57-3 敎育ニ關シテ下シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

敎育きょういくかんシテくだたまヘル勅語ちょくご(第三段)(明治二十三年十月三十日)

【謹譯】みちじつ皇祖こうそ皇宗こうそう遺訓いくんニシテ、子孫しそん臣民しんみんとも遵守じゅんしゅスヘキところこれ古今ここんつうシテあやまラス、これ中外ちゅうがいほどこシテもとラス。ちんなんじ臣民しんみんとも拳拳けんけん服膺ふくようシテ、みなそのとくヲ一ニセンコトヲ庶幾こいねがフ。

 明治二十三年十月三十日

 御名ぎょめい 御璽ぎょじ

【字句謹解】◯斯ノ道 今まで示し給うたいろいろの道のこと。順にいへば、孝行こうこう友愛ゆうあい和順わじゅん信義しんぎ恭儉きょうけん博愛はくあい修學しゅうがく習業しゅうぎょう公益こうえき世務せいむ重憲じゅうけん遵法じゅんぽう義勇ぎゆう奉公ほうこうの諸德目とくもくで、勅語ちょくごの文字の上から考へれば、「なんじ臣民しんみん父母ふ ぼこうニ」から「天壤てんじょう無窮むきゅう皇運こううん扶翼ふよくスヘシ」までにかかる ◯遺訓 後世にのこされた敎訓きょうくん ◯子孫 皇祖こうそ皇宗こうそう御子孫ごしそんの意で、天皇を始めたてまつり、皇族御一同を指す ◯倶ニ 一緒に、ここでは天皇・皇族と國民とが協力しての意 ◯遵守 絕對ぜったい服從ふくじゅうする ◯之ヲ 前の「ノ道」を指したもの ◯古今ニ通シテ謬ラス いつ、いかなる場合でも眞理しんりである。過去・現在・未來を通じて行つても決して間違まちがいはないこと ◯中外ニ施シテ悖ラス 世界中どの國で實行じっこうしても合はないことはない。中外ちゅうがいちゅうは我が國中こくちゅうがいは國外、前に時間の無限を說いたので、ここでは空間の無限に及んでゐる ◯拳拳 兩手りょうてで物を捧げるかたちで、深く心肝しんかんに感じて大切に行ふこと ◯服膺 常に自分からはなさないで大切にする意 ◯ ことごとくの意味、陛下・臣民しんみんも皆共に ◯其德 「父母ニこうニ」以下を指す ◯一ニセンコトヲ 同じくすること ◯庶幾フ 切望する ◯御名 ここには明治天皇御名おんな睦仁むつひと」の御親署ごしんしょがあるのを示して、御名ぎょめいといつた ◯御璽 天皇御印ごいんのすはつてゐること。

【大意謹述】今まで段々と述べて來た國民敎育の根本となる各種の道は、ここにちんが新しく設定したのではなく、じつに我が皇室の遠い御祖先ごそせん以來、代々の天皇が後世にのこされた敎戒きょうかいである。ゆえにその子孫である朕及び皇族の一同も、一般臣民しんみんと協力して絕對ぜったいしたがはなければならず、更にこの道は、ただ今日こんにち守つて間違ひないといふばかりでなく、いにしえから現在を通じ、遠い將來しょうらいに行つてもあやまることなく、又、ひとり我が國だけに守る道ではなく、外國に行つても、よく天地間のどこで實行じっこうしても、決して天地の大道だいどうとさからはない公道こうどうである。朕は汝等なんじら臣民と共に、この御遺訓ごいくんを胸にしつかりきざみつけ、常に念頭から離さず、出來るだけ多くの場合に實行じっこうして、國中こくちゅう全部が共にこの美しいとくを持ちたいと切望するのである。

【備考】勅語ちょくごの中で、「これ中外ちゅうがいほどこシテもとラス」とおおせられたことには、深い意義がある。すでげられた德目とくもくの內容は、日本國民の當然とうぜん守るべき大道だいどうであるが、同時に世界の各國が、道の上に目ざめたら、各國もまたまさほうずべきものである。へると、それは、日本の敎育上に於ける最深最大の眞理しんりであるにとどまらず、西洋その他でも、この旨にしたがつてこそ、はじめて正しい敎育の實現じつげんが可能なのである。

 日本の使命は、ただわが國民を正義化するだけで、終つたのではない。西洋に向つても、以上の眞理しんりつたへ、これを導き、これをおしへ、中外ちゅうがいほどこしてもとらない大道だいどうによりて、歐米おうべい諸國を薰化くんかしてゆかねばならぬ。すなわち世界の道義的どうぎてき統一こそ、日本の有する必然の使命である。西洋においては、「ちゅう」の精神せいしんが、正當せいとうに理解されてをらず、「こう」に至つては、まるでこれを了解しないものが多い。絕對ぜったい個人主義の上に永く生きて來た彼等は、國家よりも個人を尊重する。個人の表現を國家をとほして行ふといふ妙味みょうみほとんど知らない。國家は個人の利益りえきのための道具だとしてゐるものが少くない。ここに彼等の缺陥けっかんがある。

