39-2 御注孝經を行ふの制 淸和天皇(五十六代)

御注ぎょちゅう孝經こうきょうおこなふのせい(第二段)(貞觀二年十月 三代實錄)

今案、大唐玄宗開元十年、撰御注孝經作新疏三卷。以爲、世傳鄭注比其所注、余義理專非。又稽之鄭志、康成不注孝經。安國之本梁亂而亡。今之所傳出自劉炫。事義紛薈誦習尤艱。靡厭衆心更招疑義。故玄宗廣酌儒流深廻睿想、爲之訓注冀闡微言。卽勅學士儒官僉議可否。

【謹譯】いまあんずるに、大唐だいとう玄宗げんそう開元かいげんねん御注ぎょちゅう孝經こうきょうせんし、新疏しんそがんつくる。以爲お もへらく、つたふるところの鄭注じょうちゅうちゅうするところにすれば、あまりに義理ぎ りもっぱらにしてなりと。またこれ鄭志じょうしかんがふるに、康成こうせい孝經こうきょうちゅうせず。安國あんこくほんりょうみだれてほろべり。いまつたふるところは劉炫りゅうげんよりづ。事義じ ぎ紛薈ふんかいして誦習しょうしゅうもっとなやむ。衆心しゅうしんあかしむるく、さら疑義ぎ ぎまねく。ゆえ玄宗げんそうひろ儒流じゅりゅうみ、ふか睿想えいそうめぐらし、これためちゅうくんじ、微言びげんひらかんことをねがふ。すなわ學士がくし儒官じゅかんみことのりして、可否か ひ僉義せんぎせしむ。

【字句謹解】◯今案ずるに 考へて見るに、このことばは次に私見しけんを述べる際に常に用ゐられる ◯大唐の玄宗開元十年 我が元正げんしょう天皇養老ようろう六年にあたる。(皇紀一三八二年)大唐だいとうとはとうの最盛期にみずかしょうしたごうである ◯御注孝經 孝經こうきょうには今文きんぶん古文こぶんの二種があつて、古文家こぶんか劉知畿りゅうちき孔安國こうあんこくちゅうを正しいとして鄭注じょうちゅう(鄭玄)を不可とし、今文家きんぶんか司馬し ばてい鄭注じょうちゅうを可とした。玄宗げんそうは之について定說を得ようとしたが容易に得られず、玄宗げんそうていみずか今文きんぶんを主とし韋昭いしょうはん等六の說を取り、孔鄭こうじょうちゅうを參照して作つた ◯新疏 玄宗げんそうの命により、玄行沖げんこうちゅうが作つた ◯鄭志 門弟たちが鄭玄じょうげんの著述を追論した鄭志じょうしの事 ◯梁亂 りょうの天下がおおいみだれたこと ◯康成 鄭玄じょうげんあざなすなわ鄭玄じょうげんの事 ◯事義紛薈 內容が非常に未整理にあること。ふんみだれる、かいは物事が不秩序に多い ◯誦習尤も艱む この上もなくみ難い ◯儒流を酌み 儒者じゅしゃの意見を參考とする ◯薈想を廻らし 種々しゅじゅお考へになること。睿想えいそうは天子が考へられる意 ◯微言を闡く 表面に見えない聖人の本當ほんとうの意味を明らかにする ◯可否を僉議せしむ 從來じゅうらいちゅうの不可な部分を改正して、新譯しんやくの事を相談して決定する。

【大意謹述】『孝經こうきょう』の註釋書ちゅうしゃくしょに就いて思ひあたることがある。それはとう玄宗げんそう諸儒しょじゅに命じて過去のすべてを調査し、開元かいげん十年に所謂いわゆる御注ぎょちゅう孝經こうきょう』として知られてゐるものを撰定せんていし、三がん新疏しんそを編した事實じじつである。世間で現在鄭玄じょうげんちゅうとして知られたものをちゅうそのものにくらべると、あまりに義理の闡明せんめいに傾いてしまつて、物足らぬ所がある。それから鄭玄じょうげんの門下が鄭玄じょうげんの著述を追論した鄭志じょうしによると、鄭玄じょうげん孝經こうきょうちゅうしなかつたとつたへられる。ぎに孔安國こうあんこく註釋書ちゅうしゃくしょりょうらんのために完本かんぼんを求め得られない狀態じょうたいにあり、現在手に持つことの出來るものは劉炫りゅうげんのものに過ぎない。これを皆が無二の材料として研究するが、本來あまり完成されたものではなく、內容の整理が行はれないで非常にみにくく、一般の研究生はづ興味を失ひ、特別に熱心な者は、丁寧にめばむ程、次々にと疑問が有樣ありさまだつた。玄宗げんそうづこの樣子ようすを統一しなければ駄目だと考へ、各方面の儒者じゅしゃの意見を尊重し自身もおおいに考へて、孝經こうきょうちゅうを新しく造り、正しい意味を明らかにしようとこころざしたのである。そこで早速諸方面の學士がくし及び儒者じゅしゃを一堂に集め、從來じゅうらいのものの可否を相談して奏上そうじょうするやうにみことのりした。

【備考】ここおおせある如く、開元かいげん十年六月、玄宗げんそうは、みずか今文きんぶんを主として、『孝經こうきょう』にちゅうし、元行沖げんこうちゅうに命じて、を作らせ、天下及び國子學こくしがくわかつた。その後、天寶てんぽう二年五月、重ねてちゅうを加へ、ひろくこれを四方に頒付はんぷしたのである。この註釋書ちゅうしゃくしょが出て以來、こうじょうの二ちゅう共にすたれてつたはらなくなつた。が、日本に於ては、古くから古文『孝經こうきょう』で孔安國こうあんこくちゅうつたはり、なくならずにゐたから長く保持されたのである。