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日本道德の本質と敎育(備考補遺)(三)日本の道德として世界に誇るべき特長

(三)日本の道德として世界に誇るべき特長

 更に一歩を進めて考へると、日本の國體こくたいは、西洋の國體こくたいとちがふ。道德・倫理を規定してゆく以上、國體こくたいに一致すべきことを必須の要件としなければならない。西洋は大體だいたいにおいて、易世えきせい革命の國で、その肇國ちょうこくの意義も、わからねば、建國けんこく精神せいしんまたぼんやりしてゐる。これは支那し な同樣どうようであるが、言葉にうまい古代支那人は、口のきで、その易世えきせい革命をもっともらしく修飾してゐる。

 日本は萬世ばんせいけいの皇室をいただいてゐるてんで全く獨自どくじの長所・美所を有する。そこには、易世えきせいもなく、革命もない、神武じんむ天皇以來、同一系の天子が君臨せられて、今日こんにちに及び、ほ無限に、天壤てんじょうと共にきわまりなき盛運せいうんつづけてゆかれる。ここに世界に向つて、十分に誇りべき偉大さがある。次ぎに、その建國の精神は、天上てんじょう高天原)の理想を地上に移して、積慶せっけい重暉ちょうき養正ようせいの三大とく現實げんじつにするためにあつた。ただ西洋諸國のやうに、漫然まんぜんきあたり、ばつたりに建てられた國ではない。積慶せっけい仁慈じんじを積み、重暉ちょうき叡智えいちつくし養正ようせい―正義の護持ご じにつとめてゆく、といふのが建國の精神である。かの「敬神けいしん愛民あいみん」と仰せられた明治天皇の御言葉も、みなもとここはっしたものと拜察はいさつする。

 以上によると、日本の國體こくたいは、一くん萬民ばんみんのもとに道義どうぎを地上に實現じつげんし、それを世界に及ぼしてゆくにある。ただ漫然まんぜんと建てられた西洋流の國家ではない。明治天皇が、「皇祖こうそ皇宗こうそうくにおさむること宏遠こうえんに、とくつること深厚しんこうなり」と仰せられたのは、天照大御神あまてらすおおみかみを始め、神武じんむ天皇以來、右に述べた如き、道義どうぎ肇國ちょうこく道義どうぎ建國けんこくの旨を事毎ことごと實現じつげんすることにつとめられ、歷代れきだい天皇またこの精神せいしん遵守じゅんしゅせられたのを指されたものと拜察はいさつする。

 かうした優れた國體こくたいを有する以上、第一にこの事を自覺じかくし、日本の倫理・道德もまた萬邦ばんぽう不比ふ ひ國體こくたいに照らして、その妥當性だとうせいを有するものを創造し、建設し、護持ご じしてゆかねばならぬ。ただ「新しい」とか、「古い」とか、いふ漠然ばくぜんとした標準で、日本の倫理・道德を評價ひょうかするのは全く失當しっとうだ。たとへ、西洋流の考へが新しくとも、珍しくとも、それは、モダン・ボオイに取つてのたんなる「新しさ」、たんなる「珍しさ」で、そこには、何の權威けんいもない。何となれば、國體こくたいの上で、まるでことなつた西洋流の考への多くは、日本人に全くあてはまらぬからである。それは、理論でもなければ、詭辯きべんでもない。生きた事實じじつであり、げんたる事實じじつである。西洋流に見て、「新しい」といひ、「古い」とつても、それは、日本にあてはまるべき評價ひょうかぢやない。かうしたてんについて、十分の自覺じかくがなければ、日本道德の眞價しんかも本質もわからない。おそれ多いことではあるが、敎育きょういく勅語ちょくご拜誦はいしょうするものは、以上の如き用意を以てしなければならぬ。いひへると、日本精神を以て、これを心讀しんどくし、色讀しきどくし、しかのち、これを體達たいたつしてゆかねばならぬ。

 明治天皇が、「臣民しんみんちゅうこうニ、億兆おくちょうこころヲ一ニシテ、世々よ よセルハ、國體こくたい精華せいかニシテ、敎育きょういく淵源えんげんまたじつここそんス」と仰せられたのは、「古來、忠孝ちゅうこうぽんが、日本道德の精髓せいずいでこの意義の實現じつげんこそ、日本をして今日こんにち隆盛りゅうせいおもむかせたのだ」とふ意味を含まれてゐると拜察はいさつする。

 一たい、「ちゅう」なる觀念かんねんは、日本・支那し なの特有である。西洋では、これさへも「義務」で解釋かいしゃくしてゆくから、打算的に流れる。のみならず、征服者と被征服者との關係かんけいでは、「忠」も何もあつたものではない。同時に、利己・個人本位の國だから、「忠」なる純粹性じゅんすいせい美德びとくは、到底、考へられない。考へられるとすれば、漠然ばくぜんたる愛國心だけである。ところが、支那では、いくらか「忠」といふことを頭に入れてゐる。しかしこれとても、易世えきせい革命の國で、いつ自分の生命・財產がなくなるか分明わ からぬといふ上から、「忠」の觀念かんねんに乏しい。むしろ「こう」の思想が有力である。孔子こうしは「じん」をき、孟子もうしは「仁義じんぎ」を述べたが、「」については、あまはない。『大學だいがく』『中庸ちゅうよう』などもほとんど「忠」については、熱心とはへぬ。けれども「こう」になると、孔子こうしの如きも相當そうとうに說き、一部の『孝經こうきょう』があつて、こう價値か ち・本質を力說してゐる。

 ここに至ると、支那し なでは、「」の思想が發達はったつしたが、「忠」の精神せいしんあま發達はったつしなかつた事がわかる。支那は家族制度の國だから、自分の家を保つてゆくことには、中々、忠實ちゅうじつである。易世えきせい革命のために、「國がどうなつてもよい、家さへ保てば、それで甘んじなければならぬ」といふ常習的な考へに固まつてゐる。家を支持してゆくには、「孝」の考へが必要だ。打算に生きる支那民族は以上の意味で、「孝」を必然の美德とし、これを「忠」の上位に置いてゐる。

 場合によると、支那人は、「忠」を忘れるか知らぬが「孝」を忘れない。「忠」の考へは、彼等に執つて、あま切實せつじつな響きを持たぬのである。打算上、「忠」の存在は、彼等に執つてえん遠い。したがつて、支那忠臣ちゅうしんなるものも、目先きばかりのものが割に多い。その忠臣の中でも、よく知られてゐるそう文天祥ぶんてんしょうなどは、よい方だが、日本の忠臣にくらべると、いたずらに悲歌ひ かし、慷慨こうがいするだけで、りんとしたところ、勇往ゆうおう邁進まいしんするといつたいきおいには乏しい、大分だいぶ、消極的である。

 したがつて、忠孝ちゅうこうぽんを以て、道德の中心とすることは、日本だけである。世界にいろいろの國があるけれども、「忠孝一本」を道德の最高原理とするのは、東方とうほう君子國くんしこくの折紙をつけられた日本だけである。國民は、づこの事について、深く考へねばならぬ。