14 諸司を戒むるの詔 文武天皇(第四十二代)

諸司しょしいましむるのみことのり慶雲三年三月 續日本紀

夫禮者、天地經義、人倫鎔範也。道德仁義因禮乃弘、敎訓正俗、待禮而成。比者諸司容儀多違禮儀。加以男女无別、晝夜相會。又如聞、京城內外多有穢(臭)、良由所司不存撿察。自今以後、兩省五府並遣官人及衞士、嚴加捉搦隨事科決。若不合與罪者、錄狀上聞。

【謹譯】れい天地てんち經義けいぎ人倫じんりん鎔範ようはんなり。道德どうとく仁義じんぎれいつてすなわひろまり、敎訓きょうくんしてぞくただすこともれいつてる。比者このごろ諸司しょし容儀ようぎおお禮儀れいぎたがふ。くわふるにもっ男女だんじょべつく、晝夜ちゅうやあいかしす。また如聞きくならく京城けいじょう內外ないがいおお穢(臭)あいしゅうあること、まこと所司しょし撿察けんさつそんせざるにる。自今じこん以後い ご兩省りょうしょうならび官人かんじんおよ衞士え じつかわして、おごそかに捉搦さくじゃくくわことしたがつて科決かけつせよ。つみあたからざるものは、じょうろくして上聞じょうぶんせよ。

【字句謹解】◯經義 正しい筋道 ◯人倫の鎔範 物事を作り成す手本 ◯道德仁義云々 これは『禮記らいき』の曲禮きょくらいに「道德どうとく仁義じんぎれいにあらざればらず、敎訓きょうくん正俗せいぞくれいにあらざれはそなわらず」からとつたもの。道德は人間だけが守りる道、仁義の仁は同情、義は正義のこと ◯敎訓 人倫じんりんおしえ ◯正俗 正しい風俗 ◯比者 このごろ 近頃の意 ◯容儀 服裝や態度 ◯男女別无く 男女の道を守る者なく。は無と同じ ◯晝夜相會す 晝夜ちゅうや區別くべつなく相互に會合かいごうをして酒宴しゅえんにふける ◯如聞 きくならく。噂を聞けばの意 ◯京城の內外 皇城こうじょうの附近のこと ◯穢(臭) よごれた、きたなにおいはっするもの。浮浪人、死者などを指す ◯所司 安寧あんねい秩序を保護する役人 ◯撿察を存せざる 巡視が十分きとどいてゐない ◯自今以後 現在以後、將來しょうらい ◯兩省 式部省しきぶしょう兵部省ひょうぶしょうのこと、〔註一〕參照 ◯五府 五衞府え ふのこと、〔註二〕參照 ◯官人 式部・兵部兩省の役人 ◯衞士 五附屬ふぞくする官吏かんり ◯捉搦 そくはそく、じゃくともむ。捕へてしばり上げること ◯事に隨つて 事情におうじて ◯科決 處罰しょばつする ◯罪を與ふ合からざる者 處罰しょばつ如何い かにしてよいか不明な者 ◯狀を錄す 事實じじつにあつたことを記錄きろくする ◯上聞 かみに報告する。

〔註一〕兩者 式部省しきぶしょうは朝廷の禮儀れいぎ・內外文官にかんしたすべての事を行ふ役所で、大寶令たいほうれい發布はっぷの際に出來た。兵部省ひょうぶしょうは軍事にかんする役所の名。

〔註二〕五府 五衞府え ふとは左兵衞さひょうえ右兵衞うひょうえ左衞士さ え じ右衞士う え じ衞門えもんのことで、文武もんむ天皇大寶たいほう元年に設定された。全部共に宮廷の守護を職掌しょくしょうとする。

【大意謹述】支那し なの聖人もつてゐるやうに、れいといふものは天地のすべてを貫く正しい道であり、一切の道はこのれいといふ鑄型いがたうちに一度とかされて新しく作り上げられ、申し分なくなる性質を持つてゐる、人間が守ることが出來る道德・同情・正義などは、れいを中心として四方に弘まることが出來、人倫じんりんおしえ・正しい風俗などは、れいと一致した瞬間から完全なものになる。れいはこれ程大切であり、人間にとつて一刻も忘れてはならない重要なものである。それにもかかわらず、一たい近頃の人々は果してれいを忘れないでゐるだらうか。ちんは最近諸廷臣ていしん服裝・態度などに注意すると、れいの方面に遺憾いかんてんを多く見出すのを殘念ざんねんに思ふ。すべての方面に區別くべつしなければならない男女の別は失はれ、晝間ちゅうかん・夜間の別なく、相互に酒宴しゅえん集會しゅうかいえたことがない。

 更に噂によれば、皇城こうじょうの附近に浮浪人・死者などが多く、別に取締る樣子もないとのことである。これは明らかに警察の職にある者の怠慢でなくて何であらう。ゆえに、今日こんにち以後は式部省しきぶしょう兵部省ひょうぶしょう、又は五衞府え ふの諸役人・官吏かんりつかはし、死者を取り片づけ、浮浪人を嚴重げんじゅうに求めて逮捕し、事情におうじて處罰しょばつを加へるがよろしい。そのうち處罰しょばつを加へずともよい者があつたならば、事實じじつをありのままに記してかみに報告すれば、何分なにぶんの命令を下すであらう。

【備考】當時とうじ、政治上・社會しゃかい上の秩序は、ようやく整つて來たが、一方、京畿けいき地方が太平におもむいて、人心じんしんが、ゆるんでくると、官吏かんりの間にも、おのづから懈怠心けたいしんを生じて來た。あるい服裝において、あるい集會しゅうかいにおいて、ことに男女の風儀ふうぎにおいて目にあまるやうなことが出來た。それで、禮義れいぎを以て、これを規制してゆく必要を生じたのである。

 この詔書しょうしょ中には、『禮記らいき曲禮きょくらい中の字句を引用してあるが、少し原文とことなつてゐる。『禮記らいき』では、「道德、仁義もれいにあらざれば成らず、敎訓きょうくんしてぞくを正すもれいにあらざればそなはらず」とある。すなわち意味の上で、もつと調子が强くなつてゐる。

 けだし道と德とは、諸事の根本であり、仁義じんぎ行爲こうい至大しだい至高しこうなものにちがひない。けれどもれいによつて、これを規制しないと、實現じつげん差支さしつかへる。風俗を正しくすることも、れいによらぬ限り、十分の效果こうかをあげるわけにはゆかない。『禮記らいき』では以上の意味を更に具體ぐたい的にき、君臣くんしん父子ふ し兄弟けいていの間も、れいによらぬと區別くべつさだまらぬし、つかへて、仕官しかんの道及び學問がくもんを習ふにも、れいによらないと、情誼じょうぎこまやかにならぬとふことを述べてゐる。その他朝廷の位次い じを正すにも、軍隊を率ゐてゆくにも、官吏かんりを統制するにも、法令を行ふにも、皆れいによらぬと威嚴いげんがなく、成績をあげることが、むづかしいとふことを『禮記らいき』に說いてゐる。れいの必要な所以ゆえんを、勅語ちょくご中に仰せ示されたのも、つまり、以上の意味を含んでゐると拜察はいさつして、差支さしつかへないかと思ふ。

また如聞きくならく」以下は、前文のれいの必要を仰せいだされたのとは、別に帝都ていとの治安維持について、當局とうきょく嚴戒げんかいを加へられてゐる。けだ文武もんむ天皇の時代には、有名な大寶令たいほうれいが完成され、すべてをその法制によつて、秩序付けてゆく必要があつた。それゆえれいの必要を說かれ、更に帝都の治安をまっとうすることに力を注ぐべきことをも命ぜられたのである。