18 朝廷の禮儀を停むるの詔 元正天皇(第四十四代)

朝廷ちょうてい禮儀れいぎとどむるのみことのり(養老六年正月 續日本紀

朕以不天奄丁凶酷、嬰蓼莪之巨痛、懷顧復之深慈。悲慕纏心不忍賀正。宜朝廷禮皆儀悉停之。

【謹譯】ちん不天ふてんもったちま凶酷きょうこくあたり、蓼莪りくが巨痛きょつうかかりて顧復こふく深慈しんじおもへり。悲慕ひ ぼこころまつはりて賀正がせいするにしのびず。よろしく朝廷ちょうてい禮儀れいぎみなことごとこれとどむべし。

【字句謹解】◯不天 天命を實行じっこうするにふさはしくない。勿論御謙遜ごけんそん御言葉おことばである。元正げんしょう天皇文武もんむ天皇御姉おんあねであらせられた ◯凶酷 太上天皇おりいのみかど崩御ほうぎょ(養老五年十二月七日)を指す ◯蓼莪の巨痛 蓼莪りくがは『詩經しきょう』の小雅しょうがにある詩で、「蓼々りくりくたるはおはぎおはぎにあらずんばこれよもぎ哀々あいあいたる父母ふ ぼわれみて劬勞くろうせり」(小旻)云々とある、孝子こうしが親を養はうとして、養ふことの出來ない、哀情あいじょうを內容としてゐる。天皇太上天皇おりいのみかど崩御あたつて深く悲しまれた御心みこころをこの詩の題で言ひあらはしたもの。巨痛きょつうは非常に大きな悲しみ ◯顧復の深慈 過去をふりかへつて今更にその大きなめぐみを頭にうかべる ◯悲慕 太上天皇おりいのみかどしたつて心がいたましくなる ◯心に纏はり 心につきまとつて離れない ◯賀正 正月の賀禮がれい

【大意謹述】ちんは不幸にも、今囘こんかい太上天皇おりいのみかど崩御ほうぎょひ、今となつてこうつくさうにも先帝せんていかみり給ひ、もうつかたてまつることが不可能になつたと思ふと、御在世ございせの時の事が次々にと思ひ浮べられ、その都度つ ど、新しく御德おんとくがしのばれて、何とも言ひやうのない程の深い悲しみに襲はれる。かうもすればよかつた、ああもすればよかつたと思ふと、再びこの世にかえられないとは知りながら、先帝をなつかしく思ふ氣持が心につきまとつて離れず、年が改まつても愉快な氣には少しもなれない。したがつて新年のを行ふ心持も更にない。今年朝廷で行ふ豫定よていになつてゐる禮儀れいぎすべては全然停止することを、今、百かんに告示する。

【備考】こうの道は、東洋獨特どくとくのもので、西洋にはほとんどない。絕對ぜったい個人主義に生きる歐米人おうべいじんは、父と子の間も、母と子の間も、また兄弟・姉妹の間も、財產上では、個人主義を固くつて、動かぬ。そこにいささかの人情味を示さないのが常だ。子が巨萬きょまんの富をようしながら、貧しい親を冷眼視れいがんししていたはらず、親が富豪でありながら、金に苦しむ子があつても、これに助力せぬ。かうつた風であるから、西洋人においては孝の道なるものが殆どない。また之をいたものも見ない。これは、全く人情に反しつ道德にも背いてゐる。

 東洋、ことに日本及び支那し なでは、こうを重んずる。孝の道については、支那に『孝經こうきょう』があつて、各方面から、その存在の意義を詳しく說いてゐる。が、いずれかといふと、支那では、孝の理論が割合に發達はったつしたのにくらべて、實行じっこうには冷淡だ。無論、孝の例話れいわは、支那にも相當そうとうにあるけれども、日本人の如く、孝の實行じっこう忠實ちゅうじつでないところがある。のみならず、支那は革命の國で、忠の道があま發達はったつしてゐない。ちゅうの理論は、相當そうとうに說かれたが、忠の意義を體現たいげんした人物は割合に少い。革命の國たる以上、いつ君主が代るか知れぬので、國民の大半が個人主義になるからだ。すなわち「いえ」本位に國民が生活して、國家觀念かんねんには乏しい。かうした關係かんけいから、家本位に必要な道德―孝の道が、忠の道よりも發達はったつしたが、それも理論の方が進んでゐる。

 日本では、古來、孝の理論は、『孝經こうきょう』などによつて知り、理論上の發明はつめいはないが、孝の實現じつげんに熱心だつた。それは、皇室におかせられて、進んで、そのはんを示されたからでもある。今この勅語ちょくごはいすると、元正げんしょう天皇が女性であらせらるる關係かんけい上、その御優おやさしい心持を示され、率先して、孝道こうどうの手本をつつましくお示しになつたことが拜察はいさつさるるのである。