読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本道德の本質と敎育(備考補遺)(六)日本敎育を正しく生かす根本生命

(六)日本敎育を正しく生かす根本生命

 思ふに、歐米人おうべいじんが、その自己優越乃至ないし白人萬能ばんのうの無用な誇りをて去り、素直な、謙虛けんきょ心持こころもちになつて、忠孝ちゅうこうぽん精神せいしんほうずるなら、の思想・文化はいちじるしく變化へんかするであらう。彼等の現在のかたは、忠孝一本とむし反對はんたいの方向にある。少くとも、こうを無視し、ちゅう輕視けいししてゐる。かうした誤つた考へから離れぬ限り、行詰ゆきづまつた歐米おうべいは、救はれぬであらう。つまり、彼等は、道德の第一義的存在にたいしては、全く無感覚にちかい情態じょうたいに甘んじてゐる。そして空漠くうばくな人類愛とか、博愛とかを念佛ねんぶつの如く、口先きばかりでとなへ、國家主義とつても、「ちゅう」の精神せいしんが、しつかり、これを裏付けをらぬのだから、そこに强い信念、燃ゆるやうな情熱に乏しいところがある。ゆえに彼等にして、しんに救はれんとするならば、忠孝一本の上にその思想の根據こんきょを求め、これを以て、道德の第一義とせねばならぬ。が、彼等には、これをかいするだけ謙虛けんきょと素直さとが容易に出來まい。

 左樣そ うしたことはしばらき、日本國民は、以上の理由と事實じじつとを知つて、忠孝ちゅうこうぽんの思想が、日本の道德として、世界に誇るべきものだといふことを確實かくじつに意識し、自覺じかくせねばならぬ。昭和の時代は、すべて、日本それ自身に還元かんげんして、創造し、建設し、道德においても、倫理においても、日本の獨自性どくじせい發揮はっきすべき必要に直面してゐる外來の受賣うけうり思想で、甘んじてをるべき時は、もう、とつくに去つてしまつた。平たくいへば、日本は、一人前になつて、思想上、獨立どくりつし、道德・倫理もまた獨立どくりつせねばならぬ。かうした時代にあたつて、忠孝一本の精神せいしん發揚はつようすることが、何とつても、一番必要であり、それが、世界に於ける道德の指導精神となるわけである。すなわみずから正しくし、合せて、を正しくする大道だいどうが、忠孝一本の思想である。

 この際、一番、心せねばならぬのは、敎育に從事じゅうじする人々である。敎育界の現狀げんじょうについては、現在、ほ憂ふべきことが極めて多い。率直にいへば現在の敎育界は、不安動搖どうようにある。一部には日本精神の上に新しく目ざめたものもあるが、それはまだ少數しょうすうで、一ぱん以上は、マルクスにかぶれ、あるい自由主義に囚はれ、あるい曖昧あいまいな無主義無信條むしんじょう狀態じょうたいにある。それは、何に由來するか。敎育の根本方針が、まるで確定してゐないからだ。同時に、日本精神に立脚りっきゃくする敎育家があつても、その主張する敎育方針の內容を現代的にくことをしないで、固陋ころう偏狭へんきょう解釋かいしゃくに甘んずるの傾向から離れないからだ。ここに日本敎育界の弊源へいげんがある。明治初期から二十年頃迄の敎育方針は、猫の目の如く、ぐるぐるかわつたのであつたが、その基本をすものは、歐米おうべい敎育の摸寫もしゃであり、引寫ひきうつしである。あるいは、時として全くの鵜呑う のみであつた。

 したがつて、その讀本どくほんなども、西洋のものをそのまま翻譯ほんやくし、それへ何らの日本的解釋かいしゃくを加へてをらぬ。西洋の道德・倫理を說いたものをその儘に敎へ、あるい危險きけん、極端な西洋の政治思想さへも鼓吹こすいしたものを挿入した。のみならず西洋流の知識萬能ばんのう敎育を可とし、在來、國の精華せいかとせられた忠孝ちゅうこうぽんの道については、まるで說かぬ。中には、西洋流儀でなくて、忠孝を偶々たまたま說いたものがあると、その說き方が固陋ころうなチヨンまげ式だつた。勿論、かうした固陋ころうしゃ流は大方おおかた亡び、歐米おうべい智育ちいく本位の敎へ方が、全日本を風靡ふうびしたのである。

 明治天皇におかせられては、學問を重んぜられた中にも、特に修身しゅうしん―倫理・道德の學を以て、最高の學問とし、これを重んぜられた。ところが、當時とうじの帝大敎授の過半かはんは、天皇思召おぼしめしに反して、忠孝ちゅうこうぽん精神せいしんを「古い」とつて冷笑れいしょうするといふ風で、日本獨自どくじの道德をみずかいやしめたのである。けだしそれは、彼等がいずれも、歐米おうべいに留學して、日面にちめん米心べいしん・日面英心えいしん乃至ないしは、日面獨心どくしん・日面佛心ふっしんとなり切つてゐたからだつた。

 現に今日こんにちの東京帝大その他にも歐米おうべい崇拜すうはい者が中々なかなか多い。帝大といへば、赤化せっか主義者の淵叢えんそうと見られるのも、由來するところがすこぶる遠いわけだ。つ現在も、國文・國史科、漢文科を除くと、マルクス主義でない迄も、自由主義の立場を執り、日本精神せいしんの確立に反對はんたいしてゐるものが多い。官費かんぴを以て、日常優待ゆうたいせられ、立派な生活を保障されてゐながら、そのすところは、反國家的である。同時に、その中心をすのは、西洋思想で、その學問は西洋流に傾きすぎてゐる。そこに、日本精神に裏付けられた何物もない。

 こんな具合で、最高學府がくふたる官立かんりつ帝大の一ぱんが、むしろ國家主義に反對はんたいし、日本精神せいしんの確立に冷淡な以上、の諸學校が、動搖どうようするのは當然とうぜんではないか。「日本精神にかえれ」「日本精神に目ざめよ」と呼びかけねばならぬ必要はここにある。