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39-4 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(第五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうおこなふのせい(第四段)(貞觀二年十月 三代實錄)

然則孔鄭之注並廢於時、御注之經獨行於世。而唯傳彼注未讀件經。假之通論未爲允慥。鄭孔二注卽謂非眞、御注一本理當遵行。

【謹譯】しからばすなわこうじょうちゅうならびときはいし、御注ぎょちゅうきょうのみひとおこなはる。しかしてただちゅうつたへ、いまくだんきょうまず。これ通論つうろんるに、いままことたしかなりとさず。じょうこうの二ちゅうは、すなわまことあらずとはん。御注ぎょちゅうぽんまさ遵行じゅんこうすべし。

【字句謹解】◯並に時に廢し 共に世に行はれなくなつた意 ◯御注の經 玄宗げんそう御注ぎょちゅう孝經こうきょうのこと ◯而して しかるに我が國ではの意 ◯彼の注 こうじょうちゅう ◯件の經 御注ぎょちゅう孝經こうきょうの意 ◯遵行 支那し なの例にしたがつて我が國で行ふ。

【大意謹述】上述の事實じじつつて、孔安國こうあんこく鄭玄じょうげんちゅうは、共に當時とうじ世に行はれなくなり、玄宗げんそうの『御注ぎょちゅう孝經こうきょう』のみを正當せいとうとしたことが判明しよう。しかも一方我が國の現狀げんじょうは、支那し なすでに行はれなくなつた二氏のちゅうつたへて、『御注ぎょちゅう孝經こうきょう』の方はあまり世にわたつてゐない。二氏のちゅうにも疑問を持つ人が多く、正しい『御注ぎょちゅう孝經こうきょう』を知る人がないとすれば、熱心な研究者の基準を一たい何處ど こに置いたらいいのだらうか。ゆえちん孔安國こうあんこく鄭玄じょうげんの二氏のちゅう正當せいとうを得ないと斷定だんていし、支那し なしたがつて『御注ぎょちゅう孝經こうきょう』を我國でも用ゐるのが正しいと考へる。