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55 幼學綱要頒賜ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

大日本詔勅謹解2 道德敎育篇

幼學ようがく綱要こうよう頒賜はんし勅語ちょくご(明治十五年十二月)

【謹譯】彝倫いりん道德どうとく敎育きょういく主本しゅほん我朝わがちょう支那し なもっぱ崇尙すうしょうスルところ歐米おうべい各國かっこくまた修身しゅうしんがくアリトいえどモ、これ本朝ほんちょう採用さいようスル、いまようス。方今ほうこん學科がっか多端たたん本末ほんまつあやまものすくなカラス。年少ねんしょう就學しゅうがくもっとまさ忠孝ちゅうこうもとトシ、仁義じんぎさきニスヘシ。よっ儒臣じゅしんめいシテ此書このしょ編纂へんさんシ、群下ぐんか頒賜はんしシ、明倫めいりん修德しゅうとくようここことラシム。

【字句謹解】◯頒賜 かみより物をわかちたまはること ◯彝倫 人倫じんりん、人間の守らなければならない五じょうを指す、五じょうとは五りんのことで、君臣くんしん父子ふ し・夫婦・長幼ちょうよう朋友ほうゆう間の道 ◯主本 根本 ◯崇尙 重要に考へてたっとぶ ◯修身ノ學 身を修める學問、人間が自身を修め、世の中に生活してく上に就いて相互の道を守ること ◯本朝 我が日本 ◯本末を誤る 根本となる重要な部分と末端にあたるどうでもよいものとを取違へる ◯仁義 じんは博愛・同情の心。理義り ぎの事 ◯儒臣 儒學じゅがくの知識を以てかみに仕へる者、ここでは明治天皇侍講じこうである元田もとだ永孚ながざねのこと、〔註一〕參照 ◯編纂 書物を作り上げる ◯明倫 人倫じんりんの道を明らかにする。

〔註一〕幼學綱要の由來 ここに『幼學ようがく綱要こうよう』を頒賜はんしされたについては、相當そうとうに知つて置かねばならない重要事情がある。明治十一年、明治天皇が北陸・東海地方を巡幸じゅんこうせられた時、諸學校を視察せられた結果、德育とくいく上に缺陥けっかんあることを見出し給ひ、還幸かんこうの後、右大臣岩倉いわくら具視ともみにその旨を告げられた。けだし明治五年學制を制定して以來、づフランス流の敎育を行ひ、次いでアメリカ式にてんじた。したがつて、アメリカ精神せいしん鼓吹こすいした讀本どくほんをそのまま譯述やくじゅつして採用し、「神は天地の主宰しゅさいにして、人は萬物ばんぶつれいなり」といふやうなキリスト敎的なものを平氣に生徒にませたばかりでなく、共和政體せいたい讃美さんびしたウエイランドの讀本どくほんを小學上級に用ひたのである。更に中學でも、アメリカ式の地理・歷史を授け、國史敎育は全く閑却かんきゃくされてゐた。その上、智育ちいく萬能ばんのうで、德育とくいくになると、まるでかえりみられない。明治天皇は、この有樣ありさまを見て深く憂慮ゆうりょせられ、德敎とっきょうの前途に關心かんしんされたのである。

 より天皇は、元田もとだ永孚ながざねに命じて、德育とくいくかんする一書を編纂へんさんせしめらるることとなり、宮內省文學係の人々―高崎たかさき正風まさかぜ仙石せんごく政固まさかた兒玉こだま源之丞げんのじょう池原いけはら香穉こうちらの人々が勅命ちょくめいにより、材料を蒐集しゅうしゅうした。その原案によると、二十の德目とくもくげられてゐる。それは左の如くである。

(一)孝行こうこう(二)忠節ちゅうせつ(三)和順わじゅん(四)友愛ゆうあい(五)信義しんぎ(六)勤學きんがく(七)立志りっし(八)誠實せいじつ(九)仁慈じんじ(十)禮讓れいじょう(十一)儉素けんそ(十二)忍耐にんたい(十三)貞操ていそう(十四)廉潔れんけつ(十五)敏智びんち(十六)剛勇ごうゆう(十七)公平こうへい(十八)度量どりょう(十九)識斷しきだん(二十)勉職べんしょく

以上の德目とくもくに配するに內外の實例じつれいを以てして、明治十二年起稿きこう、十四年に完成した。その翌年、地方官會議かいぎが開かれたが、その際、一同にも下賜か しされた。また宮內省の人々、華族かぞく女學校へもたまわつた。當時とうじ天皇は毎晩御膳ぎょぜんむと、若き女官じょかんらに『幼學ようがく綱要こうよう』の趣旨を說き聞かされたと拜聞はいぶんする。

【大意謹述】五りんの道德は敎育の根本觀念かんねんをつくる重要なもので、古くから我國及び隣邦りんぽう支那し なが主としてたっとんでゐた。ヨオロツパ又はアメリカの各國にも一しんを修める學問は存在する。しかしそれを我が國に採用して全國民に實施じっしさせるとなると、國情こくじょうに適しない部分もあり、必ずしも我が國民に利益りえきあるとは限らない。このてん今日こんにち學問する者の最も注意を要することで、種々しゅじゅ多樣たような學問・知識が輸入されるに及び、中には我が固有の國體こくたいや風習を忘れ、外國の思潮しちょうをそのまま移せば足りるとし、根本と末端との關係かんけいを全然考へない者が次第に多くなつて來た。五りんの道を忘れて何の知識、何の學問があるか。我が國體こくたいを忘れた學者は、國を害することはあつても、決して國運發展はってんの助けとなるものではない。ゆえちんは學問を習ひ初めた少年たちに、づ忠義・孝行の觀念かんねんを明白に知らせ、博愛・同情・理義の道を何よりも先に學ばしめなければならぬと考へる。この趣旨のもと今囘こんかい儒学じゅがくを以て奉仕する臣下しんかに命じて、『幼學ようがく綱要こうよう』と題する修身書しゅうしんしょませ、群臣ぐんしんに分けあたへて、人倫じんりんを明らかにさせ、德を修める中心を分らせるやうにした。汝等なんじら群臣ぐんしんはこの書により、我が國體こくたい・風俗をたっとぶ理由を知らなくてはならない。

【備考】勅語ちょくご中、日本が歐米おうべい國情こくじょうことにする旨を仰せられ、つ「本末ほんまつあやまるな」と敎示きょうじせられたことは、特に感銘の深きものがある。明治十五年の頃は、歐化的おうかてきな傾向が、すべての上にきわたり、敎育の方針・內容もまた歐米にならふ風が大分强められて來た。

 それは、敎育界の識者しきしゃといはるる人々が多く歐米おうべいの敎育を研究し、そこから新方式・新設備を考へ出し、それを以て、正當せいとうの進歩だと誤り考へたによる。その結果は、國民精神せいしん大本たいほんたるべき道德・倫理のこと迄も、歐米をはんとし、日本の國性民性に基づく道德・倫理を、陳腐・時代おくれのものとして、軽視する敎育家も出て來た。あるい基督敎キリストきょう心醉しんすいするのあまり、すべてを耶蘇や その敎訓によつて、規制しようとするやうなものも現はれた。

 ここに至ると、本末ほんまつ顚倒てんとうである。個人主義の起つ西洋の道德、日本と全く國體こくたいことにしてゐる西洋の倫理は、たとへ、よく組織が出來てゐても、體系たいけいが整つてをつても、日本の國性民性としつくり合はない。それゆえ、西洋本位に道德・倫理を說くことは、日本において全く妥當だとうくわけである。忠孝ちゅうこうぽん!これ日本道德の根幹で、儒敎じゅきょうの說く仁義はその補助劑ほじょざいにほかならない。忠孝を旨とし、これを育てはぐくみゆくために、仁義の敎へを參考とするのが、本來、日本國民のくべき道である。ところが、ここに目ざめないで、歐米流おうべいりゅうかたをしようとするものがようやく多いので、明治天皇におかせられては、これを憂ひ給ひ、ここ儒臣じゅしんに命じて、『幼學ようがく綱要こうよう』をへんせしめ、かしこくも臣下しんか頒賜はんしせられた。全國民は、西洋心醉しんすいから目ざめ謹んで自省して忠孝一本の旨を心がけて進まねばならない。これは當時とうじ今日こんにちも少しもかわらぬのである。世上せじょう、忠孝といへば、「古い」とか「時代おくれ」とかふものがゐるが、眞理しんり大古たいこ大新たいしんだ。いかにそれが古くから說かれ、行はれても、その生命力は日々あらたである。この事に想到そうとうしないで、あたらしがることは全く意義をさぬ。

 最後に明治初期の帝國大學の敎育がまるで、歐米化おうべいかてきなものであつた一例として、左の課目をここげて置く。

 東京開成かいせい學校がっこう本科ほんか課程かてい(明治八年)

法學科 /第一年 本科下級 列國交際法(平時交際法) 英國法律(大意憲法及刑法、心理學及論文) 拉丁ラテン語/第二年 本科中級 列國交際法(戰時交際法) 英國法律(慣用法、衡平法及其主旨)  羅馬ローマ法律 政學 修身學及論文 仏蘭西フランス

 右の如く、日本法制については、全然、講義されてをらぬ。第三年も同樣どうようで、萬事ばんじ、西洋學のみを基礎とした。敎育の歐米化おうべいか今日こんにちの如く、極端に迄しひろげられた由來は全くここにある。