45-2 改曆ノ詔 明治天皇(第百二十二代)

改曆かいれきみことのり(第二段)(明治五年十一月九日)

【謹譯】けだ太陽曆たいようれき太陽たいよう躔度てんどしたがツテつきツ。日子にっし多少たしょうアリトいえどモ、季候きこう早晩そうばんへんナク、四さいごとニ一にちうるうキ、七千ねんのちわずかニ一にちしょうスルニキス。これ太陰曆たいいんれきスレハもっと精密せいみつニシテ、その便べん不便ふべんもとヨリろんタサルナリ。よっ自今じこん舊曆きゅうれきはいシ、太陽曆たいようれきもちヒ、天下てんか永世えいせいこれ遵行じゅんこうセシム。百かん有司ゆうしむねたいセヨ。

【字句謹解】◯太陽曆 これは地球が太陽の周圍しゅういを一囘轉かいてんする時間を基礎とし、これを一年としたもの。ただしこの時間は正確に計算すれば、三百六十五日五時間四十八分四十六秒で、普通の年は五時間四十八分四十六秒を切り捨てるが、四年をれば二十三時間十五分四秒となつて約一日となるから、それをかぞへ、三百六十六日を一年として閏年うるうどししょうする。しかしかくすれば四年毎に四十四分五十六秒だけ早すぎる結果となるから、四百年間に三かい閏年うるうどしを省くことにしてある ◯太陽ノ躔度ニ從ツテ月ヲ立ツ 太陽の運行にしたがつて月が決定される、これは當時とうじの思想で、一般には天道說が信じられてゐたことをあらはす ◯遵行 したがひ行ふ ◯百官有司 もろもろの役人のこと。

【大意謹述】これに反して太陽曆たいようれきは、太陽の運行を中心として月を決定するので、嚴格げんかくな意味からすれば、實際じっさいの運行と日々の立て方との間に多少の相違そういがないとは言へぬが、月と氣候とが合しないやうなことなく、相違を埋合うめあはせるために、四年毎に一日のうるうを置き、七千年の後に至つてわずか一日の差を生ずるに過ぎない、ゆえに理論上から太陽曆と比較すれば、この方がはるかに細かく確かで、便不便のてんを問題とすれば、ここに說く必要のない程太陽曆の方が優れてゐる。これらの理由から、ちんは過去に於いて長年使用して來た弊害へいがいの多い舊曆きゅうれき廢止はいしし、萬事ばんじ太陽曆の示すところにしたがつて、永久に天下の人々の實用じつようきょうしたいと思ふ。汝等なんじらかんは、朕の意のあるてんを了解し、以後は斷然だんぜん太陰曆たいいんれきを使用してはならない。

【備考】改曆かいれき斷行だんこうにより、國民は不便な舊曆きゅうれきから離れ、學術のむねに合致した便利な新曆しんれきによることとなり、いろいろの迷信分子からも、漸次ぜんじ解放された。この事は、明治初期の改革中、重要な一つである。