大御神あまてらすおおみかみ以下の諸天神てんじん歷代れきだいの諸天子の優れた御靈みたま加護か ごるのは言ふまでもないが、一方、文武ぶんぶの百かん職掌しょくしょう忠實ちゅうじつつくし、國民の全部が眞心まごころから朝廷に仕へて、國難こくなんのために犠牲を捧げたからである。約二十ヶ月の戰爭せんそうの間に、我が帝國の基礎は以前よりも固く、國全體くにぜんたいけた利益りえきは戰前に比較すれば見ちがへる程大きくなつた。戰へば必ず勝ち、攻めれば必ず取る我が勇敢な將卒しょうそつの力で、現在では開戰の目的は達せられたといつてもよい。常に平和を尊重し平和の間に國威こくいの進展をこころざちんが、どうしてこの上無用に兵を濫用らんようして國民に更に長い間戰時の苦痛をあたへるのを欲しようか。それは決して朕のこころざしではない。

【備考】明治天皇が、始終しじゅう、平和を尊重せられたことは、その聖詠せいえいの上によく現はれてゐた。左は明治三十七年の御製ぎょせいである。

  おほづつのひびきはたえて四方よ ものうみ

     よろこびのこえいつかきこえむ

  仇波あだなみのしづまりはてて四方よ ものうみ

     のどかにならむ世をいのるかな

  よものうみみなはらからと思ふ世に

     など波風なみかぜのたちさわぐらむ

 日露にちろ戰爭せんそう當時とうじ只管ひたすら、平和の世界が永遠に實現じつげんされんことを、心に祈らせられたことが以上によつて拜察はいさつすることが出來る。同時に、明治天皇出征しゅっせい將兵しょうそつに同情を寄せられ、

  暑しともいはれざりけりたたかい

     にわにあけくれたつ人おもへば

  いくさびといかなるのべにあかすらむ

     こえしげくなれるごろを

  つはものはいかに暑さをしのぐらむ

     水にともしといふところにて

  ものゝふの野邊の べのたむろやあつからむ

     みやうちにも風をまつ日は

  夏しらぬこほりみずをばいくさびと

     つどへるにはにわかちてしかな

 とまれた。いずれも、明治三十七・八年當時とうじ聖歌せいかである。かうふ風に、將卒しょうそつ勞苦ろうくを深く察せられた明治天皇は、日本の國威こくいを十分に發揚はつようした以上、平和實現じつげんこころざされ、將卒しょうそつろうなぐさめ、それら家族をいたはり給ふ思召おぼしめしを以て、ここ干戈かんかををさめ給ふ事となつた。このてん、いかに陛下が深く大御心おおみこころろうせられたか、以上の勅語ちょくごにより、十分、拜察はいさつるのである。