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39-5 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(第五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうおこなふのせい(第五段)(貞觀二年十月 三代實錄)

宜自今以後立於學官、敎授此經、以充試業。庶革前儒必固之失、遵先王至要之源。但去聖久遠、學不厭博。若猶敦孔注有心講誦、兼聽試用莫令失望。

【謹譯】よろしく自今じこん以後い ご學官がっかんち、けい敎授きょうじゅし、もっ試業しぎょうつべし。ねがわくば前儒ぜんじゅ必固ひっこしつあらため、先王せんのう至要しようみなもとしたがはん。ただひじりること久遠きゅうえんにして、がくひろきをいとはず。なお孔注こうちゅうあつく、講誦こうしょうこころあらば、ねて試用しようゆるし、のぞみうしなはしむることなかれ。

【字句謹解】◯學官に立ち 國立學校に敎鞭きょうべんを執る者 ◯此の經 御注ぎょちゅう孝經こうきょうのこと ◯試業に充つる 學業を試みためすこと ◯必固の失 固定した本になづんで、それ以外のものを採用しないとする態度 ◯先王 いにしえの理想的の帝王 ◯至要の源 最も大切とした正しい道德の源 ◯聖を去ること久遠 現在が聖人の時代を遠くはなれてゐるのでの意 ◯學博きを厭はず 學問は多方面に注意して惡いといふことはない ◯講誦 講義と誦習しょうしゅう

【大意謹述】ちんは以上の考察によつて、この際次のことを規定したい。現在以後は各地にある國立學校の職員及び生徒を指導するには、孝經こうきょうに限つてこの御注本ぎょちゅうぼんを用ひ、學業を試みためすのがよろしい。これにつて過去の儒者じゅしゃあまりにも固定した書籍にとらはれた弊害へいがいを打破り、同時にいにしえの理想的な帝王が最も大切とした正しい道德の源を知り、たっとぶことが出來るであらう。ただし現在は聖人のられた時代から非常に遠く離れてゐるので、容易に一代の諸學者が智嚢ちのうを絞つても完全にその意を知つたとは言へず、この見地からすれば、多方面の學問も排斥する理由はない。ゆえに朕の一般方式の規定にもかかはらず、なほ孔安國こうあんこうちゅう價値か ちを認めて、之を研究し、あるいは講義を行ひ、又はの說をくことを希望する者があるならば、特にこれを許し、試驗用しけんようともなしることを附言ふげんする。決してその人々に失望をあたへてはならない。

【備考】この勅語ちょくごはいすると、『孝經こうきょう』研修には、玄宗げんそう註釋ちゅうしゃくを主とするが、研究者の志望により、孔安國こうあんこくのものを用ひても差支へがないとせられてゐる。ここに學問の流派にたいして、寬大であらせられ、その自由研究に任された思召おぼしめしのほどがくわかる。

 日本流の學問研究法は、中正ちゅうせい・公明・調和を主とし、決して一方にかたよらない。物のみにとらはれず、心のみに囚はれず、ただ一方の流派にも囚はれない。一切の所長を輳合そうごうし、調和して、生命主義のもとに一切の物心・思想を統一する。ここに日本流の學問の獨特どくとく美所びしょそんする。この勅語ちょくごはいするにつけて、偶感ぐうかんを申添へた次第である。

 附言ふげんして置きたいのは、讀書どくしょはじめの事である。これには、二種ある。少年の時、始めて書をむ儀式、歳首さいしゅ始めて書をむ儀式とである。天皇の讀書始めの式には、あらかじの書、及び侍讀じどく尙復しょうふく等を定め、當日とうじつに至つて侍讀じどく―博士といふ―づ書をみ、進講しんこうする。ぎに尙復しょうふく(都講)が侍讀じどく進講しんこうしたところを復講ふっこうする。それがおわると、殿上でんじょう饗宴きょうえんたまわつたのであつた。

 讀書どくしょはじめの書は一定しないが、おおむね『孝經こうきょう』を用ひられた。けだこうは百こうもとであるから、皇室におかせられては、これを重んぜられ、常に讀書どくしょはじめに用ひられたものと拜察はいさつする。ほ讀書始めは、奈良時代の文化が花咲いた頃に始まり、平安時代に至つて、一層、さかんになつた。『孝經こうきょう』の進講しんこうは、やがて天下に道德敎育の實現じつげん勸奬かんしょうせらるる所以ゆえんで、最も深い意義があつた。