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23 端五の節を停むるの詔 孝謙天皇(第四十六代)

端五たんごせちとどむるのみことのり天平寶字二年三月 續日本紀

朕聞、孝子思親、終身罔極。言編竹帛千古不刊。去天平勝寶八歳五月先帝登遐。朕、自遭凶憫、雖情感傷、爲禮所防、俯從吉事。但毎臨端五、風樹驚心、設席行觴、所不忍爲也。自今已後、率土公私、一准重陽永停此節。

【謹譯】ちんく、孝子こうしおやおもふこと、ふるまできわまりなしと。こと竹帛ちくはくまれて千ゆずらず。いぬ天平てんぴょう勝寶しょうほうさいがつ先帝せんてい登遐とうかたまふ。ちん凶憫きょうびんひてより、じょう感傷かんしょうすといえども、れいためふせがれて、して吉事きつじしたがへり。ただし端五たんごのぞごとに、風樹ふうじゅこころおどろかし、せきもうけてさかずきめぐらすは、すにしのびざるところなり。自今じこん已後い ご率土そっと公私こうし、一に重陽ちょうようじゅんじてながせちとどめん。

【字句謹解】◯朕聞く このみことのり天平てんぴょう寶字ほうじ二年三月十日に下したまはつた ◯身を終ふるまで極りなし 自分の一生涯常にく親につかへ、親が生きてゐられる間は出來る限り孝行をつくし、死後はれいに服し、が過ぎても生きてゐる人につかへる如く墓にたいしてつつしみの意を失はないこと ◯竹帛に編まれて 書物記錄きろくされる意 ◯千古刊らず 永久にその名が消え去らない ◯先帝 聖武しょうむ天皇のこと。聖武天皇崩御ほうぎょ天平勝寶しょうほう八年五月三日にましました ◯登遐 崩御ほうぎょましました意 ◯凶憫 この上もない悲しみ、びんあいの意 ◯情に感傷す 悲しみの情に打たれて何も手につかない ◯吉事 よろこび事 ◯端五 端午たんごと同じ。陰曆いんれき五月五日の節句 ◯風樹心を驚かし 父母が死んで奉養ほうようすることが出來ない悲しみ。『韓詩かんし外傳がいでん』その他にある「しずかならんとほっするもかぜまず、やしなはんとほっするもおやたず。いてかえらざるものとしなり。きてふべからざるものおやなり」による。普通風樹ふうじゅたんとして熟語になつてゐる ◯觴を行す 祝宴を張る ◯率土の公私 日本國土全部に於ておおやけの場合にも個人の場合にも ◯重陽に准じて 重陽ちょうようは九月九日の節句、これは天武てんむ天皇崩御つて九月九日の酒宴をとどめられた先例を指す。

【大意謹述】心から孝行な子は一生涯親を思ひつづけてゐて、その在世中は日常あらん限りの力をつくし、死後はが明けても生前同樣どうよう、墓に御詣りをするとちんは聞いてゐる。この人々はその時々のおおやけ機關きかん記錄きろくされ、永久に美しい名をのこしてゐる。去る天平てんぴょう勝寶しょうほう八年五月三日に先帝聖武しょうむ天皇かみりました。朕はこの不幸以來、常に悲しみの情にたへないものがあつたが、古來からの禮儀れいぎの規定にしたがつて心ならずも、よろこびごとに臨んでは、この悲しみを抑へ制して來た。勿論の式典の時はそれ程にも思はないが、五月五日の端午たんごせちに出席する毎に、在りし日の先帝を追憶し、思ふやうに孝行の出來なかつたこの身を今更思ひ出して、特に諸臣と共に席を設けて酒宴を行ふに忍びない。それも昨年は無理にも行つたが、今年は到底その氣にはなれさうもない。ゆえに朕は本年已後い ご日本全土に於いておおやけの場合は勿論、個人的のものでも、以前天武天皇崩御後、重陽ちょうよう節句とどめた先例にしたがひ五月五日の式典をとどめることを群臣ぐんしんに告げる。

【備考】女性でまします孝謙こうけん天皇が、父帝ちちみかどを慕はれる心持が、虛飾きょしょくなく、ここ流露りゅうろしてゐる。やさしく、あたたかい情緒が、一字一句の間ににじみ出てゐて、これを拜讀はいどくした廷臣ていしんらは、おのづから涙に袖をうるほし、同感申上げた事と拜察はいさつする。