59-3 戰勝後臣民ニ下シ給ヘル詔勅 明治天皇(第百二十二代)

戰勝後せんしょうご臣民しんかくだたまヘル詔勅しょうちょく(第三段)(明治二十八年四月二十二日 官報

【謹譯】出征しゅっせい仁愛じんあい節制せっせい聲譽せいよほどこシ、外交がいこうまつりごと捷敏しょうびん快暢かいちょう能事のうじつくシ、もっ帝國ていこく威武い ぶ光榮こうえいトヲ中外ちゅうがい宣揚せんようシタリ。

【字句謹解】◯出征ノ師 戰線せんせんにある軍隊 ◯節制 節度ある行動 ◯聲譽 評判の意 ◯捷敏 すばやいこと ◯快暢 氣持よくのびる。そばで見てゐても氣持のよい程上手に行ふ意 ◯光榮 名譽めいよのこと ◯中外 內外に同じ ◯宣揚 べあげて目だつやうにする。

【大意謹述】戰線せんせんに向つた軍隊は、將校しょうこうから一兵卒ぺいそつに至るまで、敵の罪を憎んで人を憎まない同情心を發揮はっきし、節度ある行動をつて日本軍隊の名譽めいよ淸國しんこく始め內外に示し、一方、外交の任務にある者は萬事ばんじすばやく、はたから見ても氣持のいい程巧みに我國を有利に導き、共に日本帝國の偉大な武力と輝く名譽めいよとを世界各國に示すべく十分な成績をげた。

【備考】在來ざいらい支那し な・朝鮮などでは、日本軍隊の勇武ゆうぶを知つてゐたが、歐米おうべいでは、これを知らなかつた。すなわ日淸にっしん戰爭せんそう機會きかいとして、歐米おうべいでは、はじめて日本軍隊の眞價しんかを知つたのである。しかもそれは、勇武ゆうぶぺんとどまらず、情味じょうみあり、節制せっせいあり、歐米おうべいの軍隊にくらべて、少しもゆずらぬ事實じじつが判明した。それに外交方面も、在來、日本は兎角とかくれであつたが、當時とうじ敏腕びんわんにして膽略たんりゃくある陸奥む つ外相がいしょうきょくあたつたので、この方面も、大體だいたいにおいて、成功した。このてん明治天皇嘉賞かしょうせられたのである。