日本道德の本質と敎育(備考補遺)(七)敎育勅語の大精神と敎育革新

(七)敎育勅語の大精神と敎育革新

 かしこくも、明治天皇におかせられては、日本道德の運命について憂慮せられ、敎育の根本方針を確立するため、敎育きょういく勅語ちょくご渙發かんぱつされた。したがつて、日本の敎育は、當然とうぜん、日本精神の上に土臺どだいを置き、在來ざいらいかたをやめて、日本獨自どくじの立場を執らねばならぬ。ところが、德富とみとく蘇峰そほう氏の指摘された如く、しんに敎育勅語を現代に活かして講ずべき適當てきとうの敎育者がほとんど過去にはなかつた。ここに大なる遺憾いかんがある。

 ゆえにその後も、敎育家は、左視さ し右顧う こするといふ有樣ありさまで、中には、やはり、西洋流儀に心醉しんすいし、日本精神を基本とするところの敎育について、何ら開拓し、創造しようとしなかつたものが過半かはんを占めてゐる。おそれ多いが、折角せっかく渙發かんぱつせられた敎育勅語も、十分、その威力を發揮はっきしないうちに、明治天皇ほうぜられた。何といふ最大の遺憾いかんであらう。昭和の敎育に從事じゅうじする人々は、特にこのつぐなひをして、明治天皇御英靈ごえいれいに、これを報じまゐらせねばならぬ。

 すで勅語ちょくごの內容に於ける大精神だいせいしんは、說明したから、次ぎに、各學校において、この大精神を發揚はつようするのに、必要な講座を設けんことを切にすすめたい。現在の敎育は、百貨店式で、見た目ににぎやかだが、その內容は貧弱だ、雜駁ざつばくだ。のみならず、日本精神を闡明せんめいして、敎育勅語の大精神を根本的に弘通ぐつうすべき學科には全くけてゐる。ゆえ左樣そ うした學科の新設を最も必要とする、その大要は、左の如くである。

(一)日本國體こくたい學(二)日本文化學(三)日本精神せいしん發達はったつ史(古代・中世・近世・現代)(四)日本勤王きんのう思想史(五)日本文明史(古代・中世・近世・現代)(六)古代日本文學(七)日本文學史(古代・中世・近世・現代)(八)日本國民性の研究(九)東西比較ひかく思想史(十)日本武士道史(十一)日本神道史(十二)日本心學史(十三)日本英雄偉人の研究(十四)日本女性の研究(十五)日本道德の要旨

 以上の學科は、必修科目として、適宜てきぎ配置し、法文科のみならず、農科・理工科・醫科い か・商科にも、これを課する必要がある。多少の取捨しゅしゃはよいが、「日本國體こくたい學」「日本文化學」「日本精神せいしん發達はったつ史」「日本勤王きんのう思想史」「日本道德の要旨」だけは、全科にこれを課せなければならぬ。勿論、それには、適切な講師・敎授を要するが、それは、全く民間の實力じつりょくある學者で、今日こんにちの敎育家タイプに囚はれない人々をえらばねばならぬ。つ一方では、現代思想の動きにも通じ、人情の表裏ひょうりをもよく知つた活學者かつがくしゃたるべき人を必要とする。

 現在の學生中、組織立つた、かたのもとに以上の諸學科を聽講ちょうこうしたのは、まだ極少いであらう。あるい絕無ぜつむかも知れぬ。それに、大學・專門・中學などでも、このてんに留意して、日本精神せいしん發揚はつようのための講座を設けてゐるところも全くないであらう。露骨ろこつにいへば、知識詰込式であり、百貨店式で、それらの雜多ざったな知識を統一してゆく學科をまるで頭から敎へない。このてんについて學生のためにおもんばかつてゐる主腦者しゅのうしゃはたして幾人いくにんあらうか。心細い次第である。

 それゆえに、一層、以上の講座を設ける必要が焦眉しょうびきゅうたらざるを得ない。「俺は學者だ」と妙に鼻にかけるやうな講師でなく、謙遜けんそんで、眞摯しんししか剛毅ごうき、物に屈せぬとつたやうな魂ある人格者を、敎授・講師として、以上、敎育勅語の大精神を活かすべき基本學科を敎へることを寸秒すんびょうも早く急がねばならぬ。それこそ、日本敎育の根本革新に役立ち、歐米おうべい追隨ついずい敎育を一そうし去るであらう。

 西洋では、いずれかといふと、すべてが機械的・事務的の敎育になりすぎてゐる。これにたいして、日本は、西洋にないところの敎育を創造して、今後、西洋を指導してゆく必要がある。し私の案が直下に實現じつげんさるるなら、日本國體こくたいの尊敬を明かにした「日本國體學こくたいがく」の講座が獨自どくじのものとして新しい光を放つであらう。それから「日本文化學」は東西を見渡して、全く獨特どくとく地歩ち ほを占めてゐるところの日本文化の本質を哲學・科學の兩方面から明かにして、世界の人々に、全く目新しく、しかも意義ある最高文化の姿を示し、日本を尊敬せしめなければやまぬだらう。「日本精神せいしん發達はったつ史」と「勤王きんのう思想史」とは、世界にたぐいなき日本思想の精華せいかさんとして中外ちゅうがい發揮はっきするであらう。「日本道德の要旨」は、敎育勅語と密接な關係かんけいにあつて、將來しょうらい、世界を指導すべき道德の最高原理を示すであらう。かうして新しく、また有意義な講座が設けらるることにより、大學その他一般學校も、敎育界も、はじめて、日本精神に還元かんげんし、思想しそうなやむ學生たちもまた救はれて、中正・公明の思想の所有者となるであらう。實現じつげんの時代は今だ。一刻も躊躇ちゅうちょを許さない。現在、弊害へいがいしゅつ、どのてんからも行詰ゆきづまつてゐる日本の敎育を救ひ出すみちは、いわく、敎育勅語の大精神だいせいしんに生きることだ。それから根本知識をあたふる學科を普及し、勅語ちょくご御趣旨ごしゅしを現代人の胸に活かして、濶大かつだい淸新せいしんに之を謹說きんせつすることだ。誰かこの口火を早く切るものはゐないか。起て!起て!速かに日本の敎育を新しく、正しく活かすために起ち上がれ!

 思ふに以上の旨によって、新たに敎育勅語の奉戴ほうたい運動を起すについては、特に若き敎育家の奮起ふんきを要する。それには村の小學校からづこれを始めてゆかねばならぬ。村から町へ、町から府・けん・郡へ及ぼしてゆくべきだ。村または町の小學校が單位たんいである。また小學から中學へ、中學から、專門學校・高等學校へ、それからかん大學に及ぼすべきである。高等女學校・女子大學・女子專門學校においてもまた敎育勅語の奉戴ほうたい運動を新しくさかんにおこさなければならない。

 最近、信州に於ける赤化せっか運動が敎育界をひどくむしばんだことを耳にしたが、その多くは、小學敎員が赤化せっか思想にあやまられて、これが中心を形造かたちづくつためだ。小學兒童じどう頭腦ずのうやわらかで、何物にも動かされやすく、その受けた印象もまた中々なかなか磨滅まめつし去らないのが常である。したがつて一度赤化せっか的な敎育を受けると、よし再教育して日本精神せいしん本位に導かうとも、やはり赤化せっか敎育によって吹込まれた感化かんかが、何處ど こにかのこつてゐるから、少しも油斷ゆだんはならない。(終)