 それに親子の間も、絕對ぜったい個人主義でゆくから、そこにあたたかい愛情は成立しない。すべてが打算的となり、雙方そうほう、冷たい感情を抱合つて對立たいりつする事になる。ここにも、缺陥けっかんがある。つまり、忠孝ちゅうこうぽん眞理しんりは、西洋人に、はつきり理解されてをらぬのだ。思ふに道德上、最高最深の意義ある「忠孝ちゅうこうぽん」の考へが、彼等の上に生きて働かない限り、彼等は永久に救はれない。このてんから、日本は當然とうぜん、指導的地位に起たねばならぬではないか。明治天皇が「これ中外ちゅうがいほどこシテ悖びもとラス」と仰せられた意味は、ここにあることを信じて疑はない。

 要するに、この敎育きょういく勅語ちょくご渙發かんぱつにより、敎育に從事じゅうじするものは、はじめてその一すべきてんを知つたのである。それ迄は西洋追隨ついずいの敎育方針を執り、あるいはその方向に迷つて、有耶う や無耶む やかたし、敎育の眞精神しんせいしん沒却ぼっきゃくした形があつたのが、ここに至つて、根本意義を自覺じかくし、「せい」にかえつたのであつた。すなわち日本敎育の光明こうみょうは、この勅語ちょくごにより、四方に輝くに至つたのである。これを拜讀はいどくするものは、ただに心にむのみならず、身にみ、これを全部、實踐じっせんしなくてはならぬ。

 德富とくとみ蘇峰そほう氏は、敎育きょういく勅語ちょくご謹釋きんしゃくについて十分の注意を要すべきことを主張し、「吾人ごじんは敎育勅語ひとたびでて、國民敎育の歸向きこうてん、始めて分明ぶんめいなりとはんとほっす。しかも國民の心が、彼等の期待の如く、はたして歸向點きこうてんに、きたかいしたるかに至りては、いささか疑ひなきあたはず(中略)打開うちあけてへば、かくの如き高明こうめい博厚はっこうなる敎育勅語たるにかかわらず、之を解釋かいしゃくする者、ややもすれば、狭義きょうぎへんし、六合りくごうわたるべき規模廣大こうだいなる勅語をして、いたずらにマツチの箱の中に押し入れ、世界を家とする大帝國民の精神せいしん涵養かんようすべき聖旨せいし朦晦もうかいして、かえって三村裡そんり郷愿きょうげんを製造し、めにの勅語をして、ほとんど維新いしん興國こうこく精神せいしんぼつ交渉ならしむるが如き結果さへていしたるが如き姿ありしは、吾人ごじんすこぶ嘆惜たんせきしたる所たりしなりかくの如くして、折角せっかくの敎育勅語も、文部省型、官學かんがく氣質かたぎうちに閉ぢめ、一般の敎育界は、あたか不信心ぶしんじんなる眞宗しんそう僧侶そうりょが三部經ぶきょう誦讀しょうどくする如く、いたずらにの形式に流れ、眞生命しんせいめいを失ひ、めに新日本國民の所謂いわゆ日本魂やまとだましい長養ちょうようするに於て、多くの效果こうかあたふるあたはざりしは、の責任の誰にするにもせよ、國家の不幸、れより大なるはなかりしなり」とたんじ、更に一歩進めて、「折角せっかくの敎育勅語も之を積極的に拜戴はいたいせずして、之を消極的に拜受はいじゅし、之を王政おうせい復古ふっこ、世界對立たいりつの維新改革の大精神だいせいしんつながずして、之を偏屈へんくつ固陋ころうなる舊式きゅうしき忠孝ちゅうこう主義に誤釋ごしゃくし、(中略)大和やまと民族みんぞくを世界に膨脹ぼうちょうせしむる、急先鋒きゅうせんぽう志士し しは、かえっ寥々りょうりょう、世にきこゆるなきがごとかりしは、むし甚大じんだい恨事こんじはずして何ぞや」といひ、「いずれにもせよ、一大抱負、一大目的を以て生れでたる敎育勅語が、明治下半期の人心を指導するために、未だ全く無力なりしとはざるも、その效力こうりょくの、むし吾人ごじんの期待にはざりしは、れ勅語の威靈いれいなきがめにあらずして、之を了解するに於て、適當てきとうなる方法をきたるにせずんばあらず」と結論してゐる。

 要するに、敎育勅語の大精神だいせいしん・大理想を謹釋きんしゃくする人々が、これを時代に考へて、おおいに活かし、おおいに輝かし、積極的意義を以て說くことを必要とするといふことに歸著きちゃくする。ゆえ蘇峰そほう氏は「今忠孝ちゅうこうの模範として、楠公なんこうや、四十七や、曾我そ が兄弟きょうだいや、其例そのれい一にして足らず。されど彼等は當時とうじ社會しゃかいに於て、の最善をつくしたるにとどまる。の心もとよりよみきも、其跡そのあと必ずしものりとなすに足らず。今日こんにち大和やまと民族みんぞく忠孝ちゅうこうは、湊川みなとがわ討死うちじにや、富士ふ じ裾野すその敵打かたきうちとどまるべきにあらず。我が皇室を中心とし、帝國の威信いしんを八こうふるふは、當今とうこん忠孝ちゅうこう主義の極意ごくいなり」と直言ちょくげんした。要するに、忠孝ちゅうこうぽんするところ、皇室中心主義の精神せいしん發揚はつようし、內外にわたつて、平和と正義の理想を高調こうちょうし、實現じつげんするにある。いたずらに字句のすえ拘泥こうでいして、勅語の大精神だいせいしんいつしてはならぬ。左に【備考】を補ふために『日本道德の本質と敎育』といふ一論文を特にかかげる。