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44-4 華族ヲ召シ給ヒテ留學及海外周遊ヲ奬勵スルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

華族かぞくたまヒテ留學りゅうがくおよび海外かいがい周遊しゅうゆう奬勵しょうれいスルノ勅語ちょくご(第四段)(明治四年十月二十二日 太政官日誌)

【謹譯】かつ我邦わがくに女學じょがくせいいまたたサルヲもっテ、婦女ふじょおおクハ事理じ りかいセス。こと幼童ようどう成立せいりつ母氏ぼ し敎導きょうどうかんシ、じつ切緊せっきんことナレハ、いま海外かいがいおもむもの妻女さいじょあるい姉妹しまいひっさげ同行どうこうスル、もとヨリナルコトニテ、外國がいこく所在しょざい女敎じょきょうアルヲさとリ、育兒いくじほうヲモルニルヘシ。

【字句謹解】◯女學ノ制 婦女子の學問の內容を規定する制度 ◯事理 物事の道理 ◯幼童ノ成立 兒童じどうの成長 ◯切緊 少しの間もゆるがせに出來ない大切のこと。

【大意謹述】海外を漫遊まんゆうする者に向つてちんは更に次のてんを注意したい。我國ではだ婦女子に學問を容易に受けさせる制度が存在しないので、世間一般の女子はほとんど事物の道理にいて何の知識もないといへよう。敎育は男子のみにほどこすわけのものでなく、特に兒童じどうの成長は、全くその母たる者の敎導きょうどう如何いかんるので、國家の大局たいきょくからて、第二の國民を養成するには、何事にも先立つ重要問題である。ゆえに今海外漫遊まんゆうこころざしある者は、妻や娘、又は姉妹を同行するのが望ましく、婦人は近親者と連行することにつて遠途えんと危險きけんうれひもなく、外國婦人が敎育によつて得た知識の程度、及び育兒いくじの方法を知りるであらう。

【備考】明治の女學敎育の黎明れいめいは、まさにこの有難いおおせによつて招來しょうらいされたのであらうと拜察はいさつする。江戸時代に於ける女子敎育は全く閑却かんきゃくされてゐたのであるから、明治維新と共に、これを振興しんこうすることは、何より重要事であつた。

 この時にあたつて、明治天皇が率先、女子敎育の必要を華族かぞくたちに告げられ、その指導をなされたのは、女子敎育振興の端緒たんちょであつた。この勅語ちょくごたまわつたと同じ年に、時の開拓使かいたくし長官、黑田くろだ淸隆きよたかが、大山、津田、瓜生うりゅうほか二名の女子をアメリカに留學せしめたとつたへられてゐるが、それは、時の札幌農學校敎頭クラアクの勸說かんぜいによつたものである。が、一面では、明治天皇おんおおせにより、上流社會しゃかいで、始めて女子の海外留學の必要を感じたものも少くなかつたことであらう。

 ほ明治最初の女學校は、十八年、田口卯吉うきち(鼎軒)の姉、木村鐙子とうこが建てたのが、最初で、それは明治女學校としょうした。鐙子とうこが明治二十年卒業すると、夫君ふくん木村熊二くまじが之を監督し、二十六年、巖本いわもと善治ぜんじが校長の任に就て、おおい擴張かくちょうしたのであつた。ついで附記ふ きする。