8-7 陋習を禁ずるの詔 孝德天皇(第三十六代)

陋習ろうしゅうきんずるのみことのり(第七段)(大化二年三月 日本書紀

(營墓の詔)

凡自畿內及諸國等、宜定一所而使收埋。不得汗穢散埋處處。凡人死亡之時、若經自殉、或絞人殉、及强殉亡人之馬、或爲亡人、藏寶於墓、或爲亡人、斷髪刺股而誄。如此舊俗、一皆悉斷。縱有違詔犯所禁者、必罪其族。

【謹譯】およ畿內きないより諸國くにぐにとうおよぶまで、よろしく一しょさだめておさうずめしめよ。汗穢けがらわしく處處ところどころちらうずむることをず。およひと死亡しぼうするときに、しくはわなきてみずかしたがひ、あるいひとわなきてしたがはしめ、およあながちにしたるひとうましたがへ、あるいしたるひとめにたからはかおさめ、あるいしたるひとめにかみまたしてるいす。かくごと舊俗きゅうぞくは一にみなことごとめよ。みことのりたがひてきんずるところおかものあらば、かならやからつみせむ。

【字句謹解】◯畿內 皇城こうじょう周圍しゅうい五百(支那)以內の場所をいふ ◯一所に定めて 一場所にきめてうずめること。一國一場所の意ではなく、場所を定めて行へといふ程のことである。なほ〔註一〕參照 ◯汗穢しく きたなく ◯經きて自ら殉ひ 死後にしたがふために貴人きじんの死を追うて自殺すること。これは前に謹述きんじゅつしたやうに、垂仁すいにん天皇御代み よに禁じたことがある ◯人を絞きて殉はしめ 生前親しい者を强制的に絞殺こうさつして共にうずめる。例へば信州の傳說でんせつとして、夫が死ねば、妻はじゅんじなければならなかつたとある ◯馬を殉へ 生前愛乘あいじょうした馬をうずめる。これは例へば『播磨はりま風土記ふ ど き』に馬墓うまのはかとあるのが好い一例であらう ◯ 神にいのり福を求める祈禱きとう。死者の冥福めいふくをいのること ◯其の族を罪せむ 罪は一族の全部にわたるであらう。

〔註一〕一所に定めて 『三だい實錄じつろく』の貞觀じょうがん三年のくだりには、山城京やましろのみやこの地だけでも、次の五ヶ所を葬地そうちと決定されてゐるから、勿論もちろん一國一場所ではなかつた。五ヶ所とは、一が山城國やましろのくに葛野郡かどのごおり五條ごじょう荒木あらき西里にしざと、二が六じょう久受原里くずはらのさと、三が紀伊郡きいごおりじょう下石原しもいしはら西外里にしそとさと、四が十一じょう下佐比里しもさびさと、五が十二じょう上佐比里かみさびさとである。

【大意謹述】山城・河內・和泉などの畿內きないは言ふまでもなく、その他の諸國までも、よく命令を徹底させて、一定の場所に死者をほうむるやうにしなければならない。諸所に勝手にうずめて土地をけがしてはいけない。

 又、貴人きじんが死ぬと各種の形式で殉死じゅんしを行ふ習慣が未だに諸國にはのこつてゐる。あるいは自殺して死後を追うたり、無理に特定な人を絞殺こうさつして殉死させたり、死者が生前愛育した馬を墓側ぼそくうずめたり、又は死後の冥福めいふくを祈るために寶物ほうもつを墓におさめたり、死者のために髪をつたり股を刺したりして、同じく苦しみを分け合ひ、幾分かでも死者の苦痛をかるくしようと思ふものが多い。これらの古俗こぞく倫常りんじょうに反するから今後全部嚴禁げんきんする。しこの禁制にしたがはず、やはりふるい習慣によつて今述べたことを行ふ者があれば、發見はっけん次第、重罰じゅうばつしょし、一族ことごとくを同罪として處刑しょけいすることを群臣ぐんしんに告示する。

【備考】殉死じゅんしきんは、きに垂仁すいにん天皇の時に發布はっぷせられたのであるが、矢張やはり、それが容易にまないで、一層、各方面に弊害へいがい續生ぞくせいするに至つたことは、この勅語ちょくごによつて、推測することが出來る。殉死の上には、人情の自然に發露はつろしたおもむきはあるが、そのする事、す事が、あまりに常軌じょうきいつしてくると、臣民しんみんの生活を不健全にし幸福と安定とをあたへる所以ゆえんでない。ここに至つて臣下をいつくし思召おぼしめしから、一々、箇條かじょうをあげていましめ、爾後じ ご、再び常軌じょうきをはづれた行動をさぬやう、注意せられたのである。