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51 故楠木正行追賞ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

楠木くすのき正行まさつら追賞ついしょう勅語ちょくご(明治十年二月十七日)

【謹譯】なんじ正行まさつらちちこころざしキ、ちから王事おうじつくシ、つい國難こくなんたおル。ちんその世忠せちゅう追感ついかんス。いま大和やまとこうスルニリ、使つかいつかわなんじおくつきちょうシ、かつ金幣きんぺいたまフ。

【字句謹解】◯正行 正成まさしげの子で四條畷しじょうなわて戰死せんしした。〔註一〕參照 ◯ 楠木くすのき正成まさしげのこと ◯國難 國家に困難を生じた場合 ◯世忠 父子二世のみならず孫らにもつづいた忠節ちゅうせつ ◯追感 思ひ出す。

〔註一〕楠木正行の一生 正行まさつらは父の戰死後、河內にあつてそのこころざしを奉じ、足利あしかが尊氏たかうじほろぼさうと決心した。ちょうじて父のかんおそひ、後村上ごむらかみ天皇行宮あんぐうを守護しておおいに敵を破つたが、正平しょうへい三年三月賊將ぞくしょう高師直こうのもろなおの兵六萬人まんにんを相手に河內の四條畷しじょうなわてはげしく戰ひ、遂に敗れて弟の正時まさときと共にいさぎよ自刃じじんした。時にわずか二十三歳。明治九年にじゅを、三十年にじゅ二位を贈られ、二十二年にはそれをまつつた四條畷しじょうなわて神社じんじゃ別格べっかく官幣社かんぺいしゃに列せられた。

【大意謹述】なんじ正行まさつら、父正成まさしげ遺志い しいで皇室の勢力恢復かいふくに全力をつくし、遂に四條畷しじょうなわて名譽めいよ戰死せんしをとげ、名を千ざいにかがやかした。ちんは父子一族が共につくした忠節ちゅうせつを深く感ずる。今囘こんかい大和地方に行幸ぎょうこうするに際し、使者の墓につかわしてれいを慰め、金幣きんぺいを授ける。これを地下の汝に告げる。

【備考】この父にして、この子あり、この子にして、この父ありといふことは、正行まさつらの場合に痛切にてはまると思ふ。楠公だいなんこう悲壯ひそう最期さいごは、まさに天地・鬼神きじんを感動せしめる力があるが、楠公しょうなんこうの場合も、決してそれに劣らない。軍略家としては楠公だいなんこうの方が優れてゐたが、誠忠せいちゅうの一てんになると、兩者りょうしゃ共に同一だとへよう。かの四條畷しじょうなわてふもの、當年とうねん正行まさつらを思うて、低徊ていかい去るに忍びず一きくの涙なきを得ないではないか。天恩てんおん優渥ゆうあくれの枯骨ここつに及んだことは感激の至りである。