29-1 勸學田を置くの勅 桓武天皇(第五十代)

勸學田かんがくでんくのみことのり(第一段)(延曆十二年九月 日本紀略

古之王者敎學爲先。訓世垂風莫不由此。朕留心膠庠屬想儒宗、修鄒魯之前蹤弘洙泗之往烈。而經籍之道、于今未隆、好學之徒無聞焉。

【謹譯】いにしえ王者おうじゃ敎學きょうがくさきとなせり。おしふうるることはこれらざるなし。ちんこころ膠庠こうしょうとどめ、おもひを儒宗じゅそうぞくし、鄒魯すうろ前蹤ぜんしょうおさめ、洙泗しゅし往烈おうれつひろむ。しか經籍けいせきみちいまいまさかんならず、好學こうがくくことなきなり。

【字句謹解】◯古の王者 支那し な古代の理想的帝王であるぎょうしゅんなどを指す ◯敎學を先となす 人倫じんりんの道をおしへる事を政治の第一條件じょうけんとした ◯世に訓へ 世間の人々に向つて敎訓する。ぎょうしゅんの敎訓は『書經しょきょう』に多くあるが、就中びなかんずく中庸ちゅうよう』にあるものが最も有名となつてゐる。〔註一〕參照 ◯風を垂る 善良な風俗の模範を示す ◯此に由らざるはなし 全部敎學きょうがくを中心としたとの意 ◯心を膠庠に留め 注意を敎育に向ける事、膠庠こうしょうしゅうの學校の名でてんじて敎育の意となる ◯想を儒宗に屬し 儒敎じゅきょうひろめた人を模範とする、儒宗じゅそう周公しゅうこう孔子こうしを指す ◯鄒魯 すう孟子もうしの故郷、孔子こうしの故郷、ゆえこうもうの事を意味す ◯前蹤を修め 過去に於ての人々の崇拜すうはいした儒敎じゅきょうを研究する ◯洙泗 しゅ孔子こうし生國しょうこくである二つの河の名、孔子こうしがこの河のほとりで子弟に敎へたとの傳說でんせつから儒敎じゅきょうの意となる ◯往烈を弘む 過去の立派なおしえを世の中にひろめる ◯經籍の道 聖人の敎へた學問、これも儒敎じゅきょうのことで、きょうとは聖人の書いたものを指す ◯好學の徒 學を好んで熱心に勉强する人々。

〔註一〕世に訓へ 『きょうに見ゆるは、すなわまことちゅうれとは、ぎょうしゅんさずくる所以ゆえんなり。人心じんしんあやうく、道心どうしん微びかすかなり。せいれ一、まことちゅうれとは、しゅんさずくる所以ゆえんなり。ぎょうの一げんいたれり、つくせり。しかしてしゅんこれすに三げんを以てするは、すなわぎょうの一げん、必ずかくごとくにしてしかしてのち庶畿しょきすべきを明らかにする所以ゆえんなり』(中庸章句序)仁明にんみょう天皇が『諸學生にたまへるちょく』もあるが、大體だいたい桓武かんむ天皇御趣旨ごしゅしと同樣である。

【大意謹述】いにしえ聖帝せいていといはれた堯舜ぎょうしゅんは後世から模範となるやうによく天下を治めたが、その政治の跡を調査すると、人倫じんりんの道を敎へることをすべての政治の第一義とし、世間を導き、善良な風俗を奬勵しょうれいするについては、ことごとくこの道によらぬものとてはなかつた。ちんは平常から敎育に注意し、儒敎じゅきょうを開いた周公しゅうこう孔子こうしを尊敬し、過去に於てこうもうが行つた通りの方法で天下を治めようと思ひ、輝かしい效果こうかを致した儒敎を益々ますます天下にひろめ、おおいぎょうしゅんの世を我國に再現したい望みがある。しかるに現在世の樣子ようすをつらつら考へるのに、聖人の道は未だ盛大ではなく、學問を好んで心から儒敎を學び、天下を治める材料としたいと思つてゐる人は案外少いらしい。朕は最近好學こうがくの噂すらも聞いたことはないのである。

【備考】理論はかく、日本には、古來、獨自どくじの政治思想が次第に發達はったつして來たにちがひないが、その理論方面になると、儒敎じゅきょうふところを參考とする必要があつた。聖德太子以來、日本において、儒敎を研究するものが上流階級に增加ぞうかしたのは、これによる。陛下の儒敎奬勵しょうれいまた、この意味にほかならぬものと拜察はいさつする。

 儒敎の特質は、政治上、王道おうどう主義を高調こうちょうして、覇道はどう主義をしりぞけたところにある。天地人てんちじんさいを一貫した至公しこう至平しへいの道を說く王道こそは、政治上の最も高い考へで、陛下がここに儒敎を賞揚しょうようせられたるもまたこの意味であらうと思ふ。