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59-5 戰勝後臣民ニ下シ給ヘル詔勅 明治天皇(第百二十二代)

大日本詔勅謹解2 道德敎育篇

戰勝後せんしょうご臣民しんみんくだたまヘル詔勅しょうちょく(第五段)(明治二十八年四月二十二日 官報

【謹譯】いまちん淸國しんこくこうシ、すで休戰きゅうせんやくシ、干戈かんかおさムル、まさちかきラムトス。淸國しんこく渝盟ゆめいユルノまことすであきらかニシテ、帝國ていこく全權ぜんけん辨理べんり大臣だいじん案定あんていセル條件じょうけんちんむねフ。治平ちへい光榮こうえいあわせこれル、また文武ぶんぶ臣僚しんりょうたがいあいチテ全功ぜんこうおさメタルニほかナラス。祖宗そそう大業たいぎょう恢弘かいこういままさそのもといかたメ、ちん祖宗そそうたいスルノ天職てんしょくハ、ここそのおもきくわフ。ちんさらちんこころざしなんじ有衆ゆうしゅうケ、もっ將來しょうらいむかところあきらかニセサルヘカラス。

【字句謹解】◯淸國ト和ヲ講シ 日淸にっしん講和こうわ談判だんぱんは、明治二十八年四月一日から開始され、同十七日に調印、二十日明治天皇御批准ごひじゅんた ◯已ニ休戰ヲ約シ 休戰の勅許ちょっきょは二十八年三月二十七日の夜半やはんくだつた。とあるはこれが四月二十二日のみことのりであるからである ◯干戈ヲ戢ムル 戰爭せんそうめる、干戈かんかは武器のこと ◯渝盟ヲ悔ユル ちかいを破つてそむいたのを後悔する。支那し なが日本との友誼ゆうぎ關係かんけいを破つてたたかつたのを今では悔いてゐること ◯帝國全權辨理大臣 特命講和委員のこと、この時は內閣總理そうり大臣伊藤いとう博文ひろぶみ外務大臣陸奥む つ宗光むねみつが命ぜられ、李鴻章りこうしょう下關しものせき談判だんぱんした ◯案定セル條件 これに就いては〔註一〕參照 ◯全功 まったき結果。

〔註一〕日本の講和案 要點ようてんは次の如くである。

 一、淸國しんこくに於て朝鮮を完全無缺むけつ獨立國どくりつこくとして確認する事。

 一、淸國は左記の土地を日本國に割與かつよする事。

  甲 奉天省ほうてんしょう南部の地。

  乙 臺灣たいわん全島及びその附屬ふぞく島嶼とうしょ澎湖ぼうこ列島。

 一、淸國は唐平銀とうへいぎん三億テールを日本軍費賠償として、五ヶ年賦ねんぷを以て支拂しはらふべきこと。

 一、現に淸國と歐洲おうしゅう各國との間に存在する諸條約じょうやくを基礎とし、日淸にっしん新條約を締結ていけつすべく、みぎ條約締結に至る迄、淸國は日本國政府及びその臣民しんみんたいし、最惠國さいけいこく待遇たいぐうあたふべき事。

   淸國は右のほか、更に左の讓與じょうよすこと。

 (一)從來じゅうらいの各かい市港場しこうじょうほか北京ペキン沙市しゃし湘潭しょうたん重慶じゅうけい梧州ごしゅう蘇州そしゅう杭州こうしゅうの各市港しこうを日本臣民しんみんの住居營業えいぎょう等のめ開くべし。

 (二)旅客及び貨物運送のめ、日本國汽船の航路を(イ)揚子江ようすこう上流湖北省こほくしょう宜昌ぎしょうより四川省しせんしょう重慶じゅうけい迄(ロ)揚子江ようすこうより湘江しょうこうさかのぼつて湘潭しょうたん迄(ハ)西江せいこうの下流廣東カントンより梧州ごしゅう迄(ニ)上海シャンハイより呉淞江ウウスンこう及び運河にり、蘇州そしゅう杭州こうしゅう擴張かくちょうすべし。

 (三)日本國民にして輸入の際、原價げんか百分の二の低代稅ていだいぜいを納めたる上は、淸國しんこく內地に於ける一切の稅金・賦課ふ か金・取立金等は免除すべし。又日本臣民しんみんが淸國內に於て購買したる工作及び天然の貨物にして輸出のめなることを言明したる上は、べて低代稅ていだいぜい及び一切の稅金・賦課ふ か金・取立金を免除すべし。

 (四)日本國民は淸國內地に於て購買し、又はその輸入にかかる貨物をくらいりするため、何等の稅金・取立金を納めず、倉庫を借貸しゃくたいするの權利けんりを有すべし。

 (五)日本國民は淸國しんこく諸稅しょぜい及び手數料てすうりょう唐平銀とうへいぎんを以て納むべし。ただし日本國本位銀貨を以て之を代納することをべし。

 (六)日本國民は淸國に於て、各種の製造業に從事じゅうじし、又各種の器械きかい類を輸入するをべし。

 (七)淸國黄浦こうほ河口かこうにある呉淞ウウスン淺瀨あさせを取除くことに著手ちゃくしゅすることをやくす。

  一、淸國は講和條約を誠實せいじつに施行すべき擔保たんぽとして、日本軍隊が奉天ほうてん及び威海衞いかいえいを一時占領することを承諾すべく、かつみぎ駐在軍隊の費用を支拂しはらふこと。

 以上

 この提案にたいして李鴻章りこうしょう獨斷どくだんで修正案を提出したが、我國は之を許さず、しかも幾分の讓歩じょうほし、の正案を左記の如く決定して日本の最後案とした。この時も李鴻章りこうしょうほ異議をさしはさんだが、われに於て一しゅうした。本勅語ほんちょくご中の「帝國ていこく全權ぜんけん辨理べんり大臣ノ案定あんていセル條件じょうけん」とはじつにこの事を指す。その要旨はしもの如くである。

(第一)朝鮮の獨立どくりつかんしては、わが原案第一じょうの字句を變改へんかくするを許さず。

(第二)土地の割與かつよかんしては、臺灣たいわん及び澎湖ほうこ列島は原案の通りにして、奉天省ほうてんしょうの南部の地に就ては、鴨綠おうりょく江口こうこうより該江がいこうさかのぼ安平あんぺい河口かこうに至り、がい河口より鳳凰城ほうおうじょう海城かいじょう及び營口えいこうわた折線せっせん以南の地に減ずること。ただし前記の各城市じょうし包含ほうがんす、遼東灣りょうとうわん東岸及び黄海こうかい北岸にあっ奉天省ほうてんしょうぞくする諸島嶼とうしょ

(第三)償金しょうきんは二億テールに削減すること。

(第四)割地かっち住民の件は、わが原案を變更へんこうするをゆるさず。

(第五)通商條約じょうやくの件にかんしては、わが原案を變更へんこうするをゆるさず。ただし(一)新開しんかい市港しこうかずは之を減じて、沙市しゃし重慶じゅうけい蘇州そしゅう杭州こうしゅうの四所に限り(二)日本國汽船の航路は(イ)揚子江ようすこう上流湖北省こほくしょう宜昌ぎしょうより四川省しせんしょう重慶じゅうけいに至り(ロ)上海シャンハイより呉淞ウウスン及び運河にり、蘇州そしゅう杭州こうしゅうに至ると修正すべし。

(第六)將來しょうらい日淸にっしん兩國りょうこく間に起るべき條約上の問題を仲裁者に一任する新條項は、之を加ふるの必要を見ず。

 以上

 なほ、以上の結果生じた多くの外交問題、特に例の三ごく干渉かんしょうに就ては『政治經濟けいざい篇』『軍事外交篇』參照さんしょうのこと。

【大意謹述】今、ちん淸國しんこく講和こうわについて談判だんぱんし、雙方そうほう休戰きゅうせんする事を約束したので、この上は淸國が條約じょうやくを守る誠意があり次第に事實上じじつじょうこの戰役せんえきの終ることは必ず近い將來しょうらいにあると信ずる。朕のる所にしたがへば、淸國がかつてのちかいを破り、我が國と交戰こうせんしたのを現在ではこの上もなく後悔し、心からわれしゃしてゐる樣子ようすは一てんの疑ふ餘地よ ちもなく、我が帝國講和全けんの締結した條件じょうけんまさに朕の意をがっするものがある。かくして朕の望む平和は囘復かいふくし、戰勝國せんしょうこくたる名譽めいよを全世界に輝すことが出來たのも、文武ぶんぶかんが相互に努力して遺漏いろうのない功績をおさめたのにほかならない。

 現在日本は勇武ゆうぶの國として、その存在を世界に示した。各國人は驚異のまなこみはつて改めて我國に注目し始めたのである。我が皇室の御先祖は常に國運こくうんの進展をこころざされた。朕はそれを海外にまでひろめ、今後の大發展だいはってんの基礎を定めたので、今日こんにち以後御祖先にたいする朕の使命、責任はいよいよ重大となる。朕はここに於いておおいに決意する所があつた。よっ戰勝後せんしょうご臣民しんみんに朕のこころざしを告げ、將來しょうらい日本の進路を明らかにしようと思ふ。

【備考】古來、「勝つてかぶとをしめる」といふことばがある。勝利を得ても、弛緩しかんすると、かえって國が衰勢すいせいに向ふ場合が多い。ゆえ戰後せんご經營けいえいが何より大切となる。明治天皇は、このてん御心みこころを注がれ、日淸にっしん戰爭せんそうによつて得た勝利の名譽めいよを更に意義あらしめ、有終ゆうしゅうおさめようと思召おぼしめしされたのである。ここに「以テ將來しょうらいむかフ所ヲあきらかニセサルヘカラス」とおおせられた御言葉には、大きい力がこもつてゐて、之を拜誦はいしょうすると、おのづから、身心しんしんの緊張するを感ずる。