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30 長門國司を戒むるの勅 平城天皇(第五十一代)

長門ながと國司こくしいましむるのみことのり(大同元年七月 日本後紀

關津之制爲察衆違。苟有阿容何設朝憲。今聞、長門國司勘過失理、衆庶嗷嗷。自今以後不得更然。若有違犯特寘重科。

【謹譯】關津かんしんせい衆違しゅういさっすることをなす。いやしく阿容あようあらば、なん朝憲ちょうけんもうけん。今聞いまきくならく長門ながと國司こくし勘過かんかうしなひ、衆庶しゅうしょ嗷嗷ごうごうたりと。自今じこん以後い ごさらしかることをず、違犯いはんするものあらば、とく重科じゅうかかん。

【字句謹解】◯關津の制 かんは國境、しんは港又は渡場わたりばせいはそこに査問所さもんじょを置き、係りの役人が通行人を吟味し秩序治安を計る事 ◯衆違を察すること 人々の行動に注意し、違犯者いはんしゃ摘發てきはつする ◯阿容 おもねる姿 ◯何ぞ朝憲を設けん 國法を設けて嚴重げんじゅうにする必要はない ◯長門 しもせきの事、そこに關所せきしょがあつた ◯今聞 きくならく、現在噂にれば ◯勘過 罪をただし問ふこと ◯理を失ひ 標準となる道理を失ふ ◯衆庶嗷嗷たりと 人々が不平不滿で大騒ぎをする ◯違犯 國法にたがふこと ◯重科に寘かん 常人じょうにん以上に重罪にする、一も同情の餘地よ ちがないので嚴格げんかくな刑にしょするであらう。

【大意謹述】國境又は港、渡場わたりばといつた重要な場所に役人を置くのは責任區域くいきの秩序を守り、通行者を視察して法の違犯者いはんしゃ處罰しょばつするためである。ところが人々にへつらひ、自分の職務を曲げて、事務を怠るやうなことがあつたならば、國法はあつても全然無駄となる。現在、噂によれば、長門ながと國司こくしなにがしは諸民をつみするについて正しからず、ために不平の者共ものどもが多くかみの非を鳴らして、事態容易ならざるものがあるとのことである。今後は斷然だんぜんちんの名につての種の行動を許さない。まん一それでもしたがはなかつたならば、同情の餘地よ ちなく重罰じゅうばつしょするであらうことをここに告示する。

【備考】我國わがくにに於ける古代・中世の關所せきしょは、主として軍事上の目的から出來たのであつて、後世の如く、ただ往來人おうらいにんを吟味し、通行稅を徵收ちょうしゅうするといふ目的から設けられたのではない。この事は、特に注意を要する。それだけにこの方面の役人の責任もまた重大だつた。

 關所せきしょかんする記事として、づ目につくのは、大化たいか革新かくしんの時、關塞かんさい關鈴かんれいの事が見え、畿內きないを守るため、大分だいぶ以前から、諸所に關所せきしょが設けられてゐたらしい事だ。それがようや發達はったつしたのは、天智てんち天皇大津京おおつのみやこの時代であるらしい。大寶令たいほうれいによると、伊勢の鈴鹿すずか、美濃の不破ふ わ、越前の愛發あらち關所せきしょが設けられてをり、それが奈良時代の三かんとして有名だつた。この三かんは、東海・北陸二方面に於て、交通上の要所にあたり、此處こ こを十分に固めると、山城・大和二國はぼ安全で、誰も攻め入ることが、むづかしかつた。それに、三かんはすべて峻嶮しゅんけんで、外敵防禦ぼうぎょにも役立つ意味を持つてゐたのである。以上によつて、奈良時代關所せきしょが、軍事上、重要な目的を持つことが分明わ かる。

 そののち元明げんみょう天皇崩御ほうぎょせられた時、三かんを固めたことがあり、のち、三かん廢止はいしされてからも、讓位じょうい崩御ほうぎょ等の際には、朝廷から固關使こかんしを派遣され、非常をいましめたのである。以上三かんのほかに、當時とうじは、白川關しらかわのせきなどがあり、その規模は三かんよりも大きかつたとつたへられる。文德もんとく天皇の時に至り、天安てんあん元年四月、逢坂おうさか大石おおいしなどの關所せきしょを設けて、京都の防備とせられた。參考として、以上の事を述べて置く。