8-4 陋習を禁ずるの詔 孝德天皇(第三十六代)

陋習ろうしゅうきんずるのみことのり(第四段)(大化二年三月 日本書紀

(營墓の詔)

上臣之墓者、其內長濶及高、皆准於上。其外域方七尋、高三尋、役五百人、五日使訖。其葬時帷帳等用白布、擔而行之。下臣之墓者、其內長濶及高、皆准於上。其外域方五尋、高二尋半、役二百五十人、三日使訖。其葬時帷帳等用白布、亦准於上。

【謹譯】上臣じょうしんはかは、うちながひろおよたかさは、みなかみなぞらへよ。外域がいいきほうひろたかさ三ひろやく五百にん、五おわらしめ、ほうむらむときかたびらかいしろとうには白布はくふもちゐ、になひてけ。下臣かしんはかは、うちながひろおよたかさは、みなかみなぞらへよ。外域がいいきほうひろたかさ二尋半ひろはんやく二百五十にん、三おわらしむ。ほうむらむときかたびらかいしろとうには白布はくふもちゐること、かみなぞらへよ。

【字句謹解】◯上臣 內大臣及び左右大臣のこと、「たかきまへつぎみ」とくんずる ◯上に准へよ 前に記した王以上にしたがへとの意 ◯及び高さは皆上に准へよ 前通りにせよとはあるが、王以上の墓の規定に、この場合の高さは記してない。ゆえに前だけは高さが脫したので、正しくは高さ六しゃくとでもあるべきだといはれてゐる ◯擔ひて行け 王以上は特に車を用ゐたが、これは人の肩にかついでくこと。〔註一〕參照 ◯下臣 所謂いわゆる大德たいとく小德しょうとくの地位にある者、これは大臣の下位につづくから下臣かしんといつた。くんは「ひくきまへつぎみ」である。冠位かんい十二かい中の高位にあるもの。

〔註一〕擔ひて行け 『日本書紀』には、この下に細書さいしょで「けだこれは肩を以て輿みこしになひて送るか」とあるが、後人こうじんちゅうだとされてゐる。

【大意謹述】大臣の墓に就いては、內部の長さ、幅、及び高さは、前に記した王以上と等しい。墓地のそう區域くいきやや小さくなり、七ひろ平方のひろさと三ひろの高さで、五百人の課役かやく人數にんずうを使用し、五日で工事を完成させる。葬儀にあたつてかんおおふのに白布はくふを用ゐ、今度は人の肩でになつてく。次に大德たいとく小德しょうとくの地位にあつた者の墓は、內部の長さ、幅、高さは前の場合と等しく、そう區域くいきは約五ひろ平方の土地で、高さは二ひろ半、二百五十人の課役かやく人數にんずう勞働ろうどうさせて三日の間に完成させる。葬儀にあたつて白布はくふかんおおつたりなどすることは、やはり前のものと同樣どうようである。

【備考】歷史上、諸王・諸臣の墳墓ふんぼせいを定められたのは、これが最初である、それ以前の有樣ありさま參考さんこうのため、ここに述べよう。正確・詳細の事は、分明ぶんめいせぬが、古代では墳墓ふんぼおおむ山巓さんてんに作り、身分の低いものは山腹さんぷくに作つたりした。その形狀けいじょう圓形まるがた、又は笠形かさがたで、瓢形ひさごがたのものもあり、周圍しゅうい濠渠ごうきょを設けたものは極少かつた。內部の構造に於てはかんに木を用ひ、かくは不規則な形をした大石たいせきを以て、長方形にかこむのを常例とした。殉死者じゅんししゃの墓は之を陪塚ばいちょうしょうし、おおむ瓢形ひさごがたしゅとした。のちには、墳墓ふんぼ山麓さんろく・平地にも作るやうになつたのである。