45-1 改曆ノ詔 明治天皇(第百二十二代)

改曆かいれきみことのり(第一段)(明治五年十一月九日)

【謹譯】ちんおもフニ我邦わがくに通行つうこうこよみタル太陰たいいんノ、朔望さくぼうもっつき太陽たいよう躔度てんどがっス。ゆえニ二三年間ねんかんかなら閏月じゅんげつカサルヲス。置閏ちじゅん前後ぜんごとき季候きこう早晩そうばんアリ。つい推歩すいほしょうスルニいたル。こと中下段ちゅうげだんかかクルところごとキハ、おおむ妄誕ぼうたん無稽むけいぞくシ、人知じんち開達かいたつさまたクルモノすくなシトセス。

【字句謹解】◯改曆 こよみを改めること、これは太陰曆たいいんれき太陽曆たいようれきに改めたことで、その結果、明治五年十二月十三日を明治六年一月一日と改められた ◯朔望 すつかりけた月が更に現れはじめるのがさく滿月まんげつぼうである ◯閏月 「うるふづき」として普通に知られてゐる。元來、太陰曆は月(太陰)が地球の周圍しゅういを一かい運行する時間に基礎を置いたもので、一ヶ月を二十九日又は三十日とし、十二ヶ月を一年とするものだが、月の朔望さくぼうと運行とは少差しょうさがあり、これを積んで一ヶ月とし、五年に二度、十九年に七度の割合でしてく。だから閏月うるうづきがある年は一年が十三ヶ月となる ◯躔度 天體てんたいの運行の度合 ◯置閏ノ前後、時ニ季候ノ早晩アリ 閏月うるうづきのある前又は直後は月と季候きこうが合はないことがある。これは閏月うるうづきは同じ名の月を二度重ねるからである ◯推歩 天體てんたいの運行を算出する ◯妄誕無稽 眞實しんじつでなく、根據こんきょのないこと ◯人知ノ開達 人間の知識の開發かいはつ發達はったつ

【大意謹述】思ふに、我國で長い間、上下に使用されてゐた太陰曆たいいんれきは、けた月がすつかり見えなくなり、再び見え初めてからかぞへて、滿月まんげつて更に見えなくなるまでを一ヶ月と計算して太陽の運行と照合するので、二三年の間には、必ず同じ月を二度置いて、閏月うるうづきといふやうな現象を生ぜざるを得なくなる。同じ月を二度かぞへる結果、閏月うるうづきを置いた前後は、時に實際じっさいの氣候と月とが合しないことがあり、いては天體てんたいの測定に種々しゅじゅの差を生じ、各方面に不便が多い。特に太陰曆たいいんれきには中段・下段げだん方行ほうこうあるいは十かん・十二の配合された所謂いわゆる干支え となどが記してあるが、これらは大部分眞實しんじつでなく根據こんきょもないもので、無智む ちな人を迷はしやすく、人間の知識の進歩に有害となるものが少くはない。

【備考】太陰曆たいいんれき弊害へいがいについては、すでに江戸時代の學者中にも、これを指摘したものがあつて、改曆かいれきを主張したが中々なかなか、それを實現じつげんすることが、むづかしかつた。その結果、改曆かいれきのことは、明治に持ち越されたのである。

 明治維新後、明治三年になると、れいはっして弘曆こうれきやく擔當たんとうする者のほかは諸國でこれ版行はんこうすることを禁じ、曆本れきほん頒行はんこうは、それ以來、天文てんもん曆道局れきどうきょくで取扱つた。かくして改曆かいれきのことも實現じつげんされた次第である。その後、明治十五年四月に至り、太政官布達ふたつを以て、帝國ていこく大學だいがくで編成したこよみ神宮じんぐう司廳しちょうから頒行はんこうさせ、一枚摺まいずり略曆りゃくれきのみは、一般人民をして、出版條例じょうれい準據じゅんきょして、出版せしめた。神宮じんぐう司廳しちょうでは、曆本れきほんを一等、二等、三等及び略曆りゃくれきの四種とし、一等れきは、毎年まいねんわずかに一部を作つて宮内省けんじ、二等曆は掛員かかりいんで用ひ、三等及び略曆は一般にわかつこととしたのである。また太陽曆たいようれき新曆しんれき太陰曆たいいんれき舊曆きゅうれきしょうした。