29-2 勸學田を置くの勅 桓武天皇(第五十代)

勸學田かんがくでんくのみことのり(第二段)(延曆十一年閏十一月 日本紀略

今盖簞食瓢飮非性所安。皷篋横經中途而止。永言其弊情深興復。其去天平寶字元年所置大學寮田三十町、生徒稍衆不足供費。宜更加置前件水田通前一百三十餘町、名曰勸學田贍給生徒令遂其業。

【謹譯】いまけだし、簞食たんし瓢飮ひょういんせいやすんずるところにあらず。皷篋こぎょう横經おうけい中途ちゅうとにしてとどむ。ながへいべ、こころ興復こうふくふかし。いぬ天平てんぴょう寶字ほうじ元年がんねんところ大學寮だいがくりょう三十ちょう生徒せいとややおおくしてきょうするにらず、よろしくさら前件ぜんけん水田すいでん加置く わへ、まえつうじて一百三十餘町よちょうめい勸學田かんがくでんひ、生徒せいと贍給せんきゅうし、ぎょうげしむべし。

【字句謹解】◯簞食瓢飮 たんは竹で編んだいいを入れる器具、ひょうは小さい粗末な水入器みずいれき貧窮ひんきゅうした生活をいふ。『論語ろんご』に「いわく、けんなるかなかいや。一たん、一ぴょういん陋巷ろうこうり。人はうれいへず。かいたのしみを改めず。けんなるかなかいや」(雍也)とある通り、亞聖あせい顏囘がんかい以外は右の境地に滿足まんぞくして就學勉强出來るものでないことを孔子こうしが門下に示された意 ◯性の安んずる所にあらず 生活が安定しない以上、確實かくじつに自己の性能をのばすことが出來る筈はない ◯皷篋横經 皷篋こぎょうは『禮記らいき』にある語で、學問に從事じゅうじすること。つづみを打つて人々を集め、小箱から書物を取出す意、横經おうけいは書を手にして勉强する事 ◯興復 昔のやうに、研究生の生活を安定させる ◯前を通じて 前囘ぜんかい今囘こんかいとを通算して ◯勸學田 學問を奬勵しょうれいするための田 ◯贍給 めぐみたまふ ◯業を遂げしむ 研究心を滿足まんぞくせしめ學業を成就させる。

【大意謹述】何故なにゆえ學問が盛大にならず、著名な學者が出現しないのかといろいろに考へた結果、ちんはこの人々の生活があまりに不安定な現狀げんじょうに氣付き、それが當面とうめんの理由である事を見出した。如何い かほど學問に熱心であつても、生活がすこぶ窮迫きゅうはくし、前途に見當けんとうがつかないと、その人の本性ほんせい美點びてんを伸ばしてがくに進むことは出來ず、就學の中途で多くは業をはいしてしまふ。長い間このへいがあるとは聞いてをつたし、救濟きゅうさいする手段も深く感じてゐたが、學問の衰微すいびとこれとを結びつけて考へるやうになつたのは最近であつた。一たびこのてんに氣付くと、もう一刻も之を捨てて置かれない。かつ天平てんぴょう寶字ほうじ元年には大學寮だいがくりょうの職員及び研究生のために三十ちょうの田を授けて生活を保護した。それが近頃のやうに人員が多くなると、生活のまえにはならなくなつたのである。ゆえに朕は今囘こんかい更に水田百餘町よちょう增加ぞうかし、前の分との合計百三十餘町にして同一目的のために授け、學問を奬勵しょうれいする意味から勸學田かんがくでんと命名し、職員及び研究生を助け、その研究を永續えいぞく完成させたいと思ふ。

【備考】顏囘がんかい孔門こうもん第一の高弟こうていで、一生淸貧せいひんやすんじた。一たい支那し なでは、淸貧せいひんといふことをひどくたっとむ傾向が、學者間にあつた。少くとも、古代においては、左樣そ うであつた。が、左樣そ うした時代においても、顏囘がんかいの如く、立派に學問が出來ながら、窮乏きゅうぼうのどん底にゐて、安心してゐたものがあつたか、どうか。それは、千まんにん中の一人の割合であつたらうと思ふ。

 それに顏囘がんかいは、物質的に極貧でも、心はゆたかで、精神的には富んでゐた。かうしたさとりの境にることは、中々なかなか容易でない。それは、ひとり、顏囘がんかいに向つて望み得ても、一般の學者には中々望み得ない。したがつて淸貧せいひんをいふことも程度問題で、普通の學者には、質素な生活だけは、確かに出來る保障をする必要があらう。聰明そうめいにまします陛下が、このてんを思ひやられたのは、當然とうぜんであるが、勸學田かんがくでんといふ名は、今日こんにち聞いても、いかにも、快い響きをわたくしらの耳につたへる。それは、學問興隆こうりゅう象徵しるしである。