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61 東京帝國大學ニ臨幸ノ際下シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

東京とうきょう帝國ていこく大學だいがく臨幸りんこうさいくだたまヘル勅語ちょくご(明治三十七年七月十一日)

【謹譯】軍國ぐんこく多事た じさいいえどモ、敎育きょういくことゆるがせニスヘカラス。其局そのきょくあたもの勵精れいせいセヨ。

【字句謹解】◯軍國多事ノ際 國家が戰爭せんそうし、非常に事の多い場合。〔註一〕參照 ◯其局ニ當ル者 敎育の方面を專門として奉仕する者 ◯勵精 誠心まごころつくして義務にしたがふ。

〔註一〕軍國 この場合について勅語ちょくごを中心として考察する。ただし詳細は『軍事外交篇』にゆづらなければならない。づ明治三十七年二月十日には「日露にちろ宣戰せんせん」の詔勅しょうちょくがあり、同十二日に至つて聯合れんごう艦隊かんたい司令長官東郷とうごう平八郞へいはちろうに、十四日には陸海軍大臣、各師團長しだんちょう優渥ゆうあくみことのりくだつた。その後第四驅逐隊くちくたい司令長井ながい群吉ぐんきち旅順りょじゅん襲擊しゅうげき奇效きこうよみするみことのり(二月二十日)があり、東郷平八郞へ(二月二十八日及び三月十日・三月二十九日・四月十七日)のみことのり、陸軍では第一軍司令官黑木くろき爲楨ためもとに(五月二日)、第二軍司令官奥保鞏おくやすかたに(五月二十九日・六月十七日)、第十師團長川村かわむら景明かげあきに(六月三十日)各勅語ちょくごたまひ、海軍は旅順りょじゅん、陸軍は金州きんしゅう南山なんざん得利寺とくりじ分水嶺ぶんすいれい方面で苦戰の結果大勝を得たのをよみたまうた。それにしても、世界の六分の一を保有する大國ロシヤと旭日旗きょくじつきもとに奮戰する雄邦ゆうほう日本とのあらそひは未だ樂觀らっかんを許さない時だつた。この際、勅語を賜り、敎育の重要な所以ゆえんを示されたのである。

【大意謹述】今や我が日本は東洋の平和を確保するため、それを妨害するロシヤと交戰し、空前に多端たたんときをむかへてゐる。しかし如何い かに國家の急場にあたつても、第二の國民を正當せいとうに養成する敎育のことは決して輕々かろがろしく出來るものではない。汝等なんじら敎育を專門として國家に奉仕する者は、かくの如き非常時に際しては特に誠心まごころつくし、各自の義務をつくさなければならない。

【備考】軍國多事た じの際、平和の基本たるべき敎育のことに勵精れいせいせよとおおいだされた事は、陛下が如何い か平生へいぜいから、敎育を重んじさせられたかを拜察はいさつして、感激に堪へない。由來、大國民たいこくみん襟度きんどひろい。軍國にあつても、しずかに學術の專攻に從事じゅうじするものは、その心身を學術に捧げることを以て、奉公ほうこう本務ほんむとする。無論、戰線に出よとの命令が下れば、たちまけんを執るの勇士となるが、それ迄は、おちいて、その專攻する學術に沒頭ぼっとうし、悠々たる態度沈著ちんちゃくな樣子を示すところに大國民たいこくみんの本領がある。