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48 華族會館ニ臨ミテ華族ニ下シ給ヘル勅諭 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞく會館かいかんのぞミテ華族かぞくくだたまヘル勅諭ちょくゆ(明治八年十月七日 三條實美公 年譜)

【謹譯】ちんここ親臨しんりんシ、汝等なんじら華族かぞく宣示せんしス。ちんさき汝等なんじらさとところアリ。汝等なんじらちんむねたいシ、昨年中さくねんちゅう同志どうし會合かいごうシテこのかん創立そうりつシ、もっ國家こっか報效ほうこうスルところアラントス。ちんはなはこれミス。汝等なんじら華族かぞくぱん嗣出ししゅつ此館このかん從事じゅうじシ、協同きょうどう勉勵べんれい學術がくじゅつ研精けんせいシ、その目途もくと宏遠こうえんシ、なんじ履行りこうクシ、なんじ家道かどうととのヘ、名聲めいせいたもチ、なが皇室こうしつつくところアレ。

【字句謹解】◯華族會館 華族かぞく集會所しゅうかいしょ華族沿革えんかくに就いては〔註一〕參照 ◯報效 國家の目的に盡力じんりょくする ◯嗣出 嫡子ちゃくし及びその他の子孫 ◯研精 詳細な研究 ◯目途 目あてとする場所 ◯宏遠ニ期シ 現狀げんじょうにのみ滿足まんぞくしないで、遠い將來しょうらいを目あてとする。こうひろい意 ◯履行 實踐じっせんのこと。

〔註一〕華族の沿革 華族かぞくとは元來がんらい精華せいか又は華冑かちゅうのことで、大臣・大將たいしょうを兼ねて太政大臣だじょうだいじんに進む家柄いえがらを意味した。前述の如く、明治二年六月に公卿く げ及び諸侯しょこうしょうはいするに及び、この文字を使用したので、皇族の次、士族しぞくの上にくらいする。四年にはすべての華族東京府貫屬かんぞくとし、十年一月に華族部長局を東京と京都に置いたが、十五年に至つてはいし、宮內省中に華族局を置いた。十七年七月に華族令が制定され、五しゃく(こうこうはくだん)を分ち、國家功勞者こうろうしゃ敍爵じょしゃくすることにした。

〔注意〕同日、この他に

(一)『華族會館ニ臨ミテ三條さんじょう實美さねとみ島津しまづ久光ひさみつ岩倉いわくら具視ともみニ下シ給ヘル勅語ちょくご』(岩倉公實記)/(二)『華族會館ニ臨ミテ創立首唱者しゅしょうしゃニ下シ給ヘル勅語』(同)

があり、同意のみことのりとしては、明治八年十月十二日の『華族ニ下シ給ヘル勅語』もあるが、華族かんするものでは、『政治經濟けいざい篇』に收錄しゅうろくする豫定よていとなつてゐる『五しゃく制定せいてい詔勅しょうちょく』(明治十七年十月七日官報)が最も重要である。

【大意謹述】ちんは今親しく華族かぞく會館かいかんに臨み、一般華族に所感を告げたい。朕はかつ華族の責任に就いて汝等なんじらさとしたことがあつた。その後、朕の趣意しゅいをよく了解し、昨年中にこころざしを同じくする者をあつめて華族會館を新しく造り、華族間の親睦を計ると共に國家のために共に盡力じんりょくしようとすることは、朕の喜び滿足まんぞくとする所である。現在創立された華族會館は右の使命を全うするのに最善の場所である。一般華族及びそのの人々は、常にこのかん出入しゅつにゅうし、一致協力のもとに學術を研究して、遠大えんだいな目的を立て、態度・行動をつつしみ、一家中を申分なく整へ、華族としての體面たいめんけがさず、永久に皇室にちゅうつくさなければならない。

【備考】前掲ぜんけい勅語ちょくご對照たいしょうして、拜誦はいしょうすると、明治天皇が、いかに華族たいして、あつ思召おぼしめしゆうせられたかが分明わ かる。それにつけて、天皇大御心おおみこころ拜察はいさつする華族たちは、日夜、勅語ちょくごはいして、德を修め、才を磨き、國家進運に貢獻こうけんし、公共事業銳意えいいしなければならない。

 華族は、社會しゃかいの上流を構成するのであるから、その德も、その才も、上流にふさはしい本質を具備ぐ びしなければならぬ。それに謙遜けんそんで、一切、自分よりも以下の人々に深い同情をよせ、プロレタリアをあわれみ救ふ心もあつてほしい。これすなわ天皇思召おぼしめしむくいまゐらせる最上の道であらうと思ふ